プロローグ 敗者
──死にたくない。
瞼を開けばそこには地獄があり、瞼を閉じれば底知れぬ暗闇が充満する。どこに行ったって、世界そのものが変わったって、結局のところ──負け犬は負け犬だったのだ。
少年は俯き、ただ導かれるままに前へと足を動かす。金属の錠が背面で両手首を拘束し、末端には感覚が無い。
身に覚えはあるが、的外れな罵声が鼓膜を殴る。怒り狂う群衆が松明を掲げ、遠くで女王の絵画が燃やされていた。
憎しみと嘲り、怒りと狂喜、血と暴力──そんな中を首へ繋がれた鎖に引かれて歩き、冷たい視線の中を泳いだ。
「お前のような人間が生きてていいはずがない」
どこぞの誰とも分からぬ老人が唾を飛ばして大声で喚く。投げつけられた花瓶が少年の頬骨に当たり、血が滲む。石や腐りかけのパンが少年めがけて次々と飛んでいく。
文字通りの犬の如く、首に繋がれた鎖を引かれて階段を登る。一段登るたびに歓声が上がり、美しき城下町は人間の狂気に沈んでいた。
──こんなところでは、死ねない。
少年は伏せていた目を見開き、ただ前を睨んだ。その双眸に宿るのは憎しみでも怒りでもない。そんな感情を抱くことすら諦めた。が、その双眸が沸々と熱された鉄の如き輝きを失うことはなかった。
人生で最も長く感じた階段を登り終えた。首の枷が外され、膝を折って断頭台の前に跪く。
豪奢な黄金のローブを纏った処刑人が懐から羊皮紙を取り出し、群衆の前に大きく広げた。
「この男は──王家に味方し、罪深き女王を逃亡させる手助けをした!」
男は一度言葉を区切り、群衆の興奮を煽る。女王を模した案山子が掲げられ、火が放たれた。
「今一度、皆に問おう。この男の罪が許されてよいものか!?」
口をそろえて「否だ!」と叫ぶ。群衆が足を踏み鳴らし、松明を振り、「殺せ!」と口々に連呼する。
──どうせ殺されるのなら、
少年は自分の吐息が熱くなるのを感じた。顔を上げ、群衆の一人一人と目を合わせる。
──ここにいる全員を道連れにしてやる。負け犬にだって牙はある。
処刑人が巨大な斧を黒曜石で擦り、染みついた血と脂を落としている。一撃で首が飛ぶように──どうせなら楽に死ね、というせめてもの慈悲だ。
黄金の男がゆっくりと大斧を持ち上げ、少年の首が断頭台に乗せられる。
「何か、最後に言い遺すことは?」
「女王陛下、万歳」
言い終えた少年は煉鉄の双眸を閉じ、男はフードの奥に笑みを浮かべる。
「負け犬め」
囁くように放たれた言葉が群衆に届くことはなく、ただ無情に斧が振り下ろされた。
燃やされた案山子から立ち昇る煙は、死者を天へと導く梯子のようだ。あるいは、地の底、最低へと堕とす狼煙かもしれない。
ほんの少しだけ、前の話をしようか。そう長くはない話──二匹の負け犬のことだ。




