第23話 本当に変わったなぁ、お前
休日のショッピングモールは基本的に人出が多かった。
そこら中の人間が集まってくるという孝弘の表現は誇張ではなかった模様。
ランチの後で晶たちが訪れた書店も同様で、4人が固まって行動するにはいささか都合が悪い。
「都たちは参考書だろ?」
「ええ、そのつもり」
「晶は何を探してるんだ?」
「ん~、別に何ってわけじゃないんだが……できれば文庫サイズで面白い奴。昔のでも最近のでもいい」
「大雑把だなぁ。じゃあ、二手に分かれて探そっか」
「そうだな。孝弘、すまんが付き合ってくれ」
「言い方」
「お前、いちいち細かいよ。意識しすぎだろ、このスケベ」
晶がニヤニヤ笑顔を向けると、孝弘はそっぽを向いて眼鏡の位置を直していた。
典型的な照れ隠しの仕草だ。昔からちっとも変っていない。
スマートフォンに表示された時間をチェックし……脳裏に閃光が閃いた。
突発的に浮かんだアイデアは精査されることなく口から飛び出した。
「あ、都、せっかくだから連絡先教えてくれ」
「はぁ? 何でアンタに」
不快感MAXの反応が返ってきた。
予想できていたとはいえ、これは凹む。
「まぁまぁ都、そんなこと言わないで。別れて行動するんだから、グループ作っといた方が後で合流しやすいよね」
「そうそう」
「……はぁ、仕方ないか」
伊織が助け舟を出してくれたおかげで、渋々とは言え了承してくれた。
連絡先を交換してからグループを作成。
「それじゃ、また後でね」
「おう」
晶と孝弘、都と伊織のチームに分かれて本の国に足を踏み入れる。
ふたりの姿が見えなくなってから、ポツリと呟く。
「簡単に行き過ぎて驚いたわ」
「あれは葦原に感謝だな」
都のIDを手に入れるのはもっと苦労すると思っていた。
(入学当初はそれほど仲が拗れていなかった)孝弘経由で連絡しようものなら、確実に揉めていただろう。
少なくとも孝弘の時みたいに突撃メッセージをかましていたら、痛い目見る羽目になっていたのは確実。
うまい具合に切り出して、いい感じにフォローしてもらえた結果、想像以上の結果を手に入れた。
「お前の言うとおり、いい奴だな」
都たちが消えていった方を眺めながら、感じ入ったように孝弘が頷いている。
「だろ? あとで伊織にも何かお礼をしないと」
「ふむ……俺も協力しよう」
「……都にはバレないようにな」
★
「それにしても、お前の趣味が読書だなんて意外過ぎる」
「それを言うなら、お前の部活が文芸部だなんてのも意外過ぎるんだが」
「……ちがいない」
書棚の森をかき分けながら晶と孝弘の会話が続く。
先ほどまでの都を意識したものではなく、ごく何気ないもの。
緊張感から解放されて自然と舌の廻りが滑らかになる。
「オレは、まぁ何というか……仕事の休憩中とか移動時間とかに手元でできる趣味っつーとあんまり選択肢がなかった感じ」
「スマホのゲームとかはどうなんだ?」
近年の状況を鑑みれば、孝弘の提案はごくありふれたものに聞こえた。
しかし、晶にはその選択肢を取ることができなかった理由がある。
「売れるまで金がなかったって言ってんだろ」
「そんなに厳しかったのか、生活」
「まともに部屋を借りられなかった時点で察してくれ」
所属タレントの中で唯一の事務所暮らしであった。
後輩からの視線が結構キツかったことを覚えている。
「確かに。ふむ……何でもいいとは言っていたが、どんな本か目星ぐらいは付けてないのか?」
「う~ん、最近流行ってる有名どころか古典の名作あたりかねぇ。文芸部的に何かオススメとかないのか?」
昔の孝弘はあまり本を読むタイプではなかった。
どういう心境の変化があったのかはわからないが、文芸部に入っている以上は以前より書を嗜むようにはなったのだろう。
期待を込めて尋ねると、
「そうは言われてもな……最近はテレビやインターネットで宣伝される有名どころぐらいしか読んでないぞ」
「ま、大抵はそうなんじゃね」
「漫画と小説ならどっちがいいんだ?」
「できれば小説」
「本当に変わったなぁ、お前」
昔の晶だったら躊躇いなく『漫画』と答えていただろう。
「漫画と小説だと、同じ金を払った場合のコスパが違う」
「……本当に変わったなぁ、お前」
別に漫画が嫌いになったわけではない。
ただ、同じ金額を払うと仮定すると……漫画はほんの数十分で読み終わるが小説なら数時間は楽しめる。
空いた時間を利用してチマチマ読み進めていけば、延べ数日。
この差は貧乏役者としてはバカにできなかった。そして習慣づいた。
「あと……この仕事始めて思い知らされたけど、オレは基本的に教養が足りてないのな」
「教養?」
ああ、と晶は頷いた。
その表情は真剣そのもの。
尋ね返した孝弘が驚いた風に目をパチパチしている。
「他の共演者がごく自然に話題にするような本の知識がないんだ。古典も流行のものも」
「それは……そんなにか?」
「ああ。他のみんなはめっちゃ勉強してる。演技するためには日々の生活に……というかほかの人間の言動にアンテナ張るのは必須として、それ以外に教養もいるんだよな」
社長にも口を酸っぱくして言われたことだ。
近年の流行作品には顧客たるユーザーのニーズが詰まっている。
古典の名作には長い歴史によって洗練された人間の心を揺さぶる何かが詰まっている。
成り行き任せでデビューした晶にはどちらの知識も欠落している。だけど、諦めるわけにもいかない。
「隙間時間を利用して足りない部分は埋めていかないとな」
「見た目は華々しそうな仕事なのに、色々大変だな」
「あれだな。水面に浮かぶ白鳥が水中では必死に足をバタバタさせてる奴。別にオレに限った話じゃねぇよ」
「そういうものか……」
書店員お勧めのコーナーを見て回る。
古典的名作はある程度までは判断ができる。
学校の教科書にも出てくるレベルの有名な作品や著名な作家のものを選べば大外れはしない。
別に大学とかで専門的に研究するほどの知識を求めているわけではない。
でも……最近の本はさっぱりわからない。
何か大きな賞を取ったとかなら目に付くけれど、隠れた名作的なものを探そうとすると今度は時間が足りない。
そして賞を取ったからといって、必ずしも面白いとは限らない。
時間をかけて読んだ挙句に中身がクソだったときの怒りはなかなか収まるものではない。
信頼できる筋からの情報が欲しい。
「というわけで、頼りにしてるわ」
「……せっかくグループを作ったんだから、他のふたりにも聞いてみたらどうだ?」
「お前、いきなりそういうこと言うかね……まぁいいけど」
孝弘が文芸部員と聞いてかなり期待していたのに、この自信のなさ。
こういうところは以前とあまり変わっていない。
単純に手札がないのか、それとも謙遜なのか。長い付き合いの晶にも俄かには判断しがたい。
「ちなみに……お前、これまでどうやって本を選んでたの?」
テレビやネット以外で。
そう尋ねると、
「基本的には先輩が勧めてくれたものを読んでいたな」
わりとあっさり白状した。
なるほど、晶が孝弘をあてにしたように、孝弘も先輩をあてにしていたのか、って……
「え、あの文芸部に先輩っていたの?」
あの時間的にも空間的にも隔離された部屋に、孝弘以外の人間がいたという状況がイメージしづらい。
佐倉坂高校文芸部の印象は、大男がひとりで小さな机に座っている絵で何となく固定されていた。
「この3月で卒業した。言ってなかったか?」
「う~ん、聞いたような気もする。ちなみに何人くらいいたのさ?」
「ふたりだな」
「へぇ、結構いたんじゃん。ちなみにその先輩は男、女?」
「ん? 男子と女子がひとりずつだ」
「あっそ」
「ふたりは付き合っていてな。あれを仲睦まじいというのだろうな」
数か月前を思い出したのか、感慨深げに頷いている。
口調はまともなのに、内容がまともではない。
「……その空間に居座ることができるお前の肝の太さよ」
『二の句が継げぬ』とはまさにこのこと。心の中で顔も知らない先輩カップルに頭を下げた。
『無作法な奴で申し訳ございませんでした』と。
きょとんとしている孝弘の顔が妙に神経に障る。空気読んで。
気を取り直して……晶はバッグから取り出したスマートフォンを操作し、新しく作ったばかりのグループにメッセージを投下。
『何か面白い本知らねーか?』
参考書を選んでいたはずのふたりから、速攻で返事が書き込まれる。
この反応の速さ、さすが女子高生と言ったところか。
一応女子高生である晶にも、これはなかなか真似できない。
タイトルだけがどんどんと流れてくるタイムラインをチェックした限りでは……
「都のは少女漫画、伊織は最近の小説だな」
「買うのは小説でいいのか?」
孝弘が気にしているのは『都のオススメをスルーしてもいいのか?』と言うことだろう。
『ああ』と頷いておく。
「漫画はかさばるから電子書籍だな」
「結局買うのか」
「せっかく都が勧めてくれたんだから、読まないわけには行かないだろ。それに少女漫画ってバカにできないぞ」
晶が出演するドラマは今のところ恋愛がらみが多い。
そして、その手の話題において少女漫画は強い。
絵のおかげでわかりやすいのもポイントが高い。
「金の方は大丈夫なのか?」
「お陰様で最近は懐も温かい」
テレビドラマで名前が売れたお陰だな。
名前を売って仕事を貰って、収入で自分を磨く。そしてさらに名前をあげて仕事を貰う。
この好循環を維持していくことでステップアップを図る。
どんな仕事も同じだろうが、生き残るためには自己研鑽は欠かせない。
「そんで、お前のオススメは?」
「……そこまで言われると、黙ってもいられないな。少し待っていろ」
「先輩に勧められた奴でもいいぞ」
「そういうわけにも行くか、見てろよ」
「頼りにしてるぜ、親友」
気合を入れて本棚に挑む孝弘の背中をポンと掌で叩き、柔らかい笑顔と声援を送った。




