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第一章4  思い描いたテンプレは遠く

 その後、ヒロシと根津の治療が終わってからは一貫して互いが互いに情報を明かそうとはせず、世界観説明イベントは発生しなかった。

 やはり、シエルは娘の命を預かる一人の親として、北の国からを自称する謎の男二人組を完全に信用することはできなかったようだ。そりゃそうだ。


 表情は友好的かつ柔和な微笑を浮かべているが、その心底を覗くことは叶わず──ぎこちない会話に耐え切れなくなった二人は、クラフトが疲れて眠くなるまで牢屋の中で遊ぶことに全身全霊を捧げた。

 根津が勝手に己の鉄板ギャグとしている、両手を広げて左足を上げる『命!』ポーズが不発に終わり、この世界には漢字が存在しないことも確認。現在、クラフト親子は牢屋の隅にて寝息を立てている。


「一回スベったくらいで、いつまでヘコんでんだよ」


「⋯⋯やかましいでござる」


 そうは言いつつも、牢屋の隅に体育座りして顔を伏せる根津であった。

 元の世界においてコミュニケーションで巧く立ち回れない人間が、異世界に転生したからといって人間関係が好転するわけがない。


 ヒロシが夜な夜な漠然と思い描いていた俺TUEEEテンプレは遠く、異世界でも彼に現実を突き付けていた。

 彼女を作ったる、とインターネットの掲示板友達に相談し、激励され、不戦敗。それを報告することも今となっては不可能で、何時でもレスポンスがあった連中は今頃いったい何をしているのだろうか。


「天月さん⋯⋯気付かねえんだろうな」


 天窓から覗く夜空の一部を眺めてヒロシは呟く。自分が消えてなくなっても地球の自転が止まることはなく、大好きなあの子は気付かない。自分がいなくても経済は回り、始業の鐘は明日も鳴るのだ。

 そんなヒロシに吐息混じりの視線を向け、


「さぁ、どうでござろうな」


 そう言って根津は、再び顔を伏せる。

 この話題を広げて、同情してヒロシの背を撫でてやるようなことを彼はしない。その後に虚しくなることを誰よりもわかっているからだ。


「だよな。そう言うと思ったよ」


 バツが悪そうに後頭部のカサブタをかいて、ヒロシは身体の落ち着く体勢を探す。冷えた石材の上で忙しなく体の向きを変え、その度に遠くで地鳴りに近しい音も聞こえる。

 「花火⋯⋯?」口に含んだようなヒロシの独白は誰にも届くことなく、「しかし⋯⋯」と根津が顔を上げて、


「我々がいない今、この瞬間も向こうの時間が進んでいるわけだとすれば、それなりにマズいことになっているのでは?」


「あー、どうなんだろ。あの金髪野郎はパニックだろうけど⋯⋯よくよく考えたらラーメン無料食いじゃん」


 何も変わらないだろうけど、とヒロシは付け加えてその場に起き上がる。

 人生初めての野営(?)が異世界の牢屋であることに加え、気の利いたベッドは見当たらず、寝床は埃の積もった固い石材の床だ。体のあちこちがむず痒く、まったく寝付けそうにない。

 根津は己の寂しい頭を撫でて思案し、


「まぁ、拙者らが学校サボったり、黙ってレイトショーに行くのなんて、しょっちゅうのことでござったからな。お夕食までには帰ってきますわ、って中華食べに出かけたこともあったでござるし。警察が動くまでは相当の時間がかかるでござろうよ」


 諦めるように根津はそう言って立ち上がり、腰を伸ばして大きく息を吐く。「あいたた」とおじさんくさい台詞を吐きながらヒロシの前に胡坐をかき、


「ひとまず、元の世界のことは置いて──」


「まてまて⋯⋯!」


 そこそこの音量で重大機密を漏らしそうになった根津の頭を叩き、ヒロシは己の人差し指を唇の前に立ててから背後へ向けた。

 月光の下で娘を膝枕し、何かから守るためなのか小さな肩を抱いて共に寝息を立てる母親の姿がそこにはあった。


 ここはあくまでも異世界。二人が日常的に使っていた言葉が全て通じるとは限らない。『学校』はまだしも、『警察』や『中華』は怪しい。通じないなら通じないでいいのだが、それを火種に不必要な疑いの目を向けられたくはない。

 根津は、ヒロシの指先に促されて完成された絵画のワンカットに目を向け、


「シエル殿~、起きてるでござるか?」


「⋯⋯」


 返事はない。

 しかし、不審者二人組と同じ空間に閉じ込められて、我が子を守るべき親が眠るなんてどこの世界でもあり得ないだろう。

 一見しては友好的な態度をとっていたが、二人がクラフトと遊んでいた時の表情には、不安を隠しきれていなかった。


 ヒロシは、床に積もった埃に指を走らせ『元の世界=村』と示す。根津は短く首肯し、


「では、我々のいない村がどうなっているかは置いておいて建設的な話題を」


 一つ一つ言葉を選びながら紡がれる台詞は必然的に小さくなり、根津の表情には焦燥と緊張が滲んでいる。


「とりあえず⋯⋯俺達の最終目標は村に戻ること。まずはどうやって脱出するかだ。穴を掘ろうにもスプーンは無いし、そもそも食事が出されてない。直前にラーメン食べてなかったら今頃餓死だぜ」


「それでも腹は減ったでござるけどな。続けてくだされ」


「それで、えーっと。脱出の方法としてはゴブリンぶっ飛ばして正面突破。ゴブリンはでかいけど、構造的は人間と同じはず。それなら、前後から同時に襲い掛かればいい。一方が注意を引いて、もう片方が死角から攻撃」


 口にする文字数が多くなればなるほどに加速する舌を、一拍おいて休ませ、


「または、戦わずにどうにかして脱出するか⋯⋯」


 何となく二つの案を口に出した。

 前者はどう考えても不可能であることから必然的に後者の一択となる。が、それでも戦闘を視野に入れているのは、自分達が囮になることでシエルとクラフトを逃がせるかも──という考えが捨てきれないからであった。

 しかし、何度考えても『親子二人を守りながら戦う』なんて芸当がヒロシたちにできるはずがない。それなのに、


「どんな方法で脱出しようと、この人達をどうやって守るかが付きまとってくるわけよ」


 ヒロシの口からは、四人で助かりたい理想論が吐き出される。己の脳内で芽吹く結論を振り払うためだ。



 ──ホウッテオケ。



 ヒロシと根津──異世界珍獣北の国から日本男児陣営の敗北条件は、単純なる『自身の死』それだけなのだ。メインミッションが『牢屋から脱出せよ』ならば、サブミッションは『親子も揃って脱出』となってくるのだろう。

 ゲームならば、何度でもやり直しがきく。そう、ゲームならば──


「一応の意識共有として聞くけど。この親子、どうする?」


「い、いやいや。そんなこと拙者に聞かないでほしいでござる!」


 根津は視線を牢屋の外へ逸らし、溢れそうになる言の葉を、唇を湿らせてせき止めている。



 ──ホウッテオイテ、ニゲダセバイイ。



 二人は口を閉じた。松明の炎の揺れる音が二人の間を取り持ち、完全なる沈黙が生まれることはなかった。

 それぞれの頭の中におおよその結論は見えていた。しかし、お互いに口を開こうとはしない。



 ──ナニモワルクナイ。



 たまたま同じ牢屋にぶち込まれ、たまたまこの世界で初めて話した相手だというだけだ。この世界において二人を知る者は一人としていない。

 それゆえに、見知らぬ親子を見捨てて逃げたことを知る者も、咎める者もいない。それならば、見捨てて逃げるのも立派な選択肢だ。


「⋯⋯その、なんて言ったらいいか分かんねぇけど」


 先に沈んだ空気を掬い上げたのはヒロシだ。重い息を肺から絞り出したしたのちに、もう一度息を吸い、


「四人で脱出するのは諦めるべきだと思う──」


 二人は無意識のうちに呼吸を合わせて、背後の親子へ目を向ける。クラフトの静かな寝息に乱れはなく、シエルもまた瞑目したまま動かない。

 今、ヒロシが自分の口から解き放った言葉に偽りはない。それと同時に後ろめたさが全身に降りかかってくる。


「俺達だけで外に出る。そんでもって外からゴブリンに奇襲をかける。それならシエルとクラフトを意識せずに多少の無茶だってできるし、こんな小さな女の子に血を見せたくない。それに、初めてパーティーを組んだ大人数よりも長年一緒にいた少数のほうが圧倒的に強い。俺の考えていることは、誰よりもお前が良く分かっているから連携だって取りやすいはずだ。少数精鋭ってやつだろ? ゴブリンも俺達だけで外に出るなんて想定してるわけがねぇし、奇襲なら体格差とか経験の差とかだって埋められるはず──」


 ヒロシの舌は回る。今まで彼が歩んできた懲役十七年とも呼べる人生の中で、最も速くヒロシの舌は回っている。


「いや違う。それこそ、魔法が存在する世界ならば、お約束の騎士なんかもいるはずだ。それなら、外に出た後で助けを呼べばいい。そうだ、そうだよ! 俺達が下手に戦いを挑んで全滅するくらいなら、最初から誰かに頼ったほうがいいに決まってる。目に見えてるバッドエンドを回避しない奴は馬鹿だ。だから──」


「わかったでござるよ。二人の睡眠を邪魔するのは忍びない。これ以上ここで話すのはやめにして、さっさと行動開始するでござる」


 掠れた息を短く重ねるヒロシを一瞥し、根津は頷く。

 尻の埃を払いながら立ち上がり、根津が最初に目を向けたのは木製の扉だ。堅牢な錠がかけられているが、所詮は木製の扉。蹴って破るなり、鉄格子の外の松明を手に入れて燃やす云々がRPGの定石になってくるのだろう。

 しかし、松明は鉄格子の向こう遠く彼方から二人と珍獣二匹を照らしていた。ゴブリンが二人の手を炙ったのちに遠くの長テーブルに移動させていたのである。手を伸ばして届く距離でないのは明らかだ。

 ヒロシもワンテンポ遅れて立ち上がり、尻の埃を払う。


「となると──」


「天窓、でござるな」


 二人の声が重なり、揃って四角い夜空を見上げた。鉄格子のはめられていない唯一の脱出口は、何にも遮られることなく寒風を流し込み続けている。頬を撫でる風は変わらずに乾燥していて、かすかに煙のような匂いがする。


 根津はその場で屈伸し、軽く肩を回して準備運動。目覚めていないかと背後の親子の方へ何度も振り返って吐息を漏らし、


「拙者の方が腕が長いでござるから、ヒロシ殿が足場になってくれでござる」


 いち早くこの場をオサラバしたいのはヒロシも同じだ。しかし、ここで言い争って無駄な時間を喰った上にシエルとクラフトが起きたら元も子もない。

 ヒロシは飛び出しそうな言葉を空気と共に肺へ落として、いくつか差し込む光の真下──親子から一番遠い天窓の下へ屈む。


 根津がゆっくりとヒロシの肩の上へ足を乗せ、壁に手をついてバランスを取る。ヒロシの肩が一度叩かれ、それを合図にゆっくりと立ち上がる。

 衣擦れの音すら響かないように、ほんの数メートル先で身を寄せ合って寝息を立てる二人に気付かれないように。


 膝が震えた。


 関節が噛み合っていないのかと錯覚しそうなほどに膝が震え、目尻も痙攣している。根津が重いからなのか、流れ込む寒風に侵されたためなのか──


「もうちょっと⋯⋯!」


 ヒロシの肩の上でつま先に体重を預け、全力で伸ばした根津の中指が天窓の向こうに引っかかる。わずかに軽くなった重力を受けて我に返ったヒロシは、己の両肩に乗る靴底を押し上げて根津を補助する。


「あっ⋯⋯」


 頭上で響く根津の声に、垂れていたヒロシの首が反射で持ち上がる。

 「どした?」と声をかけようとしたその時──両肩に乗った足がバタバタと暴れる。悲鳴を上げる根津に頭頂を踏まれて舌を噛み、荒ぶる踵が眉間を直撃してヒロシは後方へ尻餅をついた。


「いってぇな! 何してんだ──」


 衝撃が火花となって視界を埋め尽くし、根津の奇行によって頭に上った血が沸騰して暴言が吐き出される──はずだった。


「うぉぉぉぉ!? 下ろせぇぇえ!」


 ヒロシが後方に倒れてもなお、彼の身体は宙に留まり続けていた。天窓の向こうへ辿り着いた右手に全体重を預けて──宙吊りになっているように見える。

 叫び声に驚き、浅い睡眠から覚醒したシエルが、微睡みから抜け出せないクラフトを抱きかばう形で宙吊りの根津から離れる。


「いったい何が⋯⋯!?」


 シエルはクラフトを腕の中に抱いたまま、首だけでヒロシに向き直る。ヒロシは硬直したまま動かない。

 根津は空中で暴れ狂いながらも、その身体は徐々に引き上げられていく。彼の手は拳を握り、ガチャガチャと鎖を振り回しながら己の手首に絡む腐敗した苔色──ゴブリンの腕を叩いている。


「クソッ放せ! ヒロシ殿!!」


 気付けたはずだ。

 ゴブリンが数人いるかもしれないこと。鉄格子の向こうに見える螺旋階段は上へも続いていたというのだから、牢屋の上には屋上が広がっているかもしれないこと。

 そして、天窓から逃げ出すであろう囚人を見張るゴブリンが、己の頭上に待機しているかもしれないことも。


「いやいやいや、マジか⋯⋯!」


 遅れて眼前の現象を理解したヒロシは、助走もそこそこに壁を蹴り、天窓へ吸い上げられていく根津の足首を掴む。が、ヒロシの手は彼のスニーカーをかすめ取るだけで、根津の身体は天窓の向こうへと消えていった。


 背中から落下して、肺の空気が押し出される。叩きつけられた後頭部から電撃が走り、耳の奥深くで爆音が鳴っている。掠れた吐息が吸う酸素を拒み、顔の上に根津のスニーカーが落下。遠ざかる親友の名を叫ぼうにも今となっては遅すぎる抗いだが、


「っえ、づ⋯⋯」


 絞り出される酸素と痙攣する横隔膜がそれすらも許さない。

 数分前まで眼前で胡坐をかいていた親友は天窓の向こうへ消え、時折「ヒロシ殿ッ!!」と叫ぶ声が聞こえる。届くはずもないのに、形だけ馬鹿みたいにヒロシは手を伸ばす。


 鐘のような頭痛と反射的に滲む視界の隅で、怯えた親子がこちらを見ている。自分たちを置いて逃亡を図り、無様に失敗したこと──それを察して二人の間抜けさに呆れている頃だろうか。信頼しなくて良かったと安堵している頃だろうか。


 その横顔が何を考えているか、ヒロシに察することはできない。しかし、一つ確かに、その美しい横顔は地面にのびたヒロシを一瞥して我が子へと向き直った。

 見知らぬ人間よりも我が子を優先するのは、母親という生き物の本能だろう。ヒロシの濁った双眸に映る不安げなクラフトの横顔に対して、ヒロシはほんの少しだけ嫉妬を覚えた。



 ──濃い、花火の匂いがした。


 

 響く、親友が助けを求める声。大丈夫か、と小首をかしげるクラフト。耳鳴りの支配するヒロシの脳へ、石レンガの壁の遠く向こうから爆発音が届く。爆音の正体に気付いたシエルは、不安と焦燥に美しい顔を歪めて、己の娘を強く抱きしめた。


 前の世界で駄目駄目だった奴が今回もダメだったよ、と自分で自分に下した評価を噛み締めた刹那、ヒロシは懺悔するように地面を這って立ち上がる。



「──壁から離れろッ!!」

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