第12話 大切なものピックアップ その2
ゴホンとやけに重みのある咳払いひとつ。
文芸部の部室に響き渡っていた笑い声がストップした。
晶は眦に浮かんだ涙(笑いすぎたせい)を指で軽くぬぐいつつ姿勢を改め――
「プッ」
また噴き出した。
「そろそろいい加減にしとけ」
腕を組みなおし大袈裟にため息をつく孝弘。
声には若干のウンザリ風味が混ざっている。
「いや、だってな……わ、悪い、続けてくれ」
孝弘の顔が想像以上にマジだったので、晶は慌てて佇まいを正した。
『フー』と大きく息を吐き出し、一拍置いて口を開いた。
「とにかく、だ。お前が生きているとわかってホッとした。ただ……」
「ただ?」
「連絡がつかなくて困った。お前、スマホ代えたのか?」
「え? ……すまほ?」
首をかしげた晶に、頷く孝弘。
何を言われているのかよくわからない。
ポケットからスマートフォンを取り出し、しげしげと眺め……ようやく得心がいった。
「あ、ああ。そういうことか。これは事務所に入ってから社長に買ってもらった奴だわ」
「……前の奴はどうしたんだ」
「アイツなら東京湾の底で寝てるよ」
ヘドロに埋まっているとも言う。
「投げ捨てたのか。少しは環境に配慮しろ」
「うるせーな。あのスマホは親父が金払ってたから嫌だったんだよ」
ついカッとなってやった。後悔はしていない。
今も父親は使用料を支払っているのだろうか。
メンドクサイので確認する気にはなれない。
「なるほど。そう言われれば納得はできるな」
うんうんと唸りながら孝弘は顎を撫でた。
この男は晶が親から受けた仕打ちを知っている。見捨てられて家を追われたことを。
だから、晶が家族との関係をリセットしたがっていたことも容易に想像できるのだ。
「スマホに依存しすぎるのはダメだな。ワンタッチで連絡先が交換できるのはいいけど、頭の中に残らねー」
「俺はともかく、都や遠野先生はわかるだろう?」
呆れ気味な声に晶の頬が引き攣った。痛いところを突かれた。
都の実家は羽佐間市では名の知れたヘアサロン。雅は総合病院勤務でTS医療界隈の権威。
インターネットを駆使すれば(と言うほどの労力を要することなく)、孝弘の言葉どおり連絡先を知ることは容易だった。
ただ――
「あんなとこ見られて都に連絡なんてできるか! あとリハビリすっぽかして先生は怖い」
「そんなこと言ってる場合か」
「じゃあ、お前だったら連絡するかよ?」
室内に沈黙が下りる。
重苦しい静寂。遠くで鳴く蝉の声がやけにうるさい。
「……いや、無理を言ってすまなかった」
「わかればよろしい」
ふたりは頷きあった。
『仲村 都』『遠野 雅』
いずれも怒らせると怖い人種だ。
……孝弘が雅を畏れる理由はいまいちわからない(ふたりにはあまり接点がないはずだから)ものの、共感してもらっているようなので気にしない。
「ゴホン。ともかくだな……次第にお前の姿を見る機会が増えた。テレビや雑誌やほかにも色々……」
「お陰様でな。何とかうまくやっていけてるよ。周りのみんなには感謝しかねーわ」
細々とではあるがグラビアの仕事を貰って食いつないだ。
テレビドラマ『鏡中の君』の主演を射止めてからは爆発的に仕事が増えた。
街を歩けば『結水 あきら』に当たると言った大ブレイクを果たした。
今や日本国内においては『結水 あきら』を知らないものはいないほど。
「だからこそ、あの生放送には驚かされた。心臓が止まるかと思ったぞ」
「……何だよ、お前も見てたのかよ」
晶としてはバツが悪い。
『あの生放送』が何を差しているかは明白だ。
全国生中継で『TSシンデレラガール』が昏倒した映像に違いない。
「でも、こんなことを言うとお前は怒るかもしれんが……こうしてまた会えてよかった」
やや遠慮気味な声に、晶もまた頷いた。
今さらどの面下げて戻ってきたと罵倒されてもおかしくなかった。
再会できて、話ができる。そのことは素直に喜ばしい……とは言うものの、孝弘の言葉には引っかかる部分がなくもない。
「それはそうだけどよ……お前、オレのこと避けてなかったか?」
愚痴混じりの言葉が零れた。気になったのは、ここだ。
『会えてよかった』と言うわりには行動が一致していない。
教室では話しやすい雰囲気にはならなかったが、放課後なら問題なかっただろうに。
何なら孝弘から新しい連絡先にメッセージをくれてもよかったはずだ。
……これは少し厚かましいかと思わなくもない。
「すまん。俺の方もどう話していいものかわからなかった。お前が怒ってるんじゃないかとも思っていた」
「怒る? そんなわけあるかよ。悪いのはオレの方だろ」
反射的に即答して気が付いた。
晶の謝罪は、まだ終わっていない。
いつの間にか話がはぐらかされている。
「いい感じに話が戻ってきたな。とにかくオレが悪かった。『許してくれ』とまでは言わんが……いや、やっぱ言うわ。何でもするから許してくれ」
もう一度頭を下げた。でも……先ほどの謝罪とは、少し違う。
自分のことを捨て置く覚悟で孝弘と都の仲を取り持つつもりだった。
でも、でも……こうして顔を突き合わせて実際に話をしてみると、決意が揺らいだ。
ふたりとの関係をなかったことにするなんて、耐えられない。
――何やってんだ、オレ……情けねぇ。
孝弘に見えない角度で嘆息し、次の言葉を待っていたのだが……いつまでたっても反応がない。
チラリと孝弘を見やると……困ったような怒ったような表情を浮かべていた。
口では怒っていないと言いつつも、やはり心中穏やかではいられなかったのだろうか。
晶としてはヒヤヒヤものだ。『審判を待つ罪人は、きっとこんな感じなんだろうな』と現実逃避気味な思考が頭を掠めた。
「お前な……そのなりで『何でもする』とか軽々しく口にするな」
ようやく口を開いた孝弘は……アホなことを言いだした。
TSした――即ち元男子である晶は意図を正確に理解できたが……
――何言ってんだ、コイツ。
全身からガクッと力が抜けた。
『それ、今この話の流れでいうことか?』と。
アホなことを口にした幼馴染をからかってやろうと稚気が疼いた。
「なんだよ、エロい事考えてんのか? 別にいいぞ、そっちでも」
頭をあげるついでに、これ見よがしに胸を突き出してみせる。
テレビや雑誌と言ったメディアを介さない生の迫力に当てられて、孝弘は仰け反っている。
「……あの時から全然進歩していない」
しばしの絶句。我に返った孝弘は盛大に呆れかえってみせた。
わざとらしく頭を振り、あからさまなクソデカため息を吐きだした。
オーバーすぎるリアクションにイラっとさせられる。まったくもって心外だった。
ヤケクソ気味な自傷を目的としたあの時と、真摯な謝罪を目的とした今は全く異なるのだが。
無言で睨んでみると、背が伸びた幼馴染は『ゴホン』と咳払いひとつ。わずかに身体を引いて間合いを取ってきた。
ややあって――
「ほんとうに何でもするのか?」
――男の躊躇いがちな声、ウザい。
本音は胸の内に秘めた。
さすがにそれを口にする状況ではない。
「ああ。男だろうが女だろうが、オレに二言はない」
「さっきあったような気がするんだが?」
「聞き間違いだろ。それで、何すればいい? マジで何でもするぞ」
「本気なんだな……」
「ああ」
言い切った。
しばしの沈黙ののち、孝弘は晶の目の前でガサゴソと机を漁りだした。
何でもするとは言ったし、何でもするつもりではあったが……いったい何を言われるのだろう?
バクバクうるさい心臓をステイさせながら、固唾を飲んで待ち構えていたところに差し出されたのは――白い紙。
「……何だこれ?」
首をかしげた。
サラサラの黒髪が頭に合わせて揺れる。
「見てわからんか?」
「『入部届』って書いてあるな……って入部届?」
紙面の文字列を追いながら声が裏返ってしまった。
「そのとおりだ。何でもしてくれるというのなら、ぜひ文芸部に入ってくれ」
「は?」
「この春に先輩たちが卒業してしまって、今の文芸部は俺ひとりなんだ。正確に言うと部じゃなくなってて同好会なんだが……会員ひとりの同好会なんて認められないとか、部室を明け渡せとか言われて困ってる」
やけに饒舌だった。ついでに早口でもあった。
後ろめたいところがある男は口数が増えるとか何とか、どこかで誰かが言っていた気がする。
「だから?」
「お前、まだ部活に入ってないだろ? 名義だけでいい。貸してくれ」
会員ふたりなら、部屋の明け渡しは回避できると孝弘は続けた。
両手を合わせて頭を下げてくるその姿は……客観的に見てかなり情けなかった。
――台無しだ……色々と台無しだよ、お前……
「他の奴に頼めないのか?」
声が平たくなった。セリフ棒読み。
『いや、仕方ないだろ』と心の中で冷静に突っ込む自分がいた。
そういう話の流れではなかったはずなのだが。
「この学校は部活の掛け持ちは禁止されている。同好会が無制限に増えると問題があるとか何とか」
「へー」
「とにかく頼む……ダメか?」
「……ダメじゃねーけど」
「けど?」
「お前はもうちょっと空気読め! このバカ!」
むしり取った入部届をクシャクシャに丸めて孝弘の顔面に叩きつけ、晶は心の底から叫んだ。
腹立たしげなように見せておいて――実はちょっと嬉しかった。
次回、第1章最終話!
……と書いている時点で章分けできてないことに気が付きました。
今からやりまする……




