第28話 オトナとコドモ
こちらが本日更新2話目になります。
「よし、いい感じに撮れた。休憩しよう」
カメラを構えて晶と対峙していた男の言葉とともに、室内に張り詰めていた空気が弛緩した。
おそらく何度も撮影をこなしているはずの大人たちですら、かなり露骨に息を吐き出している。
大きく肩を回して体をほぐしている者もいる。
もちろんその空気は室外にも伝染して――
「きゃ」「うわっ」「あいたっ」
今までギリギリでバランスを取りながら撮影を覗き見もとい見学していた3人は、倒れ込むように室内に転がった。
孝弘、都、そして伊織。昨晩遅くまで部屋を整えてくれていた大切な仲間たち。
「……何やってんだ、お前ら」
ベッドの上から冷めた声。クスクスと笑いが続く。
高校生組が頭を上げると、そこにいたのは――いつもの晶だった。
先ほどまで纏っていた超然とした雰囲気はどこにも見当たらない。
「えっと、その……」
「なんとなく声をかけづらくて、つい……」
「すまん、見惚れていた」
三者三様の答えに晶はこらえきれなくなって軽く吹き出した。
「いつから見てたんだよ。まったく……」
立ち上がった晶は差し出されたバスローブを羽織って身体を伸ばし、今度は椅子に腰かける。
すかさず待ち構えていたスタイリストとヘアメイクと思しき女性たちが、『結水 あきら』を整えていく。
傍から見る分にはそれほど違和感はなかったものの、プロ目線だとそうでもなかったらしい。
晶は特に目立った反応を見せることなく、大人しくされるがままになっている。
「あ、そう言えば遅くなったけど」
「……なんだ?」
晶の言葉に一同を代表して孝弘が問いかけた。
「いや、昨日は無茶ぶりしたなって。マジで助かったわ」
『さんきゅ』と笑いかける晶は、学校や街で見かけるいつものと姿と何ら変わりない。
……それでもプロの手が入った顔は、いつもよりも大分キマって見えるから、孝弘などは不思議に思ってしまう。
『女は化ける』とはよく言ったものだ、と。
「昨日は晶さんがご迷惑をおかけしたようで、本当に申し訳ございませんでした」
壁にもたれかかっていたスーツ姿の男性のひとり――年配の方が身体を起こした孝弘たちに近づいてきて頭を下げる。
『礼儀正しい人』というのが3人にとっての第一印象だった。先ほど目が合った人物でもある。
ひと回り以上も差があるであろう高校生に対しても柔らかな物腰の紳士だ。この人はいったい誰なのだろう?
友人たちの無言の疑問に対する答えは、
「その人、オレのマネージャー」
「マネージャー……この人が?」
3人は少し意外な気がして、互いに顔を見合わせた。
晶のマネージャーというと昨日メッセージを送ってきた人物のはず。
もっと若い人間をイメージしていたのだが、見た感じでは30代半ばと言ったところ。
かなり落ち着いた雰囲気の人物で、芸能界うんぬんよりも普通の企業に勤めるサラリーマンに見えた。
……より詳細に付け加えるならば、厄介な新人や上司に振り回される中間管理職のイメージ。
「それじゃ、そっちの方は?」
撮影中にマネージャー氏の隣りに立っていた男性に視線を向けると、
「この人は『週刊チャレンジ』の編集さん」
「へぇ……漫画雑誌の編集さんって、こういう仕事にも立ち会うんだ?」
伊織の口から零れた疑問は、他のふたりも抱いていたらしい。
編集氏の方も特に機嫌を害している様子はない。
「始めまして。僕はこういうものです」
すっと差し出された名刺には、確かにS社の週刊漫画雑誌である『週刊チャレンジ』の編集である旨が記載されている。
マネージャー氏に比べるとやや年下に見えるものの、それでも30歳前後と言ったところ。
漫画の編集というと特殊な職業に思えたが……こちらもあまり浮ついた人間には見えなかった。
「毎回というわけでもないけど、今回は『結水 あきら』の巻頭大特集だからね。さすがに顔出しとかないと」
「そういうもんなんですか?」
「そういうものです。何と言っても『TSシンデレラガール』の復帰大特集ですからね」
「へぇ……」
「言われてみれば、晶ってあの放送から仕事してないんだっけ」
「やってるよ。水面下で進行中って奴。ただ、グラビア復帰は『週チャレ』さんからってのはわがまま言ってた」
「……なんで?」
都の口を突いて出てきたのは純粋な疑問だった。
『週刊チャレンジ』は文字どおり週刊少年漫画雑誌ではあるものの、発行部数的にはメジャーとは言い難い。
全国区クラスに名前を知られた『結水 あきら』の復帰ともなれば、もっと大きな出版社に取り上げられてもおかしくはないはずだ。
素人考えではあるが、それこそ誰でも知っているような有名雑誌の方がよいのではないかとすら思う。
「オファーがなかったとか?」
「いや、あったけど」
「それでも『週チャレ』? なんで?」
「何でって、オレに初めて仕事くれたのが『週チャレ』さんだったし?」
「……それだけ?」
「理由なんて、それで十分だろ」
胸を張って言い切った晶に納得いかないと言った風に眉を顰める都。
そんな様子を見るのが面白いのか、晶は顔に穏やかな笑みを浮かべている。
「あきらちゃん、ちょっと……」
その笑顔が一瞬で引き締まった。
カメラマンの男の声だった。
先ほどまで晶に向けていたカメラをパソコンに接続しているらしく、モニターには色鮮やかな晶の艶姿が何枚も表示されている。
「どうかした、各務原さん?」
「うん、これ見てほしいんだけど……」
晶は『各務原』と呼んだ男性に促されるままにモニターを覗き込む。
大粒の黒い瞳に強い光が宿っている。いつになく真剣な眼差しだ。
「このあたりの表情、これはどう思う?」
「そっすね……オレ的にはカッコつけたつもりだったんですけど、柔らかくした方がよかったですかね?」
「こんな感じ?」
「そう、これこれ……って、ちゃんと撮ってるじゃないですか、各務原さん」
「そりゃ撮るよ。シャッターチャンスを見逃すはずないじゃないの」
「さすが」
遠目には、モニターに表示されている写真を肴に談笑しているように見える晶と各務原。
しかし――晶に近しく暮らしてきたふたりには、半裸のグラビアアイドルとカメラマンの間に不可視の火花が散っているように見えた。
二人は仲がよさそうではあるが、なぁなぁの関係ではない。切磋琢磨するライバルという風でもないが……適切な表現が見つからない。
「……各務原って、『各務原 洋司』?」
孝弘の声。別に誰かに尋ねたわけでもなく、つい口から漏れたという感じで。
都と伊織は怪訝な眼差しを孝弘に向けている。『誰?』と無言で問いかけている。
話にひと段落付いたらしい晶は『おう』と頷いた。
「そ、この人が『各務原 洋司』さんな。女の子を撮らせたら日本一のカメラマン」
「ども」
禿頭に無精ひげのカメラマン、『各務原 洋司』は孝弘たちにはそっけない。
これまであまり目にしないタイプの大人だ。少なくとも先に挨拶されたふたりとは全く異なっている。愛想もクソもないオッサン。
まぁ……いまだ高校生に過ぎない孝弘たちが知っている大人と言えば、大体家族を含む親類縁者か学校の教師ぐらいのものだが。
「お前、そんな有名な人に撮ってもらえるのか?」
「おかげさんで」
「仕事で撮るのは初めてになるね」
「仕事で?」
各務原の言葉が孝弘たちの耳に引っかかった。
仕事以外でグラビアアイドルとカメラマンに接点があるのだろうか?
業界の慣例等にまるで詳しくないので、当の本人に目で問いかける。
「各務原さんは前に一度プライベートで撮らせてくれって事務所に押しかけてきてさ」
「それは……そういうものなのか?」
「どうだろうな? 撮影会とも違ったけど……個人とは言え契約書も交わしたしギャラも出るし事務所も通してたし、当時は全然売れてなかったし……あ、自分で言ってて凹む」
『結水 あきら』と『各務原 洋司』の関わりは当初から異例であった。
各務原個人が事務所に晶の写真を撮らせてほしいと依頼してきたのだ。
割と一般的に見かけるような、事務所がスタジオを借りて興行する撮影会とは異なる。
『個人がタレントを指名して撮影を行うのはアリなのか』と問われると疑問はあった。
ではダメなのかと言われると……別にダメと言う理由もなかった。ただ、あまり前例がなかった。
晶だけでなくマネージャーや社長まで巻き込んで散々頭を悩ませたものだ。
クライアント不在とは言え事務所を通じた仕事であったし、ちゃんと契約を取り交わすことになっていたし、報酬もかなりの額を提示された。
顔も名前も売れていなかった当時の『結水 あきら』としては、日本一のカメラマンと接点を持てるのも美味しい。
また、各務原が目をかける女優は必ずブレイクするとも言われている。そういう意味でも手を振り払うのは惜しい。
最終的には『まぁ、各務原だから』ということでオファーを受けた。実力と実績、そして名声と信頼を併せ持っていたのが大きい。
これが顔も名前も知らない一般人だったら、きっとノータイムでダメ出ししていただろう。
「各務原さんは独特な方ではありますが……人を見る目は確かですしね」
「あきらちゃん、こっち見て」
「あ、はい」
言葉を選んだマネージャー氏の取り成しもむなしく、各務原は再び晶と共にモニターチェックに入っている。
「あれもただ単に写真を見ているのではなくて、あきらさんを教育している……というのはいやらしい表現ですね。訂正します」
「いえ、勉強させてもらってますから」
『教育』という表現はあながち間違ってはいない。晶はそうフォローした。
目はモニターに釘付けで、耳は各務原のアドバイスを一言一句聞き逃すまいとしている。
『結水 あきら』の大きな弱点のひとつとして挙げられるのは、兎にも角にも経験不足。
女優としてもグラビアアイドルとしても異例のスピード出世を成し遂げた反面、基本的な知識や経験が足りていない。
それはSNSでも某巨大掲示板でも、芸能関係を扱うサイトや雑誌でも、あるいは胡散臭い事情通たちすらもしばしば口にする共通認識であった。
晶本人にも自覚がある。だからこそ、日本一のカメラマンから直接指導を受けることができる機会を逃したくはない。
モニターに注がれる晶の眼差しは、ただ遥か遠く、ずっと先をまっすぐに見据えて輝いていた。
本日はここまでとなります。
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