第15話 叱ってもらえるうちが花
『TSシンデレラガールの凱旋』第2章開幕です。
本日は2話投稿予定で、これが1話目です。
『遠野総合病院』は羽佐間市の住宅街にそびえ立つ、近隣一の病床数を誇る大病院である。
……とまあ、それだけならば他の街にも似たり寄ったりの病院はある。総合病院なんて珍しくもない。
ただ、この病院はちょっと特別。
日本の中心たる東京で活躍していた女優『結水 あきら』こと『悠木 晶』が、わざわざ羽佐間市に引っ越してまで足を運ぶ理由があった。
『特別総合診断部』
名前だけ聞くと、何でもやってそうで何をやっているのかよくわからない。
意味不明レベルは政治家の胡散臭い答弁を彷彿とさせる。
しかしてその実態はTS(性転換現象)関連を専門的に取り扱う国内でも数少ない部局である。
夏休みを間近に控えた週末、土曜日。
さめざめとした白亜の巨塔、その『特別総合診断部』の奥まった一室で、晶はひとりの女性と向かい合っていた。
本日の晶は軽めのコーディネート。
トップスは白のTシャツにクーラー直撃&日差し対策のアウター。
ボトムスはデニムのショートパンツに黒タイツ。
荷物は大きめのショルダーバッグにひとまとめ。
身バレ防止のために伊達眼鏡を小鼻に乗せている。
肌を日差しに晒さないようにキッチリガードしつつ、全体的なシルエットは見せていくスタイル。
病院という過剰なまでの清浄な空間にあって、女優の肩書を持つ晶の華やかさは異質に映る。
実際のところ、この病室に呼び込まれるまでの間、看護師や外来患者の視線を一身に集めていた。
顔見知りの看護師がすれ違うたびに、首を180度反転させてきたのにはビックリした。笑いを噛み殺すのもひと苦労。
対する女医も衆目を集める容姿という点では晶に一歩も劣らない。
こちらはいささか……と言うか、やたらとアクの強いオーラを漂わせている。
まだ若い。おそらく20代だと思われる。晶は詳細な年齢を聞いたことがない。
担任と同い年と聞いているので、ある程度の推測はできる。同性とは言え年齢の話は触れづらい。
いずれにせよ若い事には変わりないのだが……その若さに似つかわしくない気だるげな雰囲気を纏っている。
まず目につくのは緩くウェーブのかかった赤みの強いセミロングの髪。
ともすればボサボサでみっともなくなりそうなのに、この女性は常に絶妙なバランスをキープしている。
長いまつ毛に縁どられた切れ長の眼差しは、目尻を下げていてやや眠たそうな印象を与えてくる。
色白な上に目元にはクマが浮かんでいる不健康な面差し。反面、瞳は爛々と輝いている。
十分に美人と言って差支えない女性だが、顔に浮かんでいる表情――特に目力が強くて尻込みする者がいるかもしれない。
白衣の下は小ざっぱりした上下で、黒いストッキングに包まれた長い両脚を組んだまま椅子に腰かけている。遠目に見ている限りでは医者としてはごく普通の佇まい。
しかし、いざ近づいて……こうして面と向かってみると、何とも表現しがたい存在感に圧倒される。
『遠野 雅 (とおの みやび)』
遠野総合病院特別総合診断部部長。首から下げられた名札(仏頂面の写真付き)にはそう記されている。
医者の人事について詳しくない晶からすると、『部長』という肩書だけでなんだか凄そうというイメージがある。
聞くところによると彼女はこの病院の院長の孫娘でもあるらしく、そう言った面での人事配置でもあるらしいが。
入院していた際に晶が感じた限りでは、院内の医師にせよ看護師にせよ、この病院に勤める誰もが雅に対し一定以上の敬意を持っているようだ。
実力か、あるいは人柄か。どちらにせよ『よい医者』あるいは『信頼できる医者』であることには変わりない。そこが一番大事。
彼女は晶の主治医でもあり命の恩人でもある。本人曰く『何もしていない』とのことだが、あまり真に受けるべき言葉ではない。
雅は晶を横目で捉えたままパソコンを操作し、電子カルテに目を通している。モニターを眺める瞳が細かく左右に揺れているのが見て取れる。
眉間に微かによっている皺が不安を誘う。医者にそんな顔をされると……怖い。テレビやグラビア撮影前とはまた異なる緊張感が高まっていき、ややあって――
「特に異常なし。経過は至って良好、なんだが……」
ややハスキーな声だった。声質は低めで知的な外見とぴったりである。口調は……やや歯切れが悪い。
雅が閲覧していたのは、晶が受けた検査結果の一覧。
東京から羽佐間市に移り住んできた晶は、先週の引っ越し当日、荷物や部屋の手続きを後回しにして病院を訪れた。
再会した雅に説教されながら、映画やテレビでしか見ないような大がかりな装置を用いて様々な検査を受けた。
初めて見たときは『SFかよ!』と驚かされた機器の数々も、すっかり慣れてしまっていた。何度も利用しているせいだ。
TS以後、入院している間にも定期的に、そしてつい先週も使用された。永らくこの病院から足が遠ざかっていたので久しぶり感すらある。
大掛かりな設備を投じ、少なくない時間を奪われる検査ではあったが、晶にとって決して無駄な投資ではない。
「『なんだが?』 ハッキリしないな、雅さん」
「うむ……異常はない。一年以上リハビリをすっぽかしていた割には、な」
「うぐっ」
チクリとひと言。
本来ならば昨年退院した後も定期的に病院に通い、リハビリを行う計画になっていた。
それを自分の都合で全部すっ飛ばして上京し、以後ロクに医者に掛かっていなかったダメな患者には反論の余地がない。
「あの放送は見ていた。あれをただの疲労と考えるのは……」
「げ、雅さんも見てたのかよ」
さすが全国生放送。顔見知りの誰もが見ているような錯覚に陥る。
番組の放映時間とこの病院の勤務時間を鑑みると、あまりよろしくない想像に行き当たるのだが、そこはスルー。
「当然だ。勝手に行方をくらましたとはいえ、お前は私の患者だからな」
たとえテレビのモニター越しであっても、逐次状況はチェックしていたとを言う。
「あれ以外の放送では、お前に異常は見当たらなかったんだ」
「だから『疲労じゃね?』って言われてるんじゃないの?」
晶の問いに雅は首を横に振った。
長い髪が重そうに纏わりついている。
「疲労はある時いきなり蓄積されるものじゃないだろう。テレビ越しでも私が見ていれば、あんなことになる前に気付くよ」
「そんなもん?」
「そんなもんだ。医者を舐めるな」
「疲労じゃなくて、異常もないとなると……どうなるわけ?」
東京の病院で『原因不明』と診断されたおかげで芸能界の一線から退く羽目になったのだ。
『何もわかりませんでした』では困る、のだが……
困惑した晶の眼差しを受け、雅は腕を組んで目を閉じた。
思考をまとめているようだ。ややあって――薄い唇が開かれる。
「そうだなぁ……お前には話したはずだが、TSが身体に大きな負担をかけることは知ってるな」
「ああ。オレの場合は生存率10%だろ?」
「それもあるが、それだけでもない。前期TS(一般的な年齢ひと桁台のTS)でも、性転換直後は体調を崩すことはままある」
だいたい半年から一年くらいかけて復調していくものだが……おそらくはそういうことだろう。
雅は電子カルテを眺めながら言葉を続けた。
つまりTS直後の体調不良の一環、よくあることのひとつと言いたいらしい。
「そういうことって……あれからもう一年以上たってるんだけど?」
「ふむ……長期化しているのではないかな。あの日までは何ともなかったのか?」
テレビや雑誌に映る『結水 あきら』は常にメイクアップされた姿である。
見ていれば気付くと豪語した雅でも、幻惑される可能性は否定できない。
彼女は概ね自信に溢れており、それは決して過信ではないが……必要と認めれば、自説を取り下げることに躊躇いを持つことはない。
晶もまた腕を組んで顎に指を這わせ、当時の記憶をほじくり返していく。
「う~ん……時々ふらついたりはしてたけど、忙しかったし……『まぁこんなもんか』って流してたことはあった」
「阿呆。そういうときは早めに医者にかかれ」
おでこにデコピン。たいして痛くはない。
「どんな病気や怪我でも同じだが……本人に身体を気遣う意思がないと、どうにもならんぞ」
医療の現場に立つ彼女だからこその言葉だ。
思い当たるところのある晶としては恐縮せざるを得ない。
口調は平坦だが、普段の飄々とした態度とは雰囲気が異なっていた。
その声には、言葉にしないものの怒りの感情が見え隠れしている。
――まだ見捨てられてないってことだな。
叱ってもらえるうちが花だ。
彼女にすら放置されてしまったら、晶はもう頼るあてがない。
医師であることに強い誇りを持つ雅が患者を見捨てるとは思わないが、いつまでもガキのように分別なく甘えていいわけでもない。
「……反省してます」
「よろしい。これからは定期的に検査を受けてもらうことになるが……」
「あ、ウチのボスが一度会って話がしたいって言ってた」
「そうか……そうだな。そちらの仕事のスケジュールとも上手く擦り合わせていかねばならんな」
「返す返すも申し訳ないです……」
健康でありたいという思いはあるものの、同時に仕事を辞めたくないという思いもある。
このふたつは相反する部分がある。仕事――芸能界の労働環境はなかなかにブラックだ。
雅は晶の胸中を察して、端正な顔に苦笑を浮かべた。
「気にするな。患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ:人生の質)は尊重されるべきものだ。お前の場合は……仕事だろう。このワーカホリックめ」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
『面白かった』『続きが読みたい』等ございましたら、
感想やブクマ、ポイント等で応援いただければ幸いです。




