事前
あらすじどなたか代わりに書いて
汚れの一つも見当たらない廊下は会社の質を表す。
大きい支柱に挟まれた場所で、俺の順番が回ってくるまで待機していた。
「失礼します」
白亜のカーテンを通り抜けて、俺の前にいたロングソードが入室した。
『穂先をそちらに収めて、楽な格好で構いません』
カーテンの隙間から部屋の声が漏れている。随分としわがれた面接官の声が聞こえた。
冷や汗が流れるようだった。
人と違って刀身に汗腺はない。肉も骨もない。共通して存在するのは魂だけ。
汗は流れないが、もし汗腺があったら廊下に水たまりができそうな程、俺は緊張していた。
『では、簡単な自己紹介をお願いできますか?』
とうとう、面接が始まる。
しわがれた声の面接官が、ロングソードに自己紹介をお願いした。
なるほど、最初は自己紹介からか。なるほど。
面接室に入室した俺の前にいたロングソードは、とても気のいい奴だった。
面接前に少し会話したが、同族のロングソードということもあって話は弾んだ。
ぶっきらぼうな口調だったに似合わず、まるで人の上に立って治世でもしてきたかのように、気遣いと気高さが滲み出ていた。
寛大な心と若々しく精悍な刀身。彼を採用したいと考える人や剣の会社はいくらでも存在する優良物件だろう。
そんな外見と中身が完璧に見える彼でさえ、聖剣になれるとは限らない。
それが就職の難しさでもあり、聖剣という特殊性あふれる職業だ。
現代社会から次元を隔てて存在する剣の世界。さらに剣里離れた場所に俺は来ている。
ここは聖剣斡旋所。
聖剣になりたい者が来るべき場所だ。
聖剣は聖剣としての仕事を求めて。稀に俺みたいな凡夫な雑兵だった一本が、聖剣と認定してもらうためにくる場所でもあるらしい。
……らしい、というのは定かではないからだ。
凡百の一振りが聖剣になるなんて話は、古今東西のどこからも聞き及んだことがない。
なにせ聖剣といえば、神秘の具現化であり、人の世界で口伝される伝説や伝承の表舞台に立つ名脇役でもあり、力や正義の象徴だ。
ありふれた剣は、ありふれた剣としての一生を送る。それが当たり前だ。
面接官に会えば、一目で落とされるかもしれない。お前には聖剣になる才能がないとか、お祈り文をその場で読み上げられるかもしれない。
そうだとしても、聖剣になるためにはこの面接が頼みの綱だった。
当たり前を俺は崩してみせる。
聖剣になりたい俺が、聖剣になるための唯一の手段は、斡旋所に頼むことだった。
いっぱしの剣には到底知り得ないこの斡旋所の場所をどうやって知ったのか、面接で聞かれるかもしれない。
面接のために事前に考えてきた質疑応答を頭の中で唱えていると、カーテンの向こう側から声が聞こえた。
『はい、わかりました』
この声はさっきのロングソードだ。
面接の合否の基準など、わからないことだらけだ。
頑張れと応援すると同時に、どんな自己紹介をするのか参考にさせてもらおう。
『ロングソード・デュランダル』
………………は?
『天使よりシャルルマーニ十二勇士が筆頭ローラン様が天授された剣として世に名を馳せております。歳は千と二百ほど。聖剣としての仕事はヨーロッパから出不精となっていたところを角笛オリファンから勧められた故、大義は仕事をしてから決めます。能力は不滅の刃……』
そこから先は、耳に入ってこなかった。
面接を控えていることも忘れて、廊下に倒れてしまいたい。
聖剣だ。
マジモンの、しかも超ド級の、モノホン正真正銘の、聖剣だった。
デュランダルと言えば『ローランの歌』に登場する絶対に壊れない剣だ。
叙事詩の英雄ローランや、叔父にあたる軍事治世を行いヨーロッパの父とも名高いシャルルマーニが使う……。
後世に名を遺した聖剣を問えば、五本の指に入るほど有名。
有名過ぎて、まさか喋っていた相手がそうだなんて考えもしないほど……。
廊下にガシャリと金属音が響いた。
気づいたら卒倒していた。すぐさま自らを立て直す。
周りには誰もおらず、カーテンの向こう側にも気づかれなかったみたいだ。
聖剣斡旋所。
聖剣が仕事を受ける場所。
その事実を再認識する。俺みたいに十把一絡げの剣は異分子。
気を持ち直し、剣先を地面に突き立てて背を伸ばした。
柄が水平に保てていないというだけで、この場にいてはいけないと烙印を押されている気分だ。
だが、それでいい。
聖剣になりたい強い想いがあることを見せつけ、高潔であるように振る舞うべきだ。面接での印象は最重要ファクターのひとつなんだから。
気合いを入れ直すいいジャブだったと思え。ジャブにしては致命傷過ぎたけど。
あのデュランダルと世間話をしたことの高揚感がようやく抜けたころ、彼の面接も終わったらしく話し声が途切れた。
毅然とした態度で前を向いていたら、カーテンからデュランダルがすり抜けてきた。幽霊より怖かったけどなんとか倒れなかった。
「あ、あの……」
さっき、失礼なことを言ったかもしれないですよねごめんなさいごめんなさい!
と、謝りたおす前にデュランダルは、面接用の口調から世間話の時のものへと切り替えて柔らかくはにかんだ。
「いっや、緊張したー。あんなに緊張したのは地上二千メートルでヒッポグリフから落ちたとき以来だ。しかも地上には敵の軍勢。生きた心地がしないってね」
ぶっきらぼうな口調だったが、今はそれが有り難かった。
「ペリープトだったな、気張ってけよ」
そして緊張をほぐすようにデュランダルは鍔を俺の鍔にぶつけた。
西洋剣同士がぶつかったにしては軽い音にデュランダルは少し訝しんでいたが、この場でそれを問いただすことはしなかった。
「今度一緒に、錆落としにでも行こうぜ」
余計な気を揉ませるような事柄を察知して避ける。なんてできた聖剣なんだ……!
王侯の腰に下げられた由緒ある気高き剣に胸中で感謝しながら、俺は面接官に呼ばれるのを待った。
『次の方』
デュランダルが階下に降りて見えなくなった頃、しわがれた声の面接官に呼ばれた。
「はい」
自分の若い声に苛立ちを感じる。もう七十過ぎだというのに、面接官の声に比べれば若造だ。
誰が面接官なのだろうか?
デュランダルを相手にするなんて、さぞや緊張したに違いない。もし俺が面接官の立場だったなら、柄頭から穂先まで全てを横たえて平伏する。
……待てよ。
本能がナニかを忌避した。カーテンの前で立ち止まる。
この感覚には覚えがある。戦場で同じ危険シグナルを感じ取り、その場に立ち止まったことがあった。あのときは目の前に榴弾が落ちた。
あのデュランダルが「緊張した」と言っていた。
面接に不慣れだから? 確かに誰もが面接という自分を相手に伝える作業を恥ずかしく思うのは仕方のないことだ。それが千の年月を超えた名剣でさえも。
そうに違いない。だって、デュランダルほどの名剣なんてありはしないのだから。
神話世代から引っ張ってこない限り……。
『どうかしましたか?』
不審さを露わにした声音で尋ねられる。
もしかしたらカーテンの向こう側には神様がいるのかもしれない。
神々の加護なんて代物を受けたことのない俺からすれば、まさに雲の上の存在だ。
聖剣の面接を甘く見ていた。
カーテンを隔てた先はまさにパンドラの箱だった。
「なんでもありません。入ります」
しかし、ここで怖気づくわけにはいかない。
榴弾だろうと構わない。どうせここで諦めたら一生、俺は聖剣になれないのだ。
ようやく掴めたチャンス。恐怖心程度で引くわけにはいかない。ふいにしてたまるか!
「失礼します」
白亜のカーテンを透過する。
ギリシャ調建築の廊下とは異なり、面接部屋は鮮やかに彩られたモザイク模様がベルリンほど高い壁を覆いつくしていた。
圧倒されるほど力強い色合いは、まるで住む世界が違うと境界線を敷かれているみたいで、すぐにでも帰りたくなった。俺が人なら漏らしてる。絶対に漏らしてる。
なんていったって――。
「そう緊張しないでいいからね。穂先を床に着けて、楽な体制を取って下さい」
台座つきのショーケースに飾られた面接官が鎮座していた。
部屋のなかにはしわがれた声の面接官だけ。それもそうだろう、彼に匹敵する剣など、探すだけムダだ。
「はは……はは」
笑いがこみ上げてくる。面接だと思い出した後も、なかなかに止めることはできなかった。
「初めまして、だよね。皆からはロンギヌスおじなんて呼ばれるから、気軽にそう呼んでください」
イエスの死亡確認のために使われた世界で一本だけの武器にして聖遺物――ロンギヌスの槍。
穏やかな気持ちでいられるわけがねえ。
就職は簡単じゃない。