第24話 一期一会なんだよ
お勧めの本を手に取ってレジに並ぶと、すぐ後ろから慣れた息遣いを感じた。都だ。長い付き合いだから、見えなくてもわかる。
何か言うべきだとは思うものの、何を言えばいいかわからない。迂闊なことを口にすると地雷を踏みそうな予感に身体が竦む。
口を閉ざしたまま耳を澄ませて都の様子を窺いつつ、レジでスマイルを浮かべていた店員に本を渡した。
「……」
背後では都が沈黙を守っている。ずっと、ず~っと。
今にも爆発しそうな活火山のようであり、永遠に閉ざされた氷塊のようでもあった。
背筋を汗が伝うヒヤリとした感覚に震えたものの、無事に清算を終えて店外で待っていた孝弘や伊織と合流できた。
ふたりは何も買わなかったようだが、先ほどまでよりも漂う雰囲気が柔らかい。
ランチタイムでのアドバイスを元に孝弘が何かやったのかもしれない。
「本は買えたの、ふたりとも?」
――ふたり?
伊織の声に振り返ると、ぴったりと都が張り付いていた。
レジで別れた後は……まったく気配がしなかった。正直ちょっと怖い。
「お、おう。お陰様でな。ふたりも勧めてくれてありがとうな」
「結局買ったのは私と高坂君の奴だね」
手元を覗き込みながら尋ねてくる伊織に頷く。
「都の漫画は結構巻数があったから電子で買うわ」
「あ~、確かに長編の漫画はかさばる」
『わかるわかる。荷物持ってもらうにも限度があるよね』と納得する伊織、表情を変えない都。
……それほど不満を見せていないところから、多分機嫌を損ねてはいない。
これまでの経験から察するに……単純に漫画の冊数まで頭が回っていなかったのだろう。
「さて、お互いにこれで用事は済んだところだが……」
せっかく4人揃ったのに、飯食って本屋によって終わりというのも味気ない。
だからと言って用もないのにブラブラすると、荷物を抱えている孝弘の負担が大きい。
あまり好き勝手動き回るわけにもいかない。
ということで――
「もう一個だけ寄りたいところがあるんだけど……」
「まだ何か買うのか、お前」
「いいだろ、別に」
ウンザリ気味な孝弘に、口を尖らせて答える。
「それで、あきらはどこに行きたいの?」
「水着売り場」
★
「……俺は外で待ってていいか?」
「せっかくだからお前の意見を聞かせろ……つっても大体わかるけどな」
色とりどりの女性用水着が並ぶ華やかな一角で、居心地悪げに身体を揺らす孝弘にひと言チクリ。
コーナーにポツポツと見える人影は、そのほどんどが女性。稀にいる男性は彼女の付き添いといったところか。
エリア全体を見回してもモジモジしているのは孝弘だけで、他の連中は割合平然としている。場慣れの問題かもしれない。
「大体わかるって、どういう意味だ?」
「どうも何も、お前の好きなのってこういう奴だろ?」
陳列されている水着からいくつかをピックアップして見せつける。
黒、青、赤、白……色こそ違えどデザインはほとんど同じ。
シンプルな三角ビキニで布面積は小さめ。トップスは首の後ろで、ボトムスは左右で紐を結ぶ奴。
「へぇ、高坂君ってこういうのが好きなんだ?」
「ふ~ん」
ちょっと面白げに笑う伊織と、いかにも『興味ありません』という態度を貫く都は対照的だ。
「な!? 晶、お前な……」
「ま、コイツに限らず男ならこんなもんだろ」
晶と孝弘は十年来の親友だ。
エロトークも交わしていたし、雑誌を買えばグラビアの品評会もやっていた。
……もちろん都のいないところで、だが。
「可愛い系はダメなの?」
伊織がピックアップしてきたのはフリルがあしらわれた花柄のセパレート。
晶はそれを見て静かに首を横に振った。
「身も蓋もないことを言うと、そういうごてごてした飾りがついてるのよりシンプルな方が良い」
「それはアンタの趣味でしょ」
冷え冷えとした眼差しと共に都が口を挟んできた。
「否定はしねーが、男的にはあんまりフリルとかはそそられんのよ」
女性が水着を選ぶ基準は『見た目がかわいい』みたいなシンプルなものばかりではない。
自身の性格や体型と相談しつつ、アピールポイントを的確に突くと同時に見せたくない部分を隠すことになる。
グラビアアイドルとしても活動している晶は、これまでにも同業者たちの熱心な研究の一端に触れたことがある。
えらく難しいことを考えるものだと感心させられた。元男の晶が適当過ぎるとも言う。
ただ――
「女の基準と男の基準は違うんだよな」
ぶっちゃけた話、男が見たいのは水着ではなく身体だ。露出バンザイ。
「よっぽど贅肉がヤバいとかいう状況を除けば、身体を見せていった方が絶対ウケる」
「それは……あきらが自分に自信があるから言えることじゃないかな?」
「そうかぁ? なぁ孝弘、お前どう思う?」
「そういう話を俺に振るな。セクハラだぞ」
「いちいちメンドクサイこと言うね。この辺から買おうかと思ってたけどやめるか」
両手に持っていた(孝弘好みの)水着を買うのをやめると言いかけると、案の定この男は動揺を露わにした。
――スケベめ。
「……こんな時期に買うの、水着」
都が訝しげに眉を顰めた。伊織も同じ表情を浮かべている。
孝明は女子ふたりの反応が理解できない模様。
「水着は夏に買うものじゃないのか?」
「ううん、もっと早いうちから準備しておくことが多いかな」
「そうなのか?」
「いいデザインの奴から売れていくからなぁ」
「夏になってから買ってると間に合わないのよ」
普通の服でもシーズン前に売り始めるでしょ。
都が付け加えると、孝弘はようやく納得してくれた。
「だったら、今さら水着売り場に来る必要はなかったんじゃ?」
明らかにアウェーな空間で衆目を集める羽目にならなかったのではないか。
言外に責めを匂わせる孝弘に、晶は軽く肩をすくめた。
「それはそうなんだが……たまに掘り出し物があったりするし」
晶はこういうところに買い物に来た場合は、必ず水着売り場をチェックしている。
現地購入が基本で、あまり通販を利用することはない。
『一期一会なんだよ』と語ったところ、三方向から露骨に白い眼で見られた。
「そんなに水着ばっかり買ってどうするの?」
「どうするって、そりゃ着るんだよ」
「どこで?」
「撮影に決まってるだろ」
「ああいうのって準備されてるものじゃないの?」
「そういう場合もあるけど自前がほとんどだな。事前の打ち合わせで指定されたものを手持ちからってことが多い」
「ふ~ん」
「だから、水着が少ないと選択肢が減るわけでさ。『あ……この子、前と同じ奴着てる』とか思われたくないわけ」
「そんなの気にするところか?」
「するよ。たくさんの雑誌に載せてもらえるのはありがたいんだが、全部スクラップしてるファンとかいたらバレるし」
同じものばっかりだと恥ずかしいってのはあるけど、それ以上に読者を失望させたくない。
晶の声は真剣みを帯びてはいたが、3人にはイマイチ共感できない部分だったようだ。
財布の中身と相談した結果、孝弘をからかうために選んだ水着を2着買うことに決めた。
別に孝弘に見せるためだけではない。
晶の趣味だけを優先して水着を選ぶと、何となく似た傾向のものばかりになってしまう。
バリエーションが求められる状況、手っ取り早いのは他人の嗜好を取り入れることだ。
「ま、それはともかくとして……せっかく夏なんだから、どこか泳ぎにでも行きたいな」
「海とかイイね……って、あきら、そんな格好で海とかマズくない?」
「いや、さすがにこんな水着で泳いだりしねーから」
「そうなのか?」
「当たり前だろ。泳ぐんならもっと普通の水着にするし」
残念だったな。
ニシシと笑って見せると、孝弘は頬を赤らめて顔を逸らせてしまった。
どうやら買った水着を着た晶のイメージは刺激が強すぎたらしい。
誤魔化すように話題をずらしてくる。
「去年はどうだったんだ?」
「去年? 忙しくて暇がなかった」
「……そんなに忙しかったのか?」
孝弘の声に頷く。
東京に出て、事務所の社長に拾ってもらって、グラビアアイドルとしてデビューしたばかりの頃だ。
毎日が営業とレッスンの日々で、一日丸ごとオフだった日なんてなかったような気がする。
初めての東京の夏は、やたら暑かった。汗と太陽に苦しめられた記憶が鮮明に蘇ってくる。
「つっても殆ど営業回りばっかだったけど。あ、一回だけナイトプールに行ったな」
もちろん撮影な。
そう付け足すと、都が眉をしかめる。
「ナイトプールって、何かいやらしくない?」
「それは偏見だろ」
「行かないわよ」
「まだ何にも言ってねーよ」
『もしよかったら行ってみるか?』と誘おうとしたのに、機先を制されてしまった。
まぁ、誘ったところで断られるだろうとは予想できていたが……
「え、面白そうじゃない?」
にべもない返答の都に対し、伊織は意外なほどに乗り気だった。
真面目な委員長っぽい彼女の反応に晶たちの方が返答に窮する。
3人で一番最初に立ち直った都が口を開いた。
「伊織、あなたね……」
「だって機会がないと行こうって思わなさそうだし。何ごとも経験って言うじゃない」
都は潔癖すぎる。
そう指摘されると、ぐぬぬと都も唸らされている。
晶と孝弘は顔を見合わせた。互いの顔には軽い驚愕が浮かんでいる。
今は拗れている仲だから、あまりしつこく誘うことはできない。
けれど……たとえ仲直りしたところで、都をナイトプールに連れて行くのは困難だろうと思っていた。
それをいとも簡単に踏み込んでいくとは、伊織は晶たちの想像を超えて肝が太い。
「ね、あきら?」
「あ、ああ。そうだな……」
「いやいや、高校生だけで行くのは危ないだろ」
「だったらどっかプール付きのホテルで部屋取って遊ぶとか」
「お前……金銭感覚おかしくなってないか?」
言われてから気付いたが、確かにあまり高校生らしい発想ではなかったかもしれない。
折衷案を選んだつもりだったのだが。
『そういうのもアリかな』と思っていただけにショックがデカい。
「でもよ……どっかに旅行に行くよりは安いぞ」
遠隔地に旅行する場合の宿泊費や移動費を鑑みれば、近場のホテルを借りて遊ぶ方が安く済む。スケジュール調整も楽だ。
伝手は……まぁ、事務所にひと声かければ何とかなるだろう。
『時間をかけずに手軽にリゾート気分ってのも悪くないだろ』と付け加えると、都だけでなく孝弘も顔を曇らせる
「さすがにそう言うわけには行かんだろう?」
「ん? そうか?」
「ああ。自分の分は自分で出す」
「泊まるのには反対しないんだな」
引っかかってるのはそこかよ。
ホッとしたような水臭いような複雑な気分。
真っ向から否定されなくてよかったと言ったところか。
「それはまあ……興味がないと言えばウソになるな」
「正直でよろしい。オレとしてもその方が助かるし」
「助かる? なんで?」
首をかしげる伊織に笑みを向けた。苦笑だ。
「今年の夏も仕事は入れるけど、みんなで遊びに行きたいってのはマジ。そう考えると近場で贅沢するってのはアリだろ」
「仕事って……あんた仕事のし過ぎで倒れたって自覚あるの?」
棘のある都の声に、晶は口を尖らせた。
「まだそうと決まったわけじゃねーし」
「だからって……」
「心配してくれるんなら、お前も来ればいいじゃん」
「それは、その……」
ブツブツと呟きながらそっぽを向いてしまった都。
ショートボブの黒髪に覆われた耳の裏をかきながら、しばし黙考。
ややあって――
「……考えとく」
小さく、そう呟いた。
第2章終了まで残り2話!




