94話 回復
「お兄ちゃん? お兄ちゃん!?」
海胴殿の体が揺らぎ、咄嗟に四包殿がそれを支えた。海胴殿に反応は無し。前と同じく、過労で倒れたのでござろう。
「女、子どもは早く南へ!」
年老いた声が続けて広場に響き渡る。強い語調ではあるのでござるが、拙者にとっては、どこか緊張を覚える声音でござる。
「四包ちゃん、海胴君は大丈夫かい?」
「あっ、お兄さんたち。眠ってるだけみたいだから、多分大丈夫だと思うよ。」
現れたのは、四包殿と海胴殿が南のため池で知り合ったという若い男性三人組でござった。拙者たちとは塩の日のときに会って以来でござる。
「ねえお兄さん、今は誰が纏めてくれてるの?」
「あれは国王だよ。」
「国王?」
「そう。襲撃で向日葵区画を守った英雄なんだけど、襲撃以来ずっと行方が知れなかったんだ。」
「それが、瞬間移動でもしているかのような機動力で有名な先代国王が死んだ後、その後継者になったんだってさ。」
「政治は苦手みたいで、しょっちゅう問題を起こしてたけどね。でも、こんなときには一番頼りになるんだよ。」
その噂はかねがね聞いていた。拙者の師匠だって、襲撃では活躍したのだと、無意味な対抗心を燃やしていた覚えがあるのでござる。
「おい、そこの嬢ちゃん、そいつは怪我人か? なら尚更さっさと...」
話の当人。その嗄れた声がすぐそばで聞こえ、振り返った。その人物は、白く染まった長い髪を後ろに纏め、同じく白い髭を蓄えていたのでござる。しかし、拙者がその人物が誰か認識するのに、そう時間はかからなかった。
「し、しょう?」
「あ? お前は...稔?」
「師匠!」
そんな場合では無いとわかっていても、師匠に飛びつかずにはいられなかった。当然師匠はそれを止めようと手をやるのでござるが、それさえ躱して再会を喜んだ。
今までの人生の大半を共に過ごしてきた師匠が突然消え、また現れたのだ。これを喜ばずにはいられないでござる。
「師匠、どこへ行っていたのでござるか?」
「ああ、ちょっと国王をな。それで、そこの野郎は怪我人か?」
「ううん、大丈夫。」
師匠が国王と聞いて、納得したのでござる。やはり襲撃で活躍していたのは師匠であった。
「そうか。じゃあさっさと避難しろよ。」
まるで何事も無かったかのように立ち去ろうとする師匠。弟子と三年ぶりに再会したというのに素っ気なさすぎでござる。
その背中に言葉をぶつけようと思うのは自然でござった。
「師匠! 拙者にはまだ沢山話すことが」
「わかってる。この襲撃が終わってからな。」
襲撃さえ終われば、師匠は話してくれる。師匠が言う終わる、というのは勝利のことでござろう? ならば、何としてでも勝たねばならぬ。
ひとつ、拙者の中で決心がついたでござる。
「四包殿、海胴殿を連れて避難するのでござる。」
「えっ、稔君は?」
「拙者は...」
四包殿はおそらく、撃退に参加すると言えば反対するでござろう。本当は誰にも戦って欲しくなどないはず。それでも、生き残るためには仕方ないと妥協して、大人たちには何も言わないのでござる。
拙者はまだ若い。本来なら、避難して何ら不思議は無い上、四包殿もそれを望んでいる。しかし拙者は勝ちたい。そのために強くなったのでござる。勝てば師匠との対話というおまけ付き。俄然やる気が出るでござる。
四包殿には悪いでござるが、拙者には出撃する理由が出来てしまったのでござる。
「拙者は、少し師匠と話してくるでござる。四包殿、海胴殿の木刀はもう使い物にならぬでござる。拙者の家にはまだ予備がある故、取りに行くことをお勧めするのでござる。」
「うん、わかった。じゃあ稔君、家で待ってるよ。」
「拙者は直接避難するのでござる。四包殿も、木刀を手にしたら南へ向かってほしいのでござる。」
「わかったよ。また後でね。」
四包殿に嘘をつくのは、やはり心苦しい。申し訳ないが、拙者は避難する気などこれっぽっちも無いでござる。
海胴殿を背負って歩き出す四包殿。あの小さな体躯のどこにそれだけの力があるのか。
...もしかすると、これが今生の別れになるかもしれないのでござるな。いや、拙者は生き延びる。生きて、もう一度彼女らに顔を合わせるのでござる。
「師匠。拙者も参加するのでござるよ。」
今まで繋がっていた視界がブラックアウトした。たしかあの後は四包に背負ってもらって、家まで帰ったのだったか。母さんにこっぴどく叱られて、山には出禁になったのだった。
「クライスくん! クライスくん!」
父親の名を呼ぶ声。夢の内容が切り替わったのか。父親が出てくるということは、屋敷へ移動しているということだ。
「ツム、ギ?」
「クライスくん! 良かったぁ。」
母さんは心から安心しているようで、強ばっていた体を弛緩させて、父親が横になっているベッドに倒れ込んだ。今、父親の首筋、脇の下などには、タオルに巻かれた保冷剤が設置されている。
「もうっ! 買い物が終わって帰ろうとしたら急に森の中にいるし、目の前にクライスくんが倒れてるし、大変だったんだから!」
「ごめん、なさい。」
まだクラクラとする頭をなんとか起こし、心配させたことを詫びる。ここまで運んで来てくれたのか。というか、反応が無ければ救急車を呼ぼうよ、母さん。
「あんなところで何してたの?」
「調べてた。」
「何を?」
「...魔法。」
少し考えてから、答える。あの瞬間移動をもたらした不思議な力を、魔法と名付けることにしたらしい。異世界と被っているのでやめてもらいたいのだが。
「魔法?」
「そう。」
「面白いじゃん。学校があるから手伝ってあげられないけど、頑張ってね。」
「ありがとう。」
母さんはいとも容易く魔法を受け入れてしまった。普通疑いの目を向けられるか、可哀想なものを見る目をされるのに。ちなみに、ソースは四包だ。
「でも危ないことはしちゃだめ。わかった?」
「わかった。」
「お兄ちゃん、体は大丈夫?」
目を覚ますと、やはり屋敷の天井だった。つい「おはよう」と言ってしまいそうになるが、外は暗い。少し視線を横に向けると、心配そうな妹がいた。
「大丈夫だ。稔君は?」
「先に避難してるって。はいこれ。」
「これは?」
「木刀。」
「それは見たらわかる。」
「今朝の打ち合いでお兄ちゃんのが傷んでることがわかったんだって。それで、稔君の家から拝借してきた。」
「そうか。ごめんな。ここまで来るのは大変だったろ?」
僕が倒れた広場からここまで、近くはなかったはずだ。多大な迷惑をかけてしまった。
「いいよ。それより、もうちょっと詰めて。私も疲れちゃったよ。もう少しだけ寝ていよう?」
「そうだな。」
襲撃はまだ始まっていない。海上から大軍を連れてここまで来るのはそう早く終わるものでもないし、行軍も休み休みだろう。仮眠を取るだけの時間はあるはずだ。
「おやすみ、お兄ちゃん。」
「ああ、おやすみ。」
並んで横になる。ふと、隣の四包が僕の腕をきつく絡めとってきた。不安なのだろう。僕だって怖くないと言えば嘘になる。誰か大切な人が死ぬかもしれない戦いが始まろうとしているのだ。
「早く眠ってしまいたい。」
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