第21話 気合入ってるね
今回は伊織側から。
少し長めになりました。
『県立佐倉坂高校』2年C組のクラス委員長『葦原 伊織』は同校で生徒会副会長を務める『仲村 都』の友人である。
親友と称するには、まだ少し気恥しい。都が自分のことをどう思ってくれているか自信がない。
休みの日には一緒に出掛けたりはするけれど……あと一歩が踏み出しづらい、そんな関係。
1年生の時、伊織はやはりクラス委員長だった。その時にたまたま同じクラスだった都と知り合った。
秋ごろの何かの行事(体育祭だったか文化祭だったか……忙しすぎて当時の記憶は曖昧だ)でぐるぐる目を回していた伊織を都が手伝ってくれたのが、仲良くなるきっかけだった。
『忙しそうね、手伝うわ』
ひとりぼっちで誰も助けてくれなくて、放課後の教室で途方に暮れていたところにかけられた言葉。
ともすればぶっきらぼうにも聞こえる会話からふたりの友情は始まった。
それ以前の半年ぐらいは、あまり話をする機会がなかったように思う。
話の内容も連絡ごとぐらいで、現在の2年C組における自分と『高坂 孝弘』のと関係に近かった。
『仲村 都』という人物は見目麗しいものの表情が冷たいというか……まるで氷でできたマスクをかぶっているような印象を抱いていた。
いざ話すようになると真面目でありながらジョークも解する人柄で、どうして周囲に馴染まないのか、あるいは馴染もうとしないのか不思議に思ったものだ。
都は伊織に付き合う形で様々なイベントに首を突っ込むようになり、その姿が多くの人の目に留まった結果、今年度は生徒会入りしてしまった。
晶に紹介した際に彼女の口から『生徒会なんて教師の使い走り』などというフレーズが飛び出てびっくりした。
ひょっとしたら都は生徒会副会長という今のポジションが気に入らないのかもしれない。
そんなことを不安に思う今日この頃。彼女の現在の境遇は、元をたどれば自分のせいな気がするので申し訳なさもある。
それはともかく、この土曜日である。
夏休み、それも高校2年生の夏休みを間近に控えた土曜日である。
都から『大学受験を見据えた参考書を見たいから一緒にどう?』などと誘われて、ふたつ返事でオッケーした。行き先は佐倉坂近辺のヒマ人御用達のショッピングモール。
……伊織的には『高校2年生の夏休みって、余計なことを考えずに思いっきり遊べる最後の長期休暇なのでは?』などと首をかしげたくなる。
とは言うものの『都は真面目だなぁ』と納得できなくもない。できればどこか(海とか山とかプールとか)に遊びに行きたいという本音はそっと胸の奥にしまっておいた。
当日つまり今日、待ち合わせ場所である最寄り駅にやってきた都の姿を目の当たりにして――仰天した。
「都……今日は気合入ってるね」
思わずそう呟いてしまった。動揺が顔に出なかったか、焦った。
都が身につけている衣服は、以前にふたりで選んで買ったお気に入りのもの……だったはず。
彼女はスカートよりはパンツルックを好むので、服装のチョイスに疑問はない。
……ないのだが『気合入っている』と口走ってしまうほどに、いつもとは違う。
例えば首元に輝く銀のネックレスとか。普段はあまりアクセサリの類は身につけないくせに。
メイクもいつもよりレベルが高い。ショートボブの毛先も、かなり丁寧に整えてある。
「お待たせ。それはもちろん、今日は気合を入れて参考書を探さなきゃならないもの」
受験に向けてそろそろエンジンかけないとね。
都の口上を耳にして、呆れた。
(う~ん、違う。そっちじゃない)
どこの世の中に受験勉強用の参考書を買いに行くために気合を入れておしゃれする高校生がいるのか。いや、いるかもしれないけれど。
そうではなくて……都の気合の入れようは、想い人との待ち合わせ――即ちデート的な意味合いに見受けられる。
伊織が知る限り、都にはそう言った異性の影はない。
何度か告白されたという噂は聞いたことがあるものの、色よい返事を返したという話は聞かない。
同性の目から見ても『仲村 都』は人目を惹く存在だ。
整った容姿に凛とした佇まい。時折穏やかで柔らかい気質を覗かせるところもギャップがあっていい。
学業成績も運動神経も良くて、男女どころか生徒や教師といった立場を問わずに支持を集めている。
もし生徒会長選挙に立候補していたら、当選確実だっただろうと思われる。
実際に声はかかったらしいが『興味がない』と断ったそうで、今は生徒会長から請われて副会長の椅子に座っている。
それほどの完璧超人である都が友人であることを密かに誇らしく思っていた伊織だったから――先日は驚かされたものだ。
『悠木 晶』
夏休み直前という季節外れの時期に2年C組に編入してきた同い年の少女。
その正体は、ここ半年の間でテレビや雑誌で頻繁に見かけるようになった有名TS女優『結水 あきら』その人。
テレビの向こう側の住人、そんなトンデモビッグネームが自分のクラスにやってくると事前に聞かされてビックリした。
色々厄介なことになるかもしれないから助けてあげてほしいと担任に頭を下げられて、ふたつ返事で頷いた。
別に頼まれなくても困っている人間がいるなら手を貸すのが当たり前だと思うから。
担任の配慮で隣の席に座ってもらうこととなった彼女は――モニター越しに見る姿の3割増しできれいだった。
ここまで容姿に優れすぎていると、伊織の場合もはや嫉妬の念など湧かない。そんな晶に『可愛い』などと言われると恐縮してしまう。
……事がおこったのは晶の編入初日。放課後に校内を案内している最中に出会った友人である都を紹介した時であった。
『はじめまして、悠木さん』
都の挨拶はクールなどというレベルではなかった。一緒に聞いていた伊織の背筋も震えた。
自慢の友人があんな表情をするところは初めて見た。ちょっと言葉にはしづらい奇妙な表情。
あの時の『仲村 都』の顔には驚き、喜び、怒り、嫌悪、その他さまざまな感情が渦巻いていたように思う。
一年近く友人をやっていたはずの伊織をして記憶にない都の顔に、困惑すら覚えた。
(都って、あきらに対してだけ当たりがきついのよね。なんでだろう?)
晶に直截確認したけど、ふたりは以前からの知り合いだったという。
あとで西中出身者に話を聞いたところ、『悠木 晶』『仲村 都』そして『高坂 孝弘』は幼稚園の頃からの幼馴染で腐れ縁。
中学校時代はだいたい3人でつるんでいたとのこと。当時の都はふたり以外とはあまり関わりがなかったと聞いてまたビックリ。
それはともかく……話を聞く限りでは、どうやら彼らの間には浅からぬ因縁がある模様。噂と現況が一致していないのだ。
伊織が観察する範囲内ではあるが、都と晶の関係は上手く噛み合っていないように見える。
都が『高坂 孝弘』と仲が良かったという話も初めて聞いたように思うけれど……1年生の前半あたりはどうだっただろう?
さすがに親しくなる前のことに関しては自信がない。しかも1年の頃は自分や都と孝弘とはクラスが違っていたから猶更だ。
近しく感じていた友人の知らない一面を見せられて、ここ最近の伊織は些か戸惑い気味だった。
そこに来て本日のオシャレモードだ。何だかもう一周回って面白くなってきた。初めて見る都の可愛いところは実に新鮮だった。
……そう考えていた自分が甘かったと、すぐに思い知らされることになるのだが。
★
ショッピングモールに足を踏み入れた都は書店に直行……しなかった。
ウロウロキョロキョロ。まるで誰かを探しているようだ。
「都、どうしたの?」
「え? ううん、何もないけど……何?」
「……なんでもない」
あからさまに様子がおかしいのだが、指摘しても誤魔化される気がする。
案外『受験用の参考書を探しに来た』というのはただの言い訳で、実は気になる人の姿をひと目……などという乙女チックな理由なのかもしれない。
(だとしたら――都の本命を知るチャンスなのでは?)
せっかくなのでしばらく挙動不審の友人を泳がせることにした。
ややあって都の身体がビクリと震え、目線が定まった。
(これはビンゴかも!?)
「ねぇ伊織、お腹空かない?」
「え、そうだね……うん、空いたかも」
予想外の台詞に腕時計を見やると、確かに昼を少し過ぎている。
まだここに来て何もしていないが、食事を摂るにはおかしい時間でもない。
一連のアクションからの話の流れは、明らかにおかしかったが。
都の先導で入った喫茶店は初めての店だった。
人でごった返しているモールの中では珍しく落ち着いた雰囲気でイイ感じ。
席についてメニューを眺めていると……都の視線がまた忙しなく泳いでいる。
(何かな……えっ!?)
それとなく周囲を窺っていると、聞き覚えのある声がした。
『そう言えば、お前に言っておきたいことがある』
おかしな言い回しだなと思いつつ声の発信源に目をやると……すっかり見慣れた少女の姿があった。
いつも教室で隣の席に座っている超絶美少女『悠木 晶』がそこにいた。休日の彼女は常に増して輝いていた。変装のつもりか眼鏡かけてるけどオーラは隠せていない。
彼女が話しかけているのはテーブルを挟んで対面に腰を下ろしている男子――大柄な細身に怜悧な顔立ち、ノンフレームの眼鏡。こちらの顔も知っている。『高坂 孝弘』だ。
(あきらと高坂君……幼馴染ならおかしくはないかな?)
おかしいのは目の前でふたりを凝視している都だった。
都は晶たちの一挙一動にチェックを入れている。
何やらブツブツ呟いているが、伊織の耳にまでは届いていない。
(おしゃれしてる都……ということは、狙いは高坂君?)
素直に推測を重ねていくと、そうなる。普段の没交渉ぶりはあえて自分の気持ちを押し隠しているとか。あるいは周囲にバレないようにしているとか。
あまり都らしくない気もするけれど……恋とはそういうものかもしれない。初恋すら未経験の伊織には判別できない。
言葉に出さないまま眼前の友人を観察していると、その間にも向こうのテーブルで晶が言葉を連ねていく。
『伊織、めっちゃいい奴じゃん。天使かよ』
『教科書を忘れたら机をくっつけて見せてくれる』
『さっさと帰りたい頃合いだろうに放課後返上で学校を案内してくれる』
『休み時間に集まってくる生徒を抑えてくれる』
『授業で教室を移動したり着替えたりするときも、記憶から抜けているところをちゃんと教えてくれる』
などなど。
(天使って……あきらの中で私ってどうなってるの!?)
物凄い自分推しで恥ずかしくて死ねる。
そして晶が伊織を推すたびに都の様子が奇怪に捻れていく。
……なんかもう危険水域を突破した感じ。噴火寸前の火山にも似ている。
(高坂君の前で私を推すのやめて―――――!)
声にならない悲鳴をあげながら、しかし動くことは叶わない。
自分は何も気づいていない振りをしているのだから。
様子見に回ったのが裏目に出てしまった。
『メンドクサイことばかりなのに、『当たり前だよ』ってマジ天使』
(当たり前のことを当たり前だって言っただけなのに、そんなに褒めないで!)
できれば今、このタイミングでは自重して。
伊織の思いが通じたか……ようやく晶の伊織上げは止まった。
そこからの話は『流石ひと足先に社会に出てるだけのことはあるな』と頷かされる真面目なものだった。
16歳にして人生の成功者である『結水 あきら』は、華やかな活躍ぶりからは想像しがたいが意外なほどに苦労してきたようだ。
教室で見せている八方美人的な姿とは裏腹に思考は割とドライで、周りの人間と意図的に距離を置いているように聞こえる。
そういうスタンスは実のところ伊織にも通じる部分があり、彼女の言葉はすーっと胸に入ってくる。
(あきらはいいこと言うなあ。高坂君が『ありがとう』って言ってくれたら……やりやすいかも)
などと暢気なことを考えていたら、
『……都は?』
『アイツとはあれ以来全然……』
『そっか……はぁ、アイツも大概拗らせてんな』
(そこ、いいこと言って! ため息禁止!)
都の話題が出たとたんにこの有様である。伊織の話との温度差が酷すぎる。
眼前では当の本人がメニューで顔を隠したままプルプルと震えている。
色鮮やかに印刷された冊子のうち手のひらで掴んでいる部分はもうクシャクシャで、店に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「えっと、都?」
おそるおそる声をかけてみるも、返事はなかった。
伊織の言葉を待つことなく、都は席を立っていた。
そのままふたりのテーブルに向かっていく。後ろ姿がちょっと怖い。
そして――
「なんだか面白そうな話をしているみたいだけど、声が大きいんじゃないかしら?」
ただのひと言で嵐を予感させる、そんな声。
晶たちも突然現れた都を見て、驚愕を露わにしている。
――知らんぷりはできないよね。
「私もいるよ」
覚悟を決めて晶たちのテーブルに合流する。
……自分の顔が引き攣っているのも、ちょっと恨みがましい眼で見つめているのも許してほしい。




