面接結果 その2
「結論から言いましょう。現時点でペリープト君を聖剣と認めることはできません」
満足に焦燥する時間も与えられなかった。
ロンギヌスの槍様は、はっきりとした口調で不採用を告げた。
言い直しを求める必要もない。
聞き取れた言葉の意味を正しく理解して、首元を絞められるような息苦しさの次に、この何十年間の努力が、俺の人生が泡となって消えた徒労感。
ああ、苦しいなあ。
もう働きたくないと思うぐらいには。
明日から博物館に飾ってもらおうか。野の花みたいに誰かに愛でられる装飾品として過ごそうか。またドイツ軍に戻るか。それかレプリカリバー社に勤めて模擬聖剣にでもなってやろうか。
「そ、う、ですか。はい。いえ、ありがとうございまし――」
「ですが」
……ですが? ですが? 面接には不合格『ですが』?
唐突にくっつけられた逆説の言葉。
「で、ですが?」
期待するような声音になっていたことは否定できない。だってそうだろう。
今は最底辺。全てを否定されて前は見えない光さえどこにもない。完全な暗闇を急速落下している最中だ。
『ですが』の後には「アルバイトとして事務を」でも、「聖剣フェスティバルのチラシをどうぞ」かもしれない。
けれど、どれだけ小さな希望でさえも、俯いている時には前を向く光が必要だ。
聖剣になるための道のりは険しい厳しい希望がない最悪の3Kだった。それでも前を向いていたのは、自分の中にある確固たる光――『発光』という能力が目標になっていたからだ。
ショーケースを見据える。
その中でやはり鎮座する二千年越しの聖遺物は、誘いの魔法をかけた。
「聖剣になるための下積みを積んでみないかな」
聖剣になるための、
「下積み……ですか? それは一体どういう」
聖剣になるための下積みなんて聞いたことがない。面接を受けに来た俺が言うのは本末転倒だが、聖剣は聖剣として生まれてくるのだから。
「聖剣は聖剣として生まれてこないよ」
心臓があれば跳ねていた。いや、心臓があっても跳ねない。そういう比喩だ。それほど驚いた。
「……もしかして心の声を?」
「気分を悪くさせてしまったらごめんね。長いこと生きていると、何を考えているのかわかってしまうんだ」
それが聖遺物としての能力なのか、長寿や面接官としての技量なのかはわからないが、とかく今までの内心も全て読まれていたらしい。
若造の浅知恵なんてお見通しだったわけだ。
「聖剣は聖剣として生まれてこない。確かに神々の加護を受けた剣が、救国救世の困難を乗り越えて当時の世や後世に偉大な剣、聖剣として伝わる。
けれど、全ての加護を受けた剣が聖剣になったわけじゃない」
「……大事を乗り越えられなかったからですか?」
国や世界を救えなかったから、聖剣として伝承されることがなかった。ということなのかと思ったが、ロンギヌスの槍様は「違うよ」と否定した。
「違うよ。聖剣になる気がなかったから、なれなかったんだ」
「なる気がなかった」
「ペリープト君が数多ある仕事から聖剣を選んだと同時に、数多ある仕事を選ばなかったように、その子たちも聖剣の道を選ばなかった。だから聖剣にはなれなかった。
まあ、彼らからすればならなかったというだけなんだけどね」
才能があっても目指さない者がいる。
自分の特殊性に胡坐を掻いて聖剣以上を目指したのかもしれないし、単に興味がなかったのかもしれない。
その傲慢さを誰かが指さして笑うことはできない。それはその剣が決定する一生だから。
「ならなかったから悪いわけじゃない。寧ろボクはその考え方を好んでいる。だってそうじゃないかな」
ロンギヌスの槍様が『仕事』について悩んだときに、きっと持論の証明をしたかったんだろうなと、その口ぶりでわかった。
自信満々な口調からは、後ろめたさや後悔の色を滲ませない、強い光が灯っていた。
「好きなことを仕事にできることほど、幸せなことはないんだから」
俺は同意見だと主張するように、相槌を打った。
「だからボクはペリープト君が請い願うなら、聖剣の道をこの先も目指すというのなら、お手伝いをしたい」
「それは、願ってもないお話ですが」
文字通り降ってわいた天啓のようなお言葉だ。それだけにナニか裏があるようにも感じてしまう。
「老いを千年ぐらい感じていると、若者の大成にしか関心がなくなるんだ。かといって仕事を無責任に放棄することはできないから、力量が聖剣としては不十分なペリープト君を今すぐに聖剣にしてあげるのは難しい。
勿論、神々に頼んで加護を付与することで、無理やり仕立て上げることができないこともないけれど――」
「それは勘弁してください」
即答する。そんなチートを受け取ったら、いつかしっぺ返しが来る。
自らの力をつけないと足取りが覚束ないまま階段を駆け上がることになる。
「そういうと思っていたよ。強大な能力を信託されるコネを使ったところで、身を滅ぼすのは自分自身だ。
地道に力をつけるといい。
振り返れば長い道のりだったと言える頃には、君は立派な聖剣になれているよ」
未來視のできない彼の言葉に根拠なんてなかった。
それでも、彼の言葉の裏には多大な希望しかないのだと熱を持った言葉が証言している。
信じることができた。いつか、俺は月明りよりも大きな光を照らせる聖剣になれるのだ、と。
柄を床に倒してお辞儀をする。
「多大な恩寵に深く感謝を。貴方様なくして、私の夢は果たせませんでした」
これはロンギヌスの槍様の御好意だ。決して驕ってはいけない。
深く感謝を刀身に刻んで、柄をあげた。
「夢までの街路を作ってあげただけだよ。それに、ペリープト君の夢を果たすためには、やはりこれから先も頑張らないといけない。異世界でね」
「はい。これからも頑張る所存です。異世界で………………異世界?」
ロンギヌスの槍様の言葉を復唱したら、聞き慣れない言葉を口にしてしまった。
異世界、と。
ここは地球と繋がった剣だけの別次元だ。たしかに異次元と言えなくもない。
なるほど、つまりこの斡旋所がある空間で、俺は修行をするということか。古来より、修行は師匠の元で行われるのが常だからな。
「そうだ。異世界なんだ」
魚の小骨が喉に刺さったときの兵士を思い出す。あの人も、こんな風にどことなく苦しそうな面持ちで口をもごもごとすることがあった。
「実はね、ペリープト君を採用したことには、もう一つの事情があるんだ。もしその事情が君にとって不快なものだったらこの面接は白紙に――」
「問題ありません!」
鬼も蛇も両方かかってこい! こちとら聖遺物を目の前にしてるんだ。これ以上の恐怖体験をしたいならナチス軍旗にパイを投げつけでもしないと。
おっかなびっくりする間さえ惜しかった。
固持する意を見抜いてくれたらしく、ロンギヌスの槍様は「わかりました」と言い、ショーケースに二回、頭をぶつけた。
ガラスが鈍く鳴った後、背後のカーテンを捲る音がした。
「なに用だ?」
「来てもらって悪いねえ」
カーテンを捲って登場したのは一人の老婆だった。人がいることにも疑問があるが、それより人と剣が会話していることに驚いた。
剣が人に言葉を話すのはルール違反だ。誰が決めたルールとかじゃない。詳細が明文化されているものでもない。人が生まれてすぐに、自分の舌を噛み切ってはいけないと感じ取るのと同じ危機感が自壊機能に組み込まれている。
だというのに、ロンギヌスの槍様は平坦な口調で、何のことの気もなく会話をしていた。
俺は人を視認した時点で、床に倒れて魂がないフリをしているというのに。
これが二千年を生きた槍のなせる業なのか……。これ以上に驚くことはもうないだろう。一生分の驚きが今日に詰まっていた。
老婆は北欧訛りだった。しかも、大昔の書物ばかり読み耽って古い言葉しか知らない田舎者みたいだ。
ロンギヌスの槍様の小間使いだと言われれば納得する出で立ちだったが、顔の皺の一つが国の歴史書並に厚く、おっかない。
老婆は杜撰な口ぶりのまま、ロンギヌスの槍様と会話し、俺を持った。
「じゃあ、こいつでいいのかい」
老婆は俺をぞんざいな手つきでは扱わなかった。価値ある物の持ち方をしっている扱い方だ。
「うん。頼むよ。刃こぼれ防止Ⅲがあるから、今のままでも中級戦闘ぐらいならこなせると思うよ」
「そうかい。それじゃあ」
そうして、老婆は俺を持ったままカーテンの向こう側に行こうとする。
ま、待ってくれ! 面接は終わったけど詳しい話は聞いていない! そう叫びたかったけれど人前だから喋れない。お願い魔王さま連れて行かないでドナドナドー!
ロンギヌスの槍様を見つめて訴えていたら、効果があった。
「ああ、待ってくれマナ。ペリープト君に事情の説明をするよ。異世界に連れて行くにしても、準備が必要だ。ボクが説明をする間に、どうか詠唱をしていてくれ」
ロンギヌスの槍様が老婆に頼み、俺はカーテンの外へ連れて行かれることはなかった。
この身を部屋の中心に置くと、老婆はぶつくさ何かを唱え始めた。早口で何を唱えているかまではわからない。
「ペリープト君。このときをもって君は社員だ。おめでとう」
目線だけで謝辞を伝えた。
夢への一歩だ。奇特な状況でさえなければ逆立ちをして喜んでいた。
「さて、実は君を採用した理由はもう一つあると、さっきも話したね。その理由なんだが……現在、聖剣の需要が増えている」
さっきもその話は聞いた気がする。
今は特需が多いらしく、下世話なことを言えば儲かっているとか。
「どうして需要が増えていると思う? 地球のどこかで戦争は起きている。だが、現代戦争で聖剣を使ってはいない。聖剣を使ってはいないということは、私たちのお仕事もないということだ」
ロマンがあっても斜陽産業だなんて人間世界の文筆家みたいだ。
ん?
聖剣業界は好景気。何故なら需要があるから。しかし地球で聖剣を必要とした戦争は存在しない。つまり需要はゼロ。
需要、どこに行った……?
「答えは異世界だよ」
床に魔法陣が浮かび上がった。橙色の光龍が陣の中を渦巻いて天井へと昇っていく。
転移魔法だ。
魔法陣の中心には俺ガイル。つまり俺が転移魔法でどこかに連れて行かれるということだ。
「ここではない世界。地球上のどこからでも行けるけれど、どこにもない世界。
そういう異世界が人間たちの暮らしの間には昔から存在していた。
聖剣の多くは、その神秘から生まれた」
まさか神々の世界か。俺は神々の世界に行くのか。
「神々の世界。そう評するわし座の娘もいた。
けれどペリープト君の想像する神話のそれじゃあない」
ロンギヌスの槍様は、通達した。
「異世界は人の空想の産物として創り出される。
今は特需でね。日本では多くの異世界が作られているんだ。永い英雄譚を語るための異世界ファンタジーという異世界。
そして望まれる異世界の数だけ聖剣が必要となる」
転移魔法が発動する。竜が自分の尾を噛みながら高速回転に移行する。魔法陣の内外に膜のような結界が張られる。
どうやら俺の最初の転属先は、異世界らしい。
「ペリープト君の特徴、最初に言っていただろう。
西洋剣と日本製の柄の組み合わせ。
日本人の手に馴染む君なら、異世界で英雄に好んで振るわれるだろう。君にとってもいい経験になるに違いない」
膜がみるみると半透明になり、すぐに魔法陣の外は何も見えなくなった。
体を動かしていないのに地面から浮遊していく。老婆に持たれたわけじゃない。勝手に、体が天井へと向かう。
天上には、竜が食い荒らしたかの如く大穴が広がっていた。ブラックホールの出口みたいに、大穴の先にはごく彩色の星々が煌いている。
「異世界で下積みをしてくるといい。英雄譚に付き合えば、君も立派な聖剣と名を馳せることになる。応援しているよ」
それじゃあ。
と、ロンギヌスの槍様はお見送りの言葉もほどほどに、俺を異世界へと導いた。