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第11話 大切なものピックアップ その1


 放課後の部室棟、その片隅にある文芸部。蒸し暑い室内は緊迫状態。

 わずかに陽光が差し込む薄暗い部屋の中で、(あきら)は頭を垂れていた。

 自慢の黒髪は傷だらけの木板に落ちて広がっているが、机上の埃や木くずを気にした様子もない。

 ……そっと息を呑む音が晶の耳朶を打った。ゴクリと唾をのむ音まで聞こえてきたような気がした。


「……頭をあげてくれ、このままでは話もできない」


 ややあって、頭の先で孝弘(たかひろ)が唸った。

 晶の記憶にある声よりも、低くて渋くて重みのある響き。

 ほんの少しだけ頭をあげて、上目遣いに見やる。見慣れていたはずの、今は少し知らない顔があった。

 組んでいた腕は解かれていて、軽く肩をすくめている――ように見えた。

 微かな汗の匂いが鼻先をくすぐった。自分のものではない懐かしい匂いだった。


「話って……」


「俺にだって言いたいことがある」


「……やっぱ怒ってるよな」


 晶の唇から零れた言葉には、力が籠っていなかった。

『か弱いヒロイン』と言った風情。演技ではないが『オレのキャラじゃねーな』と心のどこかで声がした。

 そもそも悲劇のヒロインという柄ではない。

悠木(ゆうき) 晶』という人間は――過去の行状を思い出すと、穴があったら入りたい気分になる類の人間だ。


 いきなり馬乗りになって『セックスしよーぜ』なんて言ってしまったり。

 最悪のタイミングで都に踏み込まれてしまったり。

 さらにはみんなの前から姿を消して、一切の連絡を絶ってしまったり。

 自分がどれだけ孝弘に迷惑をかけてきたのか、指折り数えて顔を青褪めさせてしまったほど。


「いいから頭をあげろ。それからちゃんと座ってくれ」


 深みのある落ち着いた声で再び促され、渋々従う。

 古びた椅子に腰かけて、孝弘と視線を合わせる。

 互いの眼差しが交錯し、沈黙が舞い戻った。

 つつ……と汗が晶の白い頬を流れ落ちる。


「俺の方こそすまなかった、晶」


 今度は孝弘が頭を下げてきた。

 大柄な上体が傾いで、短めに刈り込まれた後頭部がずいっと突き出される。

 上背がある分だけ迫力がマシマシで、晶は思わず仰け反ってしまう。

 想定外の展開についていけず、晶としては困惑せざるを得ない。


「いや、ちょっと待て。なんでお前が謝るんだ?」


 何もかもやらかしたのは自分の方なのに、被害者である孝弘が謝罪するのはおかしいのではないか。

 そもそもこの男はいったい何を謝っているのだろう。


――訳がわからん。


 動揺を隠しきれない。

 たゆまぬ努力によって築き上げられた虚像『結水(ゆうみ) あきら』は消え去っていた。

 後に残されたのは『悠木 晶』のほんとうの表情。かつての過ちを悔いるひとりの少女がそこにいた。

 混乱する晶の心情を知ってか知らずか、孝弘はゆっくりと言葉を選んでゆく。


「俺は……お前のことをわかってやれてなかった。いや、わかったつもりではいた。両親の仕打ちとか、受験すらできなかったこととか。それでも……実際のところはわかってなかったんだろう」


「それは……」


 孝弘の独白に『違う』と言いかけた。

 でも……喉元までせり上がってきた言葉は、口をついて出ることはなかった。

『誰も自分のことなんてわかってくれない』と苛立ちを覚えたことはなかったかと問われれば、『ない』と胸を張ることはできない。

 そのような思いがなければ、そもそも晶はこの街を去る必要もなかっただろうから。

 行動が、答えを示してしまっていた。


「お前はもともと突飛な行動をとるタイプの人間じゃない。基本的な性格はTSしても変わらないと遠野(とおの)先生から聞かされた。だから……お前があんなことをしでかしたということは、それだけ精神的に追い詰められていたということだ」


 あれから1年たった今もなお『気付いてやれなかった』と孝弘は悔やんでいる。

 お互いに幼いころからずっと傍に居たから、十分にわかりあっている気がした。

 向かい合うことも話し合うこともせず、心と言葉を交わすことを怠った。。

 晶から避けていた部分もあったが、自身もまた踏み込むことができなかった。

 親友の心情を汲み取り損ねた挙句、取り返しのつかない結果を招いてしまった。

 孝弘は、今もなお悩み苦しんでいる。


(みやこ)を追いかけて……でも追いつけなくてな。部屋に戻ってみたら、今度はお前がいない。鍵はかかってなかったし、電話しても繋がらない。大変なことになったと慌てたよ。みんなに連絡して探し回ったんだが、ダメだったな」


「……ああ、あの後すぐに東京行の新幹線に乗ったし、スマホなんて全然見てなかったし」


 最も辛く苦しかったタイミングだ。

 自暴自棄を通り越して呆然自失の果てに暴走した。

 頭は既にショートしていたから、まったく気が回らなかった。


「こんなことは言いたくないんだが……お前の家族はあんなだったから……どうしたらいいのかわからなくなった。言い訳になるが、後悔した」


 手遅れだったがな。

 当時を思い出したのだろう。孝明の顔からは痛ましい苦味が垣間見える。

 今になって意外なことを聞かされた気がした。

 自分がいなくなった後でそんなことになっていたとは……ちっとも想像できていなかった。


「そうしたら、しばらくしてお前を見つけた」


「ん?」


「『週刊少年チャレンジ』だったか。確か……読者プレゼントのコーナーだ」


「ああ、あれか。オレの初仕事な。仕事もらうのってホント大変だったわ」


『懐かしいな』と少し頬が緩んだ。

 逃げるように上京して、進退窮まって。

 二進も三進もいかなくなった晶は、街でスカウトされた。

 今の芸能事務所『フェニックスプロダクション』の社長との出会いだ。

 彼女にあそこで声をかけられていなければ、現在の『結水 あきら』は存在していないだろう。

 あの時の自分のどこに目を付ける要素があったのかは、いつ聞いてもはぐらかされる。十中八九は見た目だろう。具体的には顔と胸。

 いずれにせよ、彼女が大切な恩人であることには変わりない。

 見てくれは良かったものの芸能関係に全然縁がなく、歌も踊りもトークもダメだった晶はグラビアアイドルとしてデビューすることとなった。

 足を棒にして出版社に営業をかけて回り、ようやく手に入れたのが『週チャレ』こと『週刊チャレンジ』仕事だった。


「そうなのか? お前のことだから、もっと楽勝って感じだと思ってたんだが」


「ハァ……まぁ、周りからどう見えてるのかは置いとくか。駆け出しなんてそんなもんだぞ。むしろ運がいい方だったんじゃないか?」


 ウィキペ〇ィアの『結水 あきら』の項目には『デビューは週刊少年チャレンジのグラビア』としか書かれていない。

 そこだけ見ると何とも鮮烈なシーンを脳裏に思い描くかもしれないが……現実という奴はなかなかうまくない。

 件のグラビアだって、ほんの小さなワンカットのみ。それでも晶が語るようにマシという有様。華々しい世界の裏側は熾烈のひと言。


「でもよ、凄い偶然だよな。お前『週チャレ』なんて読んでなかっただろ」


 晶の記憶の中に住まう孝弘は、あまり漫画の類を読まない人間だった。

 特に週刊漫画雑誌なんて手に取っているところを見た覚えがない。

 せいぜい晶が買ってきたものを一緒に読んでいたくらいではなかろうか。


「それはまぁ、そうなんだが……たまたまだな。本屋で手に取ってページをめくってたら目に入った」


「ふ~ん。にしてもよく覚えてたな、オレの顔なんて」


 TSする前は毎日のように顔を会わせていたが、女になってからは数えるくらいしか会っていなかったはずだ。

 原因は晶の側にある。当時は誰とも会いたくなかったのだ。初めて再会した両親の顔、その愕然とした表情が頭にこびりついていたから。

 知り合いの反応が怖かった。特に親しい人間こそが最も恐ろしかった。


「俺だってそう何度も見たわけじゃなかったが、お前の顔を見間違えることはない」


 そう断言されて――晶は熱を感じた。

 咄嗟に、あるいは反射的に夏の余熱だと言い聞かせた。

 自分の顔が、心が熱い。心臓の鼓動がうるさい。

 ドラマの現場で鍛えた感情のコントロールが効かない。


――なんなんだよ、これは……


 心を千々に乱されながらも、外見だけはギリギリ平静を保った。女優としての経験が生きた。

 かなり意図的にキッと表情を作って見つめ返すと、口にした孝弘自身も顔を赤らめていた。

 しきりに眼鏡の位置を気にしているところから、あちらも口を滑らせたと知れた。

 取り繕っている顔が妙にミスマッチで、今度は笑いのツボに入りそうになる。

 どう考えても笑うタイミングではなかったので、我慢した。


――腹痛ぇ。


「くくっ」


 我慢しきれなかった。引き締めていたはずの唇が柔らかく歪む。

 勝手に意識がズレたお陰で、晶の方は少し楽になった。

 孝弘はそっと目を逸らしている。その横顔は――耳あたりまで朱色が広がっている。

 眼鏡の奥の瞳だけが、チラチラと晶の様子を窺っている。

 

「笑いたいんなら、笑えばいいと思うぜ」


「別に……そういうわけじゃない」


「そうか? まぁいいけど」


 などと言いつつ、晶は笑った。もう誤魔化す必要はない。

 笑っていいと言ってやったのに、笑わない孝弘が悪いのだ。


「あはははは、はは、ヤバい……腹痛い……ツボに入った。クッソ受けるんだが」


「お前なぁ……」


 軽くため息をつきつつも、孝弘もわずかに頬を緩めた。

 どれだけ記憶を掘り返してみても、晶は孝弘が爆笑している姿は思い出せない。

 表情筋が仕事をしないこの男にとって、微かな破顔ですら珍しい。

 長年の付き合いから察するに――決して気分を害しているわけではない。

 古めかしくも胡散臭げな建物の片隅で、湿気のない笑い声が重なった。

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― 新着の感想 ―
[一言] いやー孝弘君と仲直りできたようでよかったです! あとは強敵都ちゃんですね!
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