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第13話 即興マニフェスト

すみません、終わりませんでした。

第1章はあと1話あります。


 (あきら)孝弘(たかひろ)が部室棟の片隅で語り合った翌日の2年C組は、いつもと変わらぬ金曜日の昼休みを迎えていた。

 編入してきて一週間にもなろうというのに、相変わらず晶の周りには人だかりが途切れない。昼食後の即席トークショーは大盛況だ。

 話題の中心となっている晶は椅子ではなく机に腰かけるている。抜群のスタイル、特に短いスカートから伸びる脚が強調されていた。


結水(ゆうみ) あきら』フィーバーは留まるところを知らない。『夏休み後もこの調子では?』という伊織(いおり)の言葉が現実味を帯びてきた。

 予言めいた言い回しで晶を不安に陥れた本人ことクラス委員長は、今日のところは普通に輪の中に入り込んでいる。

 いつもいつもみんなを制するばかりではないと言ったところか。飴と鞭の使い方がうまい。この女、ただの委員長キャラではない。


 しかし――2年C組の全員が全員その熱気に取り込まれているわけではない。

 喧騒を煩わしく思う生徒たちの苦々しい顔。関わりたがらない生徒たちの無表情。

 空気が澱んでいる。夏休みを間近に控えて、教室にはあまり好ましくない雰囲気に包まれていた。


「ところで悠木(ゆうき)さん、この週末なんだけど……親睦会を兼ねてどこか遊びに行かない?」


「いいね~行こう行こう! カラオケとかどーよ?」


 晶の傍に居た男子のひとりが口火を切ると、次々と賛同の声が上がる。

 人垣のテンションが上がれば上がるほどに、他の連中と温度が乖離してゆく。

 さすがにこれはマズいと思ったか、座して様子見に回っていた伊織が腰を上げかける。

 交錯する意思に気付いた風でもなく俄かに快哉の声をあげる一同に対して――晶は首を横に振った。


「誘ってもらって嬉しいんだけど、用事があるんだ」


「え~、用事って何? それって俺たちよりも大事なことなの?」


「そうだよ、悠木さん! 夏休みに入っちゃう前にぜひ……」


「せっかく同じクラスになったのに、全然絡めてないじゃん」


「芸能界の話とか聞きた~い!」


 口々に言い寄ってくるクラスメートをやんわりと制しながら、孝弘の方にそれとなく視線を向ける。

 大男は相変わらずむすっとした表情で手元の文庫本のページを手繰っていた。

 泰然としたその姿に苛立ちを覚えていると……晶の黒い瞳が映す先に目ざとく気が付いた男子が余計なことを口にした。


「どうしたの、悠木さん? ひょっとして高坂(こうさか)のことが気になるの?」


 そのひと言にみなが困惑。

 晶を取り巻いていた連中も、外側から苦々しく様子を窺っていた者たちも。

 互いに視線を交わし合って……次の瞬間、


「え、高坂? あんな木偶の坊、面白いことなんか何にもないよ」


「ずっと部室棟の奥でひとり籠ってて、なんかキモイ」


「趣味悪っ」


「図体だけの根暗なんて放っておいて、僕らと……」


 粘性の強い言葉の奔流。悪意と呼ぶほどのものではないが……否、やはりこれは悪意だ。

 咄嗟に舌打ちを堪える。前からイラつかされることはあった。

 現実でもラインでも極一部の生徒が幅を利かせることが目についた。

 理由はよくわからない。まだ学校に来て一週間も経っていないせいかとも考えたけれど……根拠らしきものは見当たらない。

 だけど、それを是とする空気が醸成されている。彼らに目を付けられた生徒は息を潜めていることを余儀なくされる。孝弘もそのひとり。

『教室の中心にいない』人間には発言権はない。だから、この教室では孝弘を下に見ても問題ない。そんな風潮を前に、晶の精神がスパークした。


「ねぇ、そんなことより……ッ!?」


 なおも言い募る生徒たちは――身体を大きく跳ねさせた。晶の眼差しに口を縫い止められたのだ。

『TSシンデレラガール』の顔に浮かんだ余所行きの微笑みに垂らされた、たった一滴の不快感。

 ただそれだけで――教室に静寂が舞い降りる。盛り上がっていた教室の温度が急降下する。

 いきなり強まった眼差しに射貫かれた生徒たちの狼狽する様子に肩をすくめ、晶はすぐさま表情を戻した。


――やり過ぎたか。


 沸騰しかけた頭の中で急速冷却装置が作動し、胸の奥で嘆息する。どうにも加減が難しい。

 どれだけ威勢のいいことを口にしていても、相手はまだ尻に殻をくっ付けたままの子どもにすぎない。

 晶の取り巻きも、それ以外の連中もすっかり絶句してしまっていた。(おのの)き震えている者までいる。

 ……逆に好奇心を刺激されたように遠目から瞳を輝かせる者もいる。つくづく高校生はよくわからない。


「えっと……」


 頭を下げて軽く謝罪すると同時に、開け放たれた窓から風がそよぐ。良い風だった。

 差し込む陽光を纏って煌めく黒髪がふわりと流れ、晶は手を添えて抑えた。

 ドラマのワンシーンを思わせる非現実的な光景に現実味が失われていく。

『結水 あきら』が世界を塗り替えていく。今この瞬間、教室の中の誰もが物語の登場人物となった。

 教室に蔓延していた『空気』などという曖昧模糊(あいまいもこ)とした概念もどきは、圧倒的な存在感を前に力を失っていく。


「この中に西中の出身者がいたら知ってるかもしれねーけど、孝弘はオレの幼馴染で親友な。憶測で悪しざまに罵るのは、頼むから止めてくれ。あと――」


 一拍置いて、ゆっくり顔をあげる。目蓋の動きまでコントロール。

 人目を惹く意図的な動作で教室の時間と空間を支配する。

 クラスメイト達の前に再び現れた漆黒の瞳に――皆の意識が吸い寄せられた。

 ゴクリと唾を飲み込んで、誰もが晶の唇から紡がれる言葉を待つ。


「誰かを下げる発言は、結局のところ自分の株を落とすだけだと思う。カッコ悪いし煩わしい」


 それだけ言い置いて、腰かけていた机からお尻をあげた。

 歩みを進めると人垣が割れた。セミロングの黒髪を靡かせて孝弘のもとに向かう。

 背後に取り残された生徒たちを一顧だにせず、文庫本を読んでいる――振りをしている大男の机を軽く蹴りつける。

 ガツンと机を揺らされて、孝弘はその巨体をビクッと震わせた。


――最初から気付いてるくせに……


「お、おう……どうした?」


 わざとらしい反応。

 今までまったく意識していなかった的な風情。

 そういう安い演技は通用しない。ひよっことは言え演技で飯を食っている身だ。


――コイツ、単にめんどくさかっただけなんじゃ……


 脳裏をかすめた思考を慌てて追い払う。

 ……ありうる、と思ってしまった。

 もともとは西中バスケ部で活躍し、同年代ではそれなりに名の知れた男だったのだから。

 本来ならば、ここまで軽んじられる男ではないはずだ。


「『どうした?』じゃねーよ。ほら、行くぞ」


「行く……とは?」


「部活。名義だけ借りといて来るなってか?」


「い、いや、そう言うわけではないが……いいのか?」


「『いいのか?』って……何?」


「何って、お前」


 孝弘は置いてきぼりにされている生徒たちに視線を投げかけている。

 連中の会話は聞こえよがしな口ぶりだったから、さっきの話は耳に入っていただろうに。

 ……自分がないがしろにされておいて、よくも気が使えるものだと呆れかえる。

 晶は先ほど沸き上がった『孝弘めんどくさがり説』を却下した。めんどくさがりな奴は他人なんて気にしない。

 孝弘の人の良さは美点ではあるが、コイツの場合は行き過ぎだ。親友としては溜め息のひとつもつきたくなる。

 

「別にいいよ。あれくらい」


『行くのか行かねーのか、どっちだ?』問いを投げて、返事を待たずに教室を後にする。

 後に追いすがる者はひとりもいない。部屋を出る寸前、伊織の柔らかい笑顔が見えた。

 他にも『いいんじゃね? 好みなんて人それぞれじゃん』なんて声が聞こえた気がした。

 廊下を歩いていても、誰もが勝手に道を開けてくれる。まさに独壇場。

 少し遅れて追いついてきた孝弘が、おもむろに口を開く。


「……すまん。イヤな役を押し付けた。せっかく仲良くやって来られてたのに」


「いいって言ってんだろ。お前のことを何にも知らん奴に好き勝手言われるとムカつくんだよ」


 別に好き好んで喧嘩を売りたいわけではないし、敵を作りたいわけではない。

 愛想よくするのも処世術だし、業界的には仕事の一環とも言える。

 でも――それがすべてと言うわけでもない。晶にだって譲れない一線がある。

 彼らはその線を踏み越えてしまった。自覚の有無は関係ない。


「俺のことなんてどうでもいい。お前は有名人なんだから少しは人目とか風評を意識しろ」


「どうでもいいとか言うなよ。まぁ……ちょっと詫び入れとくか」


 スマートフォンを取り出してラインを立ち上げると――2年C組のグループはなんとも微妙な雰囲気。

 それでも、先ほどの晶の言葉を茶化したりコケにしたりと言ったネガティブな流れではない。

 誰もが毒気を抜かれた、そんな感じ。

 

――これくらいなら……


『言いすぎた。ゴメン』


 メッセージと『ゴメン猫』のスタンプを貼ると、おずおずとほかのアカウントが反応し始める。

 あちらはあちらで晶との距離感を計りかねているのかもしれない。

 彼らを『子ども』と見下しはしたものの、晶だって『大人の社会を体験した子ども』に過ぎない。

 お互い未熟な高校生だ。多少の行き違いやすれ違いの類は気づいたときに修正していけばよい。

 タイムラインの成り行きを見守ってホッとひと息。スマートフォンをしまって階段を降りていると――ふいに足元の感覚が消えた。


「うおっ!?」


「おい!」


 重力に引かれ前方に傾いでいく晶を大きな影が支えた。

『柔らかくて硬い』という矛盾した感触。力強い腕。鼻をくすぐる懐かしい匂い。

 頭上から零れる安堵のため息。心臓の鼓動が重なり合う。

 咄嗟に孝弘が抱きとめてくれたと気付かされる。

 

「大丈夫か?」


「……ああ、悪い。助かった」


「どうしたんだ? どこか具合が悪いのか?」


 小言より先に晶の身を案じる声がナチュラルに出てくる。

 フレームの奥の瞳が不安げに揺れていた。

 ……晶の頬が熱を持つ。


「そういうわけじゃねーんだが……」


 言い訳がましく口にしつつも、晶の背中を一筋の冷たい汗が(したた)り落ちた。

 孝弘が助けてくれなければ、階段を転がり落ちて大惨事……の可能性もあった。

 万が一顔に傷でもできたら、グラドルとしても女優としても致命的なダメージを負いかねない。


「さんきゅ。マジで助か」


「何やってるの、あなたたち?」


 危機一髪、そして一転。夏の校舎に凍える冬の風が吹いた。

次回、第1章完結(多分)!

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