第2話 胸張ってイントロダクション
3話目になります。
本日の更新はここまで!
晶の自宅から最寄り駅まで徒歩10分。
時刻表どおりにホームへ滑り込んでくる電車に乗って駅3つ。
目的地である佐倉坂駅で降りると、自分と同じ制服を着た学生が大挙して坂を上っていく光景が目に入ってくる。
――混雑うぜーし、もうひとつ前の電車に乗るか?
流れに逆らわずに学校へ向かう最中で、明日からの修正ポイントをスマートフォンにメモる。
……もうすぐ夏休みだから、慌ててどうこうする必要はなさそうだが。
駅のホームで立っている時も、こうして道を歩く時も、とかく姿勢は意識している。
身体の芯が物理的に歪むと、心の方にもネガティブな影響が出る気がする。
芸能界デビューして以来、事務所の社長から口を酸っぱくして言われ続けてきたことのひとつだ。
頭のてっぺんから引っ張られるような感じで背筋を伸ばすと、ひと際目立つ豊かな胸が前面にせり出される。
自然と衆目を集めることになってしまうが……これは仕方がない。
TSした晶は誰もが認める美少女でスタイルも抜群だ。逆の立場だったら、晶だってガン見する。
なまじ男の気持ちがわかるだけに文句を言うのも躊躇われる。
しばらく歩いて見上げた先に、これ見よがしな学校がそびえ立っている。
名を『県立佐倉坂高校』といい、県下一の進学校として近隣に名を馳せている。かつての晶の志望校でもあった。
1年と3か月、紆余曲折を経てこの校門をくぐることになろうとは。
晶の胸に言いようのない感慨が込み上げる。周囲の怪訝な視線はスルー。
昇降口で靴を履き替えて、まずは職員室へ。担任教師と顔合わせ。
担任は眼鏡をかけた20代後半(推定)の大人しげな女性だった。
この学校に通うこととなった理由のひとつが、この女性教諭の存在である。
晶のTSがらみの主治医と高校時代に同級生であり、今なお親交が続いている彼女。
何かあった際、迅速に病院を手配するためのホットラインを担ってもらうことになる。
本人にとってはいい迷惑かもしれないので、せいぜい良い生徒を演じるつもりだ。
「先生、これからよろしくお願いします」
『良い生徒』の第一歩。
45度の角度で頭を下げる。
「はい。よろしくお願いしますね。幸いもうすぐ夏休みですから、とりあえずは学校に慣れるところからかしら」
「2学期からでもよかったんですけどね~」
「そう? ちょっとでも早い方が良くない?」
「ええ、まぁ、そうなんですが……仕事の方がいろいろ立て込んでまして」
「ああ。そっちは私にはどうにもできないけれど……身体の方は大丈夫なの?」
「この前に雅さんに検査してもらいました。結果はもうすぐ出ますけど、そこまで深刻ではないだろうと」
雅こと『遠野 雅』は晶の主治医であり、担任教諭の友人でもある。
この学校のOGにして羽佐間市最大の総合病院に勤務するTS医療の若きホープ。
雰囲気のある美人だけに、怒らせるとメチャクチャ怖い。久々に顔を出したらメチャクチャ怒られた。
「それは良かったわ。テレビで見た時はびっくりしたもの」
「……ご迷惑をおかけします」
まだ登校初日の朝だというのに、いきなり謝罪。
身から出た錆なので言い訳のしようがない。
「この学校の生徒はいい子ばかりだから、きっと悠木さんもやりやすいと思うわ」
「そうっすか? 高校に行ったことがないんで、その辺がよくわかんないんですが」
「ま、これでも一応進学校だから」
割と大人しめな子が多いのよ。
予鈴と同時に担任教諭はそう微笑んだ。
彼女に先導される形で教室に向かう。2年C組。
3階建ての校舎の2階。その端の方。職員室からは結構距離がある。
教室の外で耳をそばだてると……少し騒がしい。『大人しめな子が多い』とは何だったのか。
胸に手を当てると、豊かな膨らみの奥で心臓がドキドキと鼓動を打っている。
これまでに転校の経験はない。今回は転校ではない。でも、似たようなものだ。
2年生の1学期が始まって既に3か月が経過している。夏休み目前。
教室内では独自のコミュニティが形成されているだろうし、そこに割って入るには勇気がいる。
小学校でも中学校でも、初対面のお約束である自己紹介はあまり得意な方ではなかった。緊張して身体が強張る。
――いやいや、昔のオレとは違うから。笑顔、笑顔……っと。
目を閉じて大きく深呼吸。
頭の中に最高の笑顔をイメージして表情を作る。
姿勢を再度チェック。すっと背筋を伸ばし堂々と胸を張る。
「よし、OK」
小声で呟き、担任に伴われて教室に入る。
佐倉坂高校は1クラス約40人編成。
あわせて80の瞳が教壇に立つ晶に向けられる。
『うわ、ほんとに『結水 あきら』だ……』
『顔小さい! 胸大きい!』
『素人は彼女の胸にばかり目が行くようだが、俺としては脚を推す。あの長くて細くて、それでいてしっかり脂ののった……』
『オレ、この学校に受かって本当によかった!』
『うざ、ちょっとテレビに出たくらいで調子に乗りやがって』
晶の耳をくすぐる生徒たちの囁き声。
聞き分けたところでは大半が好意的。
でも……中にはネガティブなものも混じっている。
会ったこともない人間に負の感情を向ける神経は理解しがたい。
そっと逸らされた視線がひとつ。ど真ん中の最後列。
周りの生徒より明らかにひと回り大きくしなやかな身体。短く乱雑にカットされた黒髪。
怜悧さが際立つノンフレームの眼鏡が印象的な顔立ちに、今は険しい表情を浮かべている。
見覚えのある――懐かしい顔だ。
――アイツ……
その姿に涙腺が緩み、同時に胸の奥に痛みを感じる。
……動揺をおくびにも出さず、表情は笑顔で固定。
楽しいハイスクールライフを送るために、ここで失敗はできない。
「はい、みんな静かに! わざわざ言わなくてもわかってると思うけど、今日からこのクラスに新しい仲間が増えます」
「「「知ってまーす」」」
きれいにハモる能天気な声。
その声を背中に受けつつ教諭は黒板に白チョークで晶の名前をカカッと書き記す。
『悠木 晶』
「それじゃ悠木さん、自己紹介をどうぞ」
促されて一歩前へ。痛いくらいに視線が集中。
昔ならともかく、今となってはこれくらいどうということはない。
今の晶は日本中から注目される身だ。嫌でも慣れる。慣れないとやっていけないとも言う。
怯むことなく、笑顔を崩すことはなく。言葉遣いはハキハキと。
「えっと、今日からこのクラスでお世話になる『悠木 晶』です」
「「「知ってるー! 『結水 あきら』ちゃん!!」」」
くすくすと笑い声がそこかしこから上がる。
悪意からのものではなさそうだが、何が面白いのかはサッパリ。
箸が転がるだけで笑いたくなる、そういう年頃なのかもしれない。あるいはノリの問題だろうか。
『高校生がわかってない』と言われた経験を持つ晶としては、無視できないクエスチョンだ。
「オレは中学3年まで西中に通っててバスケやってて、そこでTSして……あとはしばらく街を離れていました。西中出身者の中には以前のオレを知っている人がいるかもしれません」
「え……西中バスケ部の『悠木』って……そんな奴いたっけ?」
「3年の途中から学校来なくなってたけど、そういうことだったわけ? ただの不登校じゃなかったの?」
「つ~か、中3でTSなんてあるのかよ!」
晶の自己紹介に騒然としている面々は、きっと西中の出身者だろう。
『中学3年生でTSした』という情報に驚く者もいる。さもありなん。
保健体育の授業で習う範囲では、TSが発生するのは年齢ひと桁とされているのだ。
15歳でTSした晶は相当な特殊事例に該当する。
高校生になってからのTSとなると更に可能性は低くなるだろうが、ありえないわけではない。
その事実を目の当たりにして平静でいられる者は多くはない。冗談抜きで人生ひっくり返りかねないから。
現に教壇で語っている晶はひっくり返った。いい方か悪い方か……判断は人それぞれになるだろう。
「このあたりは久しぶりで正直よくわかってません。高校生活も初めてなんで戸惑ってるし、仕事でなかなか顔を出せないかもしれないけど、楽しくやっていけるようにガンバリマス。どうかよろしく!」
背筋を伸ばして胸張って、わざとらしいほどの笑顔でゴリ押し。
『結水 あきら』のファーストインプレッション。
仕事がらみでなければ、大抵の問題はこれで解決する。
とどめに軽く身体を傾けると、自慢の胸が強調されて艶やかな輝きを帯びた黒髪が肩から流れ落ちる。
思わずスマートフォンに手が伸びる生徒多数。『チョロいな』晶は内心でほくそ笑んだ。
何はともあれ――
「「「「「よろしく!」」」」」
反応は上々。教室内はいい感じに湧いている。
約一名、最後尾でそっぽを向いた大男を除いて。
――やっぱ怒ってるよな、孝弘……
相変わらず強情な奴だ。一年前、最後に見た姿が思い出される。
頑なな態度を崩さない幼馴染の様子をチラリと窺って、晶は軽く肩をすくめた。