第27話 黎明の女神
第3章開幕です。
本日は2話更新予定です。
これが1話目。
薄暗い部屋の片隅で目が覚めた。自分の部屋ではなかった。
ここはどこで自分は何をやっていたのか。
寝ぼけた頭で昨日の記憶を手繰ってみると……さほど時を置くことなく答えに至った。
(そう、買い物の帰りに晶がバカなことを言いだして……)
ショッピングモールで買い物していた時のことであった。
幼馴染である『悠木 晶』(グラビアアイドル兼女優『結水 あきら』として活躍中)のもとにマネージャーからの連絡があったのだ。
すわ何事かと身構えてみれば……あのバカはスケジュール管理をミスって明日(つまり今日)のグラビア撮影を来週だと勘違いしていた。
しかも撮影はスタジオなどではなく彼女の部屋で行われるという。
芸能界に詳しくない自分にはピンと来なかったが、見知らぬ他人に自室を公開すると聞いて嫌悪感を覚えた。
『そこまでやるのか?』と。人気取りにしても程があるのではないかと思ったが、意見することはなかった。
本人が納得している企画なのだ。部外者が口を挟んだところでどうにもならない。そう、自分は部外者に過ぎないのだ。
そして引っ越してきたばかり……とは言い難い(すでに一週間たっている)晶の部屋はまだ片付いていないとのこと。
しかも当の本人は撮影を控えているということで早めに休まなければならない。
だから晶が眠っている間に『いかにも『結水 あきら』の部屋っぽく整えておいてほしい』という。
普通に考えれば『アホか』で一蹴されるようなお願いだ。自分の怠慢のツケを押し付けるなんて厚かましいにも程がある。
でも……その選択肢はなかった。経緯はどうあれ、困っているのなら助けたいと思った。何だかんだで幼馴染なのだから。
初めて足を踏み入れた晶の部屋は、あらかじめ聞かされていたとおり片付いていない……などと言うレベルではなかった。
いつもツイッターに投下されている『女優・結水 あきらのリア充生活!』からは想像しがたい世界が眼前に広がっていた。
最低限の生活空間を除いてまともに後片付けなんてされていない。ハリボテの見栄っ張りぶりは自分のよく知る晶そのもの。
えへらえへらと笑みを浮かべる整い過ぎた幼馴染の顔面にグーパン入れたくなってきたが自重した。
ただ、いざ目の当たりにしたその光景――そこら中にダンボールが積み上がっている――からは、1年前の『あの部屋』が、『あの日』のことが思い出された。
真面目な話、手伝いを引き受けたことを真剣に後悔しかけたけれど、一度引き受けたものを今さら放り出すわけにもいかない。
夕食を作って風呂に入って寝室に引っ込んだ晶を余所に3人がかりで頑張って……頑張って……
(一応ちゃんと形にはしたはず)
最後の方の記憶はかなり曖昧だった。
いつの間にやらカーペットが敷かれた床に雑魚寝していたくらいだ。
小さなあくびと共に身を起こした際に、タオルケットがずり落ちた。
夏とは言え明け方はそれなりに冷え込む。ありがたい心遣いだった。
誰かが掛けてくれたようだ。誰が?
先に眠ったはずの晶ではないだろう。いや、ありうるのだろうか?
ぼんやりしたままの頭でとりとめのないことを考えつつ目蓋を擦り、追加であくび。
ふと耳を澄ますと――隣の部屋に人の気配がした。ひとりやふたりではない。
思わず身体が強張って室内を見回す。武器になりそうなものを探しかけたところで、
『日の出をバックに撮影することになっててさ』
などと昨日聞いた晶の声が思い出された。
スマートフォンに時刻を表示させると――午前4時半を少し過ぎたあたり。
つまり、隣室では晶たちが仕事の真っ最中ということか。『こんな時間から?』と首をかしげずにはいられない。
芸能業界はきらびやかに見えるものの、自分たちの想像を超えてブラックな業態であるようだ。
それはともかく――
(ちょうど始まったころ?)
かすかに光が漏れるドアの隙間が無性に気になる。きっと今ごろ晶がグラビア撮影を行っている、はず。
仕事を邪魔してはいけないという気持ちと、手伝ったのだから見学するぐらいは問題なかろうという気持ちがせめぎ合い――後者が勝った。
そっとドアに忍び寄って、音を立てないように力を籠める。
ゆっくりと広がっていくドアの向こう側、自分たちで整えた晶の部屋。
ベッドの上に――女神が腰を下ろしていた。
★
『結水 あきら』といえば、今や日本中あるいは世界中にTS女優として名を知らしめた存在である。
彼女の最大の売りは後期TSという激レア経歴と言っても間違いではないが、もちろん容姿だって抜群に優れている。
陽光を浴びる『結水 あきら』は、ただひたすらに美しかった。
長いまつ毛に縁どられた物憂げな眼差しは、男女の性別を混ぜ合わせた妖しい魅力を放っている。
すーっと通った鼻梁にジュ―シィな果実を思わせる唇、そして丁寧に手を入れられていることが遠目からでも見て取れる艶やかな黒髪。
どこを取っても文句のつけようもない美少女。かつての晶しか知らない者からすれば、到底同一人物とは信じられないほど。
日頃の努力によって完璧に調整された肢体に一瞬で意識が奪われた。
極小面積のビキニの水着に覆われた柔らかな曲線。シミひとつない白くきめ細かい肌を陽光が撫でつけることによって生み出す陰影。
これは……もはや至高の美と呼んで差支えない。思わず感嘆のため息が出る。
晶の部屋の中には、ベッドに座る本人以外にも大勢の――と言うほど多くもない人影があった。
壁際にスーツ姿の男性とメイク道具らしきものを構えた女性が、それぞれふたりずつ。
ラフな格好をした若い男が見たこともない、あるいは日常生活ではお目にかかることのなさそうな機材を抱えて晶の傍に控えている。
誰もが『結水 あきら』という美の女神に奉仕する従者たちであるかのように見えた。
唯一の例外は、室内に存在する最後のひとり――巨大なカメラを晶に向けて、一心不乱にシャッターを切り続けている禿頭の男。
この男だけは美の女神に奉仕するどころか、挑みかかるような独特の雰囲気を纏っている。
昨晩足を踏み入れた時はやけに広いと感じられた部屋だったが……晶本人を含めて都合7人もの人間がひしめき合っていては、さすがに手狭に見受けられる。
そのうちひとり――スーツの男性と目が合った。
本能的に『マズい』を思って身を引こうとしたが、あちらは軽く頷くだけで覗き見を咎めようとはしなかった。
男性の視線の動きにつられて晶を見やると、先ほどとは表情もポーズも変わっている。
笑顔を見せたり不満げに頬を膨らませたり、小生意気な視線をカメラに投げつけたり。
神々しさを覚えるほどだった『結水 あきら』こと晶は、今や年相応の少女の様相を呈していた。
いや、もともと彼女は16歳だから、これが普通なのだけれど。ギャップが凄い。
部屋に響き渡るのは連続したシャッター音。カメラマンと思われる男の声。そして晶の声。
カメラマンの声は基本的にはポーズや表情の指示が多かったけれど、それと同じくらい晶への賛美があった。
お世辞が混ざっているようにも感じられたが、当の本人はベッドの上で機嫌よくその声に耳を傾けている。
晶は指示に合わせてポーズを変え、表情を作り上げていく。とは言え100%完全にこなせているようでもないらしい。
例えば『笑顔』というオーダーに対しても、いくつものパターンを試している。複数の笑顔を使い分ける幼馴染の姿に衝撃を覚える。
カメラマンは時折首をかしげることもあった。なかなか満足する写真にならないようで、何度も撮り直しては追加で注文を増やしていく。
晶は不満を口にすることはなかったが、わからないことはわからないと素直に答えている。議論じみた雰囲気になることもあった。
傍目には華やかに見えていても、この現場は晶にとっては職場であり同時に戦場でもあるのだろう。一瞬たりとも気が抜けない。
時おり壁際に控えていた女性がメイクや髪形を整え直して、さらに撮影は続いていく。
(これが、晶の仕事……)
渦巻く熱気に気圧されていると、傍に人の気配を感じた。
こちらの部屋の片隅で眠っていた後のふたりが目を覚まし、自分と同じように晶の撮影を覗き見もとい見学している。
ふたりの反応は似たり寄ったりのもので、のそのそとやって来て部屋の中を窺い、息を呑んで慌てて口を自分の手でふさぐ。
別に『静かにしていろ』と言われたわけではないが、音を立ててはいけない雰囲気があった。迂闊に声をかけることも憚られる。
互いに顔を見合わせて頷き、そして無言で部屋の中に視線を向ける。6つの瞳は、もはや晶に釘付けであった。
晶がこの羽佐間市に戻ってきて約1週間。学校の教室や廊下で、あるいは休日のショッピングモールで見せる姿とは全く異なる彼女の一挙一動から目が離せない。
ドアの向こうは自分たちが突貫で仕上げた部屋だったはずが……今や晶の存在によって全く別の世界に変貌してしまったような錯覚に陥りかける。
良くも悪くもどこにでもあるマンションの一室だった空間は、今や立派な撮影スタジオと化してしまっていた。『結水 あきら』の圧倒的な存在感に引きずられるように。
(遠い……)
たった1年、されど1年。
その短くも長い時間を経て再会することが叶った幼馴染は、しかし以前のままではなかった。
さすがに女優として日本中で讃えられるだけあって美しさに磨きはかかっていたように感じられたが、その本質は『あの日』最後に瞳に焼き付けた彼女とあまり変わってはいない……そう思っていた。
そんなことはなかった。
思い違いだった。
いや、思い上がりだった。
家族に捨てられ、自分たちに見捨てられ(たと思い込んでいた)晶は、広い世界で多くのものを吸収して、一歩も二歩も前に進んでいた。
とても自分と同い年の人間とは思えなかった。ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染だとは思えなかった。
ベッドに腰を下ろし、ゴロリと寝転んだ姿。
カメラに向けられているであろう眼差し。
椅子に腰かけ、床に横たわり、カーテン越しに透ける肢体。
余すところなく、遠慮なく写真に収められていく幼馴染。
遠からず、何らかのメディアを通じて衆目に触れる彼女。
「きれい……」
耳元で囁かれた伊織の声に、無言で頷く。
知らず、ドアの桟を握る手に力が籠る。
胸を掻きむしりたくなるような焦燥を覚えた。
奥歯を噛みしめて言葉を封じ、幼馴染の姿を目蓋に焼き付けた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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