93話 流布
「行きましょう。」
街中を駆け回って、襲撃が再び始まるという情報を流した。万穂さんから話を聞いた人は皆、決意を固めたような表情をしている。
「襲撃? 冗談は他所で頼むよ。」
「本当なんです! 信じてください!」
「ごっこ遊びなら他を当たってくれ。」
「嘘ではないのでござる!」
「そんな胡散臭い喋り方で言われてもね。」
稔君へ999のダメージ。稔君は倒れてしまった。そして叩き起こした。この程度で凹んでもらっては困る。
教会から離れてきたことで、万穂さんの情報ネットワーク圏内から外れ、だんだんと信用されなくなってきている。しかし、それで止まっていられるほど状況は甘くない。
「お願い。信じてくれなくてもいいから、心の準備だけはしておいて。」
「お、おう。わかった。」
こんな可愛い子が言うなら信じてみるか。という考えが透けて見えるほど、だらしない顔を晒す目の前の人。この人のように、四包がいるおかげで、信じては貰えないまでも、頷かせることが出来ている。
「襲撃?! そうか、ついに来おったか。孫を逃がさんとな。」
「周知の徹底もお願いします。」
「任せておけ。」
こんなふうに、年配の方でもまだまだ青い僕達の言葉を真摯に受け止めてくれる人もいる。ピンクの前掛けが似合わなさ過ぎて吹き出しそうになったのは内緒だ。ここで笑って、相手が怒ってしまえばおしまいなのだから。
南西方面は粗方回っただろうかという頃。既に日は傾き、僕達の身体は疲れきっていた。
「海胴殿、あれは何事でござろうか。」
そんな中、一番体力が残っている稔君が、少し先の広場でたくさんの人が集まっていることに気がついた。
「襲撃だって?!」
「またあの地獄が始まるの?!」
「もう怯えて暮らすのは嫌だ!」
「誰か助けてくれ!」
口々に叫ぶ人集りの中心に、今朝駆け込んできた男性がいた。情報を広めることは出来ているようだが、人々は肝心の心構えが出来ていない。
「落ち着け! 慌てずに対策を取るんだ!」
「そんなことをしたって、また蹂躙されるだけだ!」
「神様! どうか私たちを救ってください!」
「神様!」
必死で人集りをまとめようとしているが、それも上手くいっていないようだ。
僕達は個人個人に話をして、落ち着いた中で情報を伝えたが、集団ではそうはいかない。誰か一人が弱音を上げた時点で、その感情は周りへ伝播する。
「みんなっ! 落ち着いて!」
精一杯の声を張り上げて、四包が言う。しかし寄り集まった負の感情を持つ人々は、それだけでは振り向かない。それでも四包は叫ぶのを止めなかった。
「お願いっ! 落ち着いて! まだ諦めちゃだめ!」
このままでは、また混乱のうちに襲われてしまう。それが分かっているから、四包は諦めないのだ。僕だって、負けてはいられない。
こんなときに敬語なんて使っていてはダメだ。より感情に働きかけられるような言葉遣いで。イメージしろ。相手は全員、これから命を預け合う僕の家族だと思え。
これ以上無いくらいに息を吸い込んで、お腹に力を込めて、口から大砲でも放つかのようなイメージで言葉を放つ。
「静まれっ!」
自分でも驚くほどに大きな声が、他ならぬ僕の口から発せられる。あまりの音量に辺りの人々全員がこちらを向いた。途端に恥ずかしくなって、顔を背けたくなるが、堪える。
「ここで諦めたら、今までの努力が全て無駄になる! 今日という日のために! 準備してきたんだろ!」
言葉の変わり様に、四包ですら驚きの表情を向ける。それすら構わずに、言葉繋げ続けた。
「二十年前を思い出せ! あの日の災厄を忘れたのか! あれに抗うために! 必死で対策を考えたんだろ!」
構成などこれっぽっちも考えない、乱暴な言葉。ただ諦めて欲しくないから。今までの努力を無駄にして欲しくないから。
「ここで諦めたら全て無駄に終わる! 今までの努力も! 亡くなった人の思いも! あのときの悔しさも! 全部だ!」
息が足りなくなって、息切れを起こしてしまっても、それでも言葉を紡ぎ続ける。
「ここで諦めて逃げても! 生き残ることなど出来はしない! 生き延びるためには、戦って、勝つしかない!」
喉が焼けるように痛い。たとえこれで声が枯れてしまうのだとしても、それすら厭わずに言葉を紡ぎ続ける。
「拳を掲げろ! 生き残るために! 復讐のために! 持っている力の全てを使え! 全てを使って戦え! 勝利を我らの手に!」
そこまで言って、やっと言葉を止めた。これ以上声を出そうと思っても、掠れてしまって出すことができない。だが。
「そうだ! 戦うんだ! 奴らに目にものを見せてやる!」
「戦え! 家族を守るために!」
「戦え! 生き残るために!」
「戦え! 今までの思いを無駄にしないために!」
流れは作った。これで諦める人は居なくなっただろう。
「戦えないやつらは南へ!」
年老いたように嗄れていて、それでも力強い声が広場に響いた。纏めることができる人が現れたのなら、僕達の役目はこれで終わり。
そう認識すると同時に、恐ろしいほどの虚脱感に襲われた。無意識に瞼が降りてきてしまう。立っていることすらままならず、意図せず後ろに倒れた。
「お兄ちゃん? お兄ちゃん!?」
ああ、結局、心配をかける羽目になるのか。四包には申し訳ないが、僕の意識はここで途切れてしまった。
僕は今、裏山の中を進んでいる。小さな四包が僕の少し先を歩いていて、木の根を飛び越えるようにして前進していた。
これもまた夢。疲労で倒れても夢を見るのか。今の僕の状態を体現しているかのように、夢の中の僕は息が上がっている。
「うわっ?!」
「えっ?」
ふと、目の前を歩いていた四包の体が揺らぐ。着地の瞬間にバランスを崩したのだ。そのまま僕の方向へ倒れてくる。咄嗟に支えようとするのだが、人の体重なんかをこの頃の僕が支えきれるはずもなく、尻餅をついてしまった。
「いたたた。」
「ごめんね、お兄ちゃん。」
心底心配そうな表情で僕を見てくる四包。なんだ、この頃の僕はこの程度で心配されるほどの貧弱さだったのか。
「大丈夫。」
「良かった。じゃあ行こっ。」
これは多分、小学校高学年の頃か。山を探検することに打ち込んでいて、秘密基地なんかも作っていた。土まみれで帰っては母さんに怒られていたものだ。
今度は二人、手を繋いで歩き出す。転ばないように慎重に、それでいて急ぎ足で。
「着いたー...?」
「どうしたの?」
僕達の自慢の秘密基地に、予期せぬ来訪者があった。土に同化するような、暗い茶色の体。今の僕達の腰くらいまでの大きさがあるだろうそいつは、秘密基地に置いていた木の実を食べているようだった。
敵対してはいけない。そう本能が警鐘を鳴らす。よって、掴んだ手をそのままにUターンしようとしたのだが。
「こらー! それは私たちが集めたんだぞ!」
「四包?!」
四包は僕より力が強いわけで、引っ張られる形でそれに向かい合うことになった。四包の声に気づいたそいつは、こちらへ振り返る。その口元には、くすんだ白の牙が。その姿は猪のそれであったが、普段見かけるよりも数倍大きい。
まさしく猪突猛進。先手必勝とばかりに鋭い牙を振りかざして走ってくる。
「危ないっ!」
「きゃぁ!」
引いてだめなら押してみよ、ということで、四包を押し倒し、なんとかその猪の突進を躱すことが出来た。僕達の背は斜面であったため、猪は勢いを殺しきれず、なかなか戻って来られないようだ。
「今がチャンスだ。四包、逃げよう。」
「ぐすっ。うん。」
見ると、四包の目には涙が溜まっていた。余程迫り来る猪が怖かったのだろう。無理もない。小学生ならその反応が普通だ。こんな状況でも冷静な辺り、僕は異常なのだろうか。
ぐずっている四包の手を引いて、山道を駆ける。直進を避け、なるべく複雑に。そうすれば奴は追って来れない。
「ぐすっ。ふえぇぇん!」
「四包。もう大丈夫だ。怖い猪さんは追いかけてこないよ。」
「うえぇぇん!」
言葉で伝えようとするも、四包は泣き止んでくれない。幸いなことに、日はまだ高く、しばらく立ち往生しても暗くなる心配はなかった。なので、ゆっくりでも確実に泣き止ませようと、母さんがそうするように、四包の頭を胸に抱いた。
「大丈夫。大丈夫だ。」
「ぐすっ。ううっ。」
「僕が守るから、大丈夫。怖いの怖いの飛んでいけ。」
しばらくそのままでいると、だんだん落ち着いたようで、しゃくり上げるだけで涙は溢れなくなった。
「よし。じゃあ帰ろう。」
「うん。」
あれ? この後はどうなったんだ? 後の記憶が思い出せない。何かが引っかかっているような感覚。頭の奥底にはあるようで、夢では着々と歩を進めているのだが。
思い出した。たしかこの後、四包を気遣うあまりに自分が疎かになり、木の根に躓いて...
そこまで思い当たったときには、僕の体は斜面に投げ出されていた。
「お兄ちゃん? お兄ちゃん!?」
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