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第17話 きっと誰のためにもならないから


 病院を後にして駅に向かう途中で、見知ったシルエットを発見。

 頭で考えるよりも早く声をかけてしまった。反射的に『マズい』と思わなくもなかったが、時すでに遅し。


「おい、(みやこ)!」


 振り返るショートボブ。

 その表情は……何とも苦々しげ。目が窄まって怖い。

 せっかく可愛いのだから、もう少し何とかならないものか。

 ……などと諸悪の根源の口からは到底言えない。

 都が(あきら)に敵意を抱いている原因は、どう考えても一年前のあの日の出来事。

『荷解きを手伝いに来てあげたら、幼馴染同士の情事(未遂)を目の当たりにする羽目になった件』に他ならない。


「……何?」


「いや、何って姿が見えたからつい……」


「あっそ」


 それだけ口にして再び前を向いてしまったので、晶は小走りに接近して横に並ぶ。

 都は引き離すために躍起になるかと思いきや、別にそんなことはなかった。

 これ幸いと横目で上から下までチェックを入れる。ラフなパンツルックだ。ちょっとしたお使いといったところか。

 一応メイクはしているようだが、それほど気合は入っていない。


「なぁ、いま暇か?」


「暇に見えるの?」


「見えるから聞いたんだけど。ちょっと話をしないか?」


「なら暇なんじゃない? 私から話すことなんてないけど」


 勝手に喋る分には無理に遮らない。

 それは無関心につながるリアクションではあるものの……対話のチャンスは逃せない。

 いきなりすぎて戸惑いはしたが、夏休みは近いのだ。ここを逃すと一月以上顔を合わせるタイミングがないかもしれない。


「話って言っても、オレのことじゃなくてな」


「じゃあ何?」


孝弘(たかひろ)だよ。お前、アイツと喧嘩してんの?」


「……心当たりないって言うつもり?」


「言わねーよ。わかってるし。だけどよ……」


「……だけど?」


 促されて、晶はグッと息を呑んだ。

 言わねばならぬと思っていても、いざ口にするには勇気がいる。

 だからと言って先延ばしにはできない。それはきっと誰のためにもならないから。


「あれはオレが一方的に誘っただけだし、孝弘はちゃんと拒絶したし、あと……何もなかったって」


「あっそ」


 勇気を振り絞っての一大告白をあっさり躱されて面食らう。

 ぐぬぬ……と唸りつつも、引き下がるわけには行かない。

 都の精神防壁を突破するには、これだけではまだ足りないのだ。

 むしろここからが本命と言ってもいい。頭をフル回転させて言葉を手繰る。


「別にオレのことを許せとは言わねーがよ、孝弘とはちゃんと仲直りしろよ」


「それをどうしてアンタに言われなきゃならないわけ?」


 都の口から零れる言葉は、そのひと言ひと言の切れ味が鋭い。

 眼差しも口調も鋭利すぎて、触れただけで大怪我しそう。


「だって……それは……」


「孝弘がどうにかしたいと思ってるのなら、自分で来るのが筋でしょ」


「いや、ちょっと待ってくれ。それはだな……」


 孝弘が必死に弁解したら、それこそ怪しく見えてしまうではないか。

 特に晶がいなかった1年間は、孝弘にとっては針の筵だっただろう。

 何を言っても信じてもらえそうにないし、なまじ同じ学校に通うだけに距離を置くこともできない。

 

「だからってアンタがイチイチ首を突っ込んでくること?」


「もとはと言えばオレが原因だろ。だったらオレが言うのが筋じゃねーか」


「知らないわよ、そんなこと」


 筋道の話が出たから乗ってみれば、この有様だ。

 切れ味が鋭いというよりは、滅多打ちといった感じだった。

 都の方こそ筋が通っていないように思えてきて、カチンとくる。


「なんなのお前、いつからそんなメンドクサイ奴になったんだよ?」


 晶の記憶にある都は、良くも悪くも正義感の強い少女だった。

 だからと言ってまったく道理がわからない人間ではなかった。

 ほかの女子とは異なる感覚で、(性的な話題を除けば)気兼ねなく語り合うことができた。

 気難しいけど話せばわかるといった類の少女、それが晶と孝弘が恋焦がれた『仲村 都(なかむら みやこ)』であったはずだ。


 都が変わってしまった元凶もまた、晶なのだろうか。

 自分で想像して――思わずため息をつきたくなった。やらかしたことの影響が大きすぎる。


「いつからって、私は元からこんなですが何か?」


「お前、それ本気で言ってんの?」


「言ってますけど」


「……」


 取り付く島がないとはまさにこのこと。

 なまじ希望を持たされただけに落差が大きい。


――ダメか……


 都はすっかり意固地になってしまっている。

 今の会話のどこに地雷があったのかはわからなかった。

 気付かぬうちに踏み抜いて、すでに爆発した模様。


――孝弘、悪ぃ……


 貴重なチャンスをフイにしてしまった。

 こうなってしまった以上、この場に留まるよりは一時撤退した方がマシ……のはず。

 ……だったのだが、今度は都が口を開いた。

 

「アンタは……病院?」


「ん? ああ」


 逆に尋ねられてビックリ。

 つい素直に答えてしまった。


(みやび)先生、なんて言ってた?」


――『雅先生?』


 都の口から出てきた聞き慣れないフレーズ。

 晶の口から出てくる分には違和感がないものの……この幼馴染とかの女医に接点などあっただろうか?

 疑念が湧いた。でも、尋ねることはしない。話がこれ以上ややこしくなったら堪らないから。


「何、心配してくれてんの?」


「あれだけ派手にぶっ倒れたアンタを指さして笑うほど、私は人でなしじゃないってだけ」


「……お前も見てたのかよ」


「まぁね。それで具合はどうなの?」


「どうって言われてもなぁ」


 隠すほどのことではないので、先ほど聞いてきた所見をそのまま伝えた。

 都の眉間にしわが寄った。


「後期TSだから体調不良が長引いてるってこと……」


「らしいぜ。雅さんが言うんなら間違いないだろ」


 晶の答えに満足いかなかった様子。

 軽く首をかしげつつ、都は言葉を続ける。


「だからって、あんなに劇的に倒れるものなのかしら?」


「疑うんなら直接聞いてこいよ」


「……それは止めとく。私だって雅先生を信じてるし」


「てゆーかさ、都っていつ雅さんと知り合いになったわけ?」


「え? あ、ええっと……アンタが入院してる間に何度か顔を合わせたから」


「ふ~ん」


 珍しく都の歯切れが悪い。

 動揺しているとまでは言わないものの、何か隠しているようには見える。

 ただ……何故かはわからないけど、先ほどまでツンツンぶりが一変している。

 晶の体調不良について心配してくれているのは確かなようだ。

 その証拠に、少しだけ表情が穏やかになっている。


――これは、行けるか?


 ゴクリと唾を飲み込んで、桜色の唇を軽く舐める。

 すーっと息を吸って、一歩踏み込んだ。

 

「なぁ都、いま暇か?」


「さっき答えたはずだけど。今度は何なの?」


「オレさ、これから駅で孝弘と合流して買い物に行くんだけど、一緒にどうかなって」


 引っ越してきたばっかりで日用品が足りていない。

 買いに行こうにも、前によく足を運んでいた百貨店が閉店してしまっていた。諸行無常。

 伊織に最近の佐倉坂事情を聞いてみると、郊外に新しくできたショッピングモールで(あがな)うことが多いとのこと。

 通い慣れた店が潰れてしまったことはショックであり、新しい店ができていることは楽しみである。

 ……と言うわけで、孝弘に案内してもらうことにした。昨日のうちに約束は取り付け済み。


「これから?」


「これから」


「行かない」


 即答だった。

 都が歩く向きを変えた。

 察するに行き先は――おそらく彼女の実家。


「何でさ」


「私だって遊びに行く約束があるの」


「その恰好で?」


「そんなわけないでしょ。一回家に帰るわよ」


「だよな。さすがにそのままじゃな」


「……何が言いたいわけ」


 都の声に険が増した。視線がヤバい。美少女のする顔じゃない。

 服にケチを付けられて喜ぶ女子はいない。男でも多分いない。

 昔の晶だったら気にしなかったかもしれないが、今は無理。


「ナンデモナイデス」


 威圧感にたじろがされる。

 口をついて出てくるセリフがことごとく棒読み。

 睨み付けてくる幼馴染の視線が厳しい。


「じゃ、そういうことだから」


「都!」


 思わず大きな声が出てしまった。

 聞きつけた周りの人間の注意が晶たちに向けられる。

 しかし、顔も名前も知らない赤の他人を構っている余裕はない。


「オレはともかく、孝弘とは一回ちゃんと話をしろ!」


「……言いたいことはそれだけ?」


 擦れ合う氷塊を思わせる都の声。

 その圧力に負けないよう拳を握りしめて、頷く。


「……」


「都!」


「……気持ち悪い」


『気持ち悪い』だなんて、現役女優兼グラドルに言っていいことではない。

 ほかの人間が口にしていたら、晶としてはカチンと来ていただろう。

 でも……目の前にいるのは都だ。歯に衣着せない幼馴染。


「返事を……答えてくれ」


「嫌」


「『嫌』ってお前、それはねーだろ!?」


「……かもね」


 手をヒラヒラ振って雑踏の中に消えゆく都。

 その後に追いすがることはできなかった。

 彼女の言葉のひとつひとつが、晶の脚を縫い留めていたから。


――すまん、孝弘。ミスった……


 しばらく都が消えた先を見つめて、悲壮感で満たされた胸中の空気を大きく吐き出した。

 晶と孝弘の問題が割とあっさり解決したせいか、調子に乗っていたかもしれない。

 今はまだ『その時』ではなかった。勇み足が過ぎた。

 でも――

 

「これぐらいで諦めると思うなよ、都」


 独り言ちて、胸を張る。

 背筋を伸ばし、歯を食いしばって前を見る。

 笑顔を作って堂々と歩く。孝弘とは駅で待ち合わせしている。

 約束の時間までまだ余裕はあるけれど、足を動かさないといつまでたっても動けなくなりそう。

 だから、歩く。

 

――オレは、勝つまで負けねーからな!


 心が折れたら終わりだ。

 心が折れなければ――終わらない。


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