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第29話 違和感


「よし、そろそろ再開しようか」


 各務原(かがみはら)の声に強張った面持ちのまま頷いた(あきら)は、再び椅子に腰を下ろす。

 すると、間髪入れずにヘアメイクとスタイリストの女性が動いた。仕事が早い。

 素人目には特におかしなところはないように見えるのが、彼女たちのプロ魂的には放置できない模様。

『あきらちゃん、笑顔笑顔』と小声で諭されている。『勉強』に意識を()かれてグラドルとしては問題ある表情で固まっていたらしい。


「それじゃ、自分たちはあっちの部屋にいますので……」


 また先ほどのように緊張感のある撮影が始まるのであれば、手持ち無沙汰な高校生組は退席すべきだろう。

 邪魔をしないよう自主的に部屋から出ようとした孝弘(たかひろ)たち。そんな彼らを引き留めたのは、意外にも各務原だった。


「待った。君らもここに居て」


「え?」


「え……」


 高校生3人だけでなく、ふたりの女性にされるがままになっていた晶が思わず声をあげた。

 奇行と言っても差支えない各務原の発言に、室内のほかのメンバーも目をしばたたかせている。


「こいつらの前で撮るんですか?」


「ああ。せっかく手伝ってくれたんだから、追い出すのも悪いだろう? 今日の撮影のために部屋を誂えてくれたそうじゃないか」


 しれっとそんな常識的な発言をされると、仕事でこのマイペースに過ぎるカメラマンと関わってきた面々にはどうにも反論しづらい。

 誰もが互いに視線を交わし合い、無言で『お前が言え』と押し付け合っている。

 ……最終的に口を開いたのは晶だった。


「そりゃそうですけど、なんか各務原さんらしくないなぁ」


「あきらちゃんが普段どういう風に僕を見てるかよくわかる」


「別にオレだけってことはないと思いますけど」


「違いない」


 言い出しっぺは禿頭を撫でつつ苦笑を浮かべた。チクリと刺された皮肉にもまるで動じた様子を見せない。

 世間における『各務原 洋司(かがみはら ようじ)』という人物像は、女の子好きが高じすぎてプロのカメラマンになった変態紳士。

 それも日本一と誰もが認めるレベルに到達してしまっている、とことん道を突き詰めきった男。

 気難しい職人であり、生粋の趣味人であり、そして比類ない天才でもある。

 性格に難はあれども人、特に女性を見る目は確かで、各務原が目をかけている女優などは確実にブレイクする。

 その点では『結水(ゆうみ) あきら』も今後の成功を約束されていると言えなくもない。

 ……天才と呼ばれる人間にありがちなことだが、一般常識などに若干(?)疎いところがある。

 付け加えるならば、各務原に見いだされなくとも成功するタレントは存在するし、行き過ぎた性格とそりが合わずに業界でも彼を嫌う人間も少なくない。

 とりもなおさず『各務原 洋司』とはそういう人間であり、そんな男が善意だの常識だのを根拠にこんなことを言いだすとは誰も考えてはいない。


『まぁ、何かあるのだろう。理由はよくわからんが』


 意図は掴めなくとも、各務原の才能だけは誰もが認めている。

 この突拍子もないアイデアにしても、今回の撮影において必要な要素なのだろうと(半ば強制的に)納得させられている。

 少なくとも、この部屋に居る人間のうち晶の友人であり当事者である3人以外は。


 晶を含む大人たちが誰も積極的に止めてこない。

 だからこそ……孝弘も(みやこ)も、そして伊織(いおり)も戸惑いを隠せない。

 

『本当にここに居ていいのか? 邪魔にならないのか?』


 周りを見回してみても、大人たちは答えてくれない。

 困ったように眉の端を下げて晶の様子を窺っても……こちらも軽く頷くのみ。

 ただ、彼らの目は何となく『断ってくれるな』と言っているように見て取れた。

 各務原の偏屈度合いは業界に詳しくない孝弘ですら耳にしたことがあるくらいだ。

 ここで我意を通して退室した方が、却って晶の仕事に差し障りがあるのではないかという気もする。

 そして――本音を言えば『結水 あきら』の生撮影には興味がある。


「じゃあ、せめて端の方にいますので」


 代表して伊織が応えると、各務原は満足げに頷いた。

 禿頭に無精ひげの顔に浮かんだのは、先ほどまでの塩対応とはうって変わったニコニコとした笑顔。

 あまりの変遷に、今日ここで初めて会った3人でさえ『この人、怪しい』と心をひとつにしたほど。

 ……よく見ると、各務原本人以外は似たり寄ったりの表情を浮かべていた。



 ★



――なんかおかしい……


 撮影が再開されるや否や、晶は胸中で戸惑いを覚えた。

 グラビアアイドルとして始めて紙面に掲載されてから約1年。

 キャリアとしてはそれほど長いと言えないにしても、デビュー当初に比べれば慣れてきたという自信があった。

 表情もポーズも自由自在……とまではいえないが、指示されるまでもなく要求されるものを形にできることが大半であった。

 各務原のような難しい相手に容赦なくダメ出しされても、即座に指摘事項を修正・アップデートできるようになったと自負していた。

 そのはずだった。

 

 今日は、上手く行かない。


 生中継で昏倒してからしばらく大きな仕事を入れていなかったのでブランクがあった……では説明がつかない。

 つい先ほどまでの朝日をバックにした撮影は普通にできていたのだから。

 睡眠時間は十分に確保していたし、体力的にも問題なかった。

 頭もすっきりしていて思考は通常レベルで機能している。

 休憩中に受けた各務原からのレクチャーもしっかり取り込めていると思う。

 でも……どうにもしっくりこない。


――なんだ?


 笑顔が引き攣る。身体が縮こまる。

 肌がチクチクするような違和感がある。

 頭の中にイメージが作れていない。

 そもそも意識が集中しきれていない。


――何が違う? どこがおかしい?


 正面でカメラを構える各務原。

 壁にもたれるマネージャーと『週刊チャレンジ』の担当編集。

 お世話になっているヘアメイクとスタイリストさん。

 そして幼馴染である孝弘や都、新しく友人となった伊織。

 誰も彼もが見慣れた存在であるはずなのに……


――う~ん……


 ここは撮影用のスタジオではない。

 出版社でもなければ豪華なロケ現場でもない。自室だ。

 晶自身が認めるほどに、いかにも『悠木 晶(ゆうき あきら)』らしく飾り付けられた部屋。

 ……昨日までは最低限取り繕っていただけの殺風景な空間だったのに、今や全く違和感がない。

 ず~っとここで暮らしていたかのような、妙な安心すら覚える。『さすが都』と声に出さずに感謝している。


 ふと、熱を感じた。

 自分の内側ではない。外側だ。

 まつ毛を伏せたまま目だけで根源を辿っていくと……6つの瞳があった。


 孝弘、都そして伊織。


 親しい3人の視線が自分に釘付けになっている。至近距離。

 熱い視線を向けられることは――別に初めてではない。

 これまでにもグラビア撮影は何度もあったし、仕事にも拘らずビジネス抜きで『結水 あきら』の容姿に夢中になる人間はそれなりにいた。


 元男の晶から見ても『結水 あきら』のビジュアルは突出している。

 顔の造りは完璧で、抜群のスタイルを誇る肢体を極小面積の水着で覆った姿は、とにかく人目を惹く。

 業界に入ってからは、生まれ持った――と言っていいかはわからないが、とにかく才能ではある――美貌を弛まぬ努力で磨き上げてきた。

 同年代の同業者と比べても頭ひとつ抜けている……とまでは言わないものの、そうそう劣ることはないという自負がある。


『結水 あきら』はずっと自分に向けられる視線に対して臆することなく堂々と応えてきた。カメラマン、スタッフ、そして大勢のファンたち。

 性的な視線を嫌がる同性や同業者の話を耳にすることもあったが……正直なところ理解しかねる部分ではあった。『もともとそっちを狙ってグラドルになったんじゃねーの?』と。口には出さなかったけれど。

 少なくともセクシー路線で容姿を売りにしてきたグラビアアイドル『結水 あきら』としては、その手の注目を集めることをむしろ誇りに思ってきた。

 ……のだが、


――そうか……


 今まで『結水 あきら』を見つめてきた目というのは、基本的には他人のものだ。

 クライアントとタレント、あるいはビジネスライクに関わりを持ってきた人間だ。

 でも……今日の自分に向けられる視線は、それだけではなかった。


 10年来の幼馴染である『高坂 孝弘(こうさか たかひろ)

 10年来の幼馴染にして初恋の相手である『仲村 都(なかむら みやこ)

 そして戻ってきた羽佐間市で新しくできた友人である『葦原 伊織(あしはら いおり)


 いずれも晶の『日常』あるいはプライベートに属する面々だ。

 彼らの目線を自分がひとり占めにしているというこの状況。

 自室でほとんど裸同然の格好を凝視されているという非日常。

 学校を始めとする日常で彼らに見せることのない性的な仕草や表情。

 すべてを間近で見られているという事実が晶の中に強い情動のうねりを生み出し、『結水 あきら』と『悠木 晶』の境界を崩してしまった。

 自分を客観視できていない。心と身体がうまく切り離されていない。

 先ほどから感じている妙な感覚は、きっとそのせい。

 そこまで思い至った晶は、しかし同時に疑問を持った。


――各務原さん?


 変態的な粋人である各務原は、ことグラビアに関しては恐らく誰よりも厳しい。

 求道的なまでに趣味を突き詰めた結果、日本一と呼ばれる地位に至った男だ。

 その各務原が、今の中途半端な状態の晶を見て何も言ってこない。

 いや、もちろん撮影のための指示は次々と飛んでくるが。

『ここがダメ』とか『もっとこうしろ』とかそういうダメ出しがない。

 カメラと向かい合う晶の耳朶を打つのは、その大半が賛辞の類。

 被写体の気分をアゲるために褒め称えたり、コミュニケーションを取ることもカメラマンの能力のひとつだとは教わった。

 でも……先ほどまでの各務原の言葉には、何かしらの厳しさ――それはきっと自分の仕事に対する誇りに根差しているもの――を感じられたのだけれど。

 今は彼の一言一句にすら身体をくすぐられるような妙な快感がある。これまでにない昂りを覚える。


――ダメって言われないってことは、これでいいんだろうけど……


「やりにくいな……」


「どうかした、あきらちゃん?」


「……すんません、なんでもないっす」


「そう、こっち目線よろしく」


 思わず零れた言葉を拾われて、とっさに取り繕った。

 軽く頷くだけで指示には口答えせず、そっと眼差しをカメラに向ける。

 ……ファインダー越しに各務原が笑っている。そんな気がした。

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