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第20話 心を鬼にして上から目線で


「そう言えば、お前に言っておきたいことがある」


 そのひと言で、先ほどまでのふざけた雰囲気から場の空気が一変した。

 真剣な眼差しを向ける(あきら)を前に、孝弘(たかひろ)は身じろぎして居住まいを正す。

 パスタにハンバーグ、ピザが並ぶテーブルに緊張が走る。


「……なんだ、いきなり?」


伊織(いおり)のことだ」


「伊織? 誰だ?」


 名前を聞いただけでは要領を得ない孝弘に苛立ちが募る。

 クールな眼鏡の奥のきょとんとした表情。特に隔意などなさそうなのが余計に質が悪い。


「お前な……クラス委員長の伊織だよ!」


「委員長? ……ああ、葦原(あしはら)か。彼女がどうした?」


「『どうした?』じゃねーよ。お前、なんで伊織を威嚇してんの!?」


 晶の脳裏に思い浮かぶのは編入初日の教室での一幕。

 いまだ孝弘との距離は開いたままで、自分の周りはクラスメートが取り囲まれていて。

 その人垣の向こうに見えた孝弘と、クラス委員長である伊織とのやり取り。

 あの時の伊織は手をこまねいていたものの、結局プリントを手渡すことには成功していたようだったが……


「別に……俺は葦原を威嚇なんてしていないが」


「いや、してた。つ~か、傍からはそう見える」


「そうか? でも、それが問題か?」


「問題だよ。大問題だよ!」


 親友の芯を外した受け答えに、晶は思わずデコピンをかました。

 あまり力を入れていないので、どうせたいして痛くないはずなのだが。


「伊織、めっちゃいい奴じゃん」


「それはまぁ……否定はしない。彼女はクラスの委員長として頑張っていると思う」


「だろ? それなのにお前のむすっとしたツラは何なの?」


「それとこれとは関係なくないか?」


 晶が見る限りでは、孝弘は概ね誰に対しても同じような態度を取っている。

 例外は晶と(みやこ)ぐらい――と言っても後者とは今のところ校内で接触しているところを見たことはない。

『孝弘はほかの人間には興味がない』ということは、表面的にしか関わらないからクラスメートにはバレていないだけだ。

 ……実際はバレているのかもしれないが。


「お前のことだから、どうでもいい人間とイチイチ付き合うのはめんどくさいとか、エネルギーの浪費だとか考えてるんだろうけどさ」


「……まるで見てきたように言うな」


「違うのかよ?」


「違わない。別に葦原に限った話ではないが、クラスの連中とはどうにも波長が合わなくてな。会話するのが億劫になる」


「それはオレもだよ」


「そうなのか?」


 晶の言葉に、孝弘はやけに驚いた顔を見せた。

『まぁ、そういう反応になるだろうな』と内心で嘆息する。


「TSしてから……と言うか編入してからのお前は誰に対しても愛想よくしているし、教室の中心に入っているように見えるぞ」


「あれは様子見て適当に話を合わせてるだけ。みんなのことを知ろうとは思ってるんだが、正直オレもあまり溶け込めてはいないな」


「何でそんな面倒なことをするのか、逆に聞きたいんだが?」


 ついでに、どうして自分が責められているのか聞きたそうでもあった。

 晶は腕を組んで天井を見つめ、頭の中で思考を整理する。

 そのポーズは盛り上がった胸元を微妙に強調してしまっているが、本人は気が付いていない。

 気付いている孝弘は、そっと視線を横にずらした。

 ややあって、考えがまとまった晶が口を開く。


「オレの場合は『高校生を分かってない』って言われたから勉強してるってのもあるけど、それを抜いても別に仲悪くするメリットなんてないしな」


「メリットデメリットの問題なのか?」


 問われて晶は頷いた。


「言い方は悪いがそんな感じ。興味ない人間と仲良くする時間を別のことに使いたいってお前の気持ちもわからんでもないが……せめて伊織ぐらい自分のことを気にかけてくれる子のことは、別扱いにしろよ」


「む……むぅ……」


「伊織ってさ、委員長やってるけど……あれ立候補か?」


 伊織について疑問に思っていたことを、ついでに尋ねてみる。

 どうにも自分で手を挙げて『委員長やります!』なんて言いそうなタイプに見えない。

 孝弘は顎を撫でながら、おずおずと答えた。


「いや、確か違ったはずだ。『昨年もやっていたから今年も~』という流れだった」


「じゃあ、本人にしても好き好んでやってるわけじゃないんだろ。それなのにお前みたいに仏頂面で威嚇してくる大男にも話しかけなきゃならんの、結構大変だと思うぞ」


 ごく一般的(?)な生徒である晶や孝弘とは違い、委員長である伊織にはクラスメイトを無視するとか距離を置くと言った選択肢がない。

 彼女だって普通の高校2年生だ。人付き合いにしてもやりやすい相手もいればやりにくい相手もいるだろうに。


「お前からしてみれば無駄なロスを減らしているつもりだろうけど、結局その分を伊織が負担してるってだけだからな」


「そ、それは……そうなるのか」


「ああ。伊織はいい奴だ。色々な面倒事を引き受けて嫌な顔ひとつ見せないじゃねーか。天使かよ」


 教科書を忘れたら机をくっつけて見せてくれる。

 わからないところを教師にあてられたら、そっと答えを教えてくれる。

 さっさと帰りたい頃合いだろうに放課後返上で学校を案内してくれる。

 休み時間に晶の周りに集まってくる生徒を抑えてくれる(マネージャーかよ)。

 ……あれはクラスメイトの恨みを買っているのではないかとハラハラさせられるのだが。

 授業で教室を移動したり着替えたりするときも、記憶から抜けているところをちゃんと教えてくれる。

 2年C組のラインでもログを見ている限り、あまりおかしなことにならないように気を遣っているさまが見て取れる。

 ほかにも晶自身が気づいていないであろう細やかなアレコレをフォローしてくれているだろう。

 そして一番大きいのが――どれもこれもメンドクサイことばかりなのに、『当たり前だよ』と笑顔で応えてくれる。


 指折り数えてみると、たった一週間しかたっていないのに、晶は伊織の世話になりっぱなしである。

 夏休みに入る前に、何かお礼をした方が良いのではないかと改めて考えさせられる。かなりマジで。


「そんな伊織でも一方的に負担を強いたら印象が悪くなる。孤高を気取るのは……まぁ、中学時代のオレ等はそんな感じだったけど、あまりよくはないぞ」


『孤高を気取る』という部分に孝弘がピクリと反応した。

 多少なりとも自己認識しているようだ。

 ……ネガティブな方向に考えて居なさそうなのが、これまた厄介。


「別に媚びを売れとか誰それ構わずヘラヘラしろとか言ってるわけじゃねぇ。自分に対して誠意をもって関わってくれる相手には、こっちからも誠意を返した方が良い」


「随分と上から目線だな」


「上からっつーか、一足先に社会を見てきた人間として言わせてもらってる。気に障ったなら謝る」


「……お前も、苦労したのか?」


 孝弘の口ぶりは『気に障った』という感じではなかったが、戸惑っている風ではあった。


「した。めっちゃした。事務所に入って仕事もらって……初めの頃のことを思い出すと、今でも悶絶するぞ」


 口にした傍から、晶は羞恥に染まった顔を見られたくなくて両の掌で覆ってしまう。

 もっと自分は大人だと思っていた。

 少なくとも今すぐ社会に出てもそれなりに通用する程度には。

 でも、そうじゃなかった。現実は厳しくて、晶はまだ子どもだった。

 学校という狭い世界の中では通用していたアレコレは、広い社会ではまるで意味をなさない。


「そんなにか?」


「そんなにだ。これから大学行って社会に出たら嫌でも人付き合いって発生していくもんだし、このあたりで勉強と思って試してみてもいいんじゃね?」


「勉強……勉強か」


「そ。別に失敗してもいいじゃん。どうせ大学行ったら大半の連中とは縁が切れるだろうしさ」


「えらくドライだな」


「だって、そうだろ。小・中・高あたりまではともかく、ここから先の進路はみんなバラバラになる。人によっては二度と会わないかもしれねーし。社会に出てから失敗するよかマシだぜ」


「ふむ……」


「難しいことをやれってんじゃねぇ。別にお喋りグループに入るとか、そんなのはいらねーと思う。ただ、自分のために何かしてくれた相手に『ありがとう』ぐらい言ってみたらどうだ?」


「え、それは普通に言ってるだろう?」


「言えてないから言ってるんだが」


『何かして貰ったら、ちゃんとお礼を言いましょう』って幼稚園のあたりで教わるけれど、実践できているかというとそうでもない。

『ああ』とか『うん』とか、そんな生返事で返している場合も少なくない。

 晶が観察していた孝弘と伊織の関係においては、概ねそんな感じだった。あれでは伊織もやりづらかろう。


「そ、そうか……できてなかったか」


「『ありがとう』ってお礼言われて悪い気分になる奴はいないだろうし、それだけでもお前の拒絶オーラは和らぐと思う」


「そんなオーラを出した覚えはないんだが」


「出してるから言ってるんだが……こりゃ重症だな」


 教室での孝弘は、晶と会う前のまま――幼稚園時代の姿を彷彿とさせる。

 中学校までは晶が間に入ることである程度クッションとなっていたけれど、その晶ですら社会に出てしまうとまるで通用しないのだ。

 きっと孝弘は晶と同じところ……否、それ以前の段階でズッコケる事が容易に想像できてしまう。

 だから、あえて心を鬼にして上から目線で説教する。

 これで孝弘にウザがられたらショックだが……この親友はそういう男ではない。信じている。


「わかった……いや、わかったと思う。できるかどうかはわからないが……善処してみる」


 晶の期待どおり、孝弘はちゃんと応えてくれた。

 真摯に忠告した甲斐があったとホッと胸を撫で下ろした。

 いつの間にか力が入っていた拳をゆっくりと開いて椅子に座り直し、『ふ~』っと大きく息を吐き出す。


「そう言ってもらって助かるわ。まだ高校2年の1学期だし、卒業までにゆっくりやってきゃいいだろ」


「えらく悠長に聞こえるな」


「だって、今すぐ社会に出るわけじゃねーんだろ? それとも、どっかでバイトとかしてるのか?」


 晶の問いに孝弘は首を横に振った。


「いや、アルバイトはしていない……そうか、アルバイトか」


「?」


「すまん、何でもない。こっちの話だ」


「そうか。ちょっと調子に乗りすぎたかもしれん。イラっと来たら遠慮なく言ってくれ」


「そんなことはない。すでに仕事をしている人間が身近にいると勉強になるな。あまりこういう話ができる相手はいないものだ」


「……都は?」


「アイツとはあれ以来全然……」


「そっか……はぁ、アイツも大概拗らせてんな」


 めんどくさい。

 声には出さなかったものの晶と孝弘の思いは一致していた。

 心なしか、眼前に広げられた食べかけの料理が色あせて見える。

 しかし『食べてやらねば可愛そうではないか』と手を伸ばしかけたところに、


「なんだか面白そうな話をしているみたいだけど、声が大きいんじゃないかしら?」


 その問いは唐突に飛び込んできた。

 揃ってため息をついていた晶と孝弘は身体をビクリを跳ね上げてテーブルの脇を見やる。

 そこに立っていたのは――ショートボブの美少女。晶たちにとっては見慣れた顔。


「都……なんでここに?」


「私もいるよ」


 都にばかり気を取られてしまったが、その小さな人影の傍にもうひとりいた。

 こちらも聞き覚えのある声だったけれど、シルエットがいつもと少し違っていて一瞬誰だかわからなかった。

 緩く波打つ髪をまとめてみると……ここ数日で脳裏にインプットされた見慣れた姿と重なった。

 つい先ほどまで話題にあげていた本人、2年C組クラス委員長の『葦原 伊織』だった。

 髪型が変わるとかなり印象が変わる。いつもと違って、こちらも可愛らしい。


「え? 伊織か? ……どうなってんだ?」


「どうって、用事があるって言ったでしょ」


 にこりともせず、冷然と言い放つ都であった。鋭い眼差しが晶たちを射抜いてくる。

 腕を組んで肩を怒らせて……『あまり落ち着いた喫茶店でするポーズじゃないな』とは口にできなかった。

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