92話 避難
「奴らだ! 奴らの船だ!」
耕司さんの家で砂浜の魔物の対策を練っているところに、耕司さんの製塩仲間と思しき人物が大慌てで入ってきた。
「落ち着いてください。どうしたんですか?」
「奴らが来たんだ! もう一度、襲撃が始まるんだ!」
「何ですって?!」
まだ遠くではあるが、海の上に、二十年前と同じ帆船が見えたのだと言う。その人は襲撃の前から山茶花区画に住んでいたそうで、襲撃当日に運良く逃げおおせたらしい。そのとき見た船の威容は瞼の裏に焼き付いているという。
「急いで逃げないと!」
「しかし、奴らの動向が分からないのでは不利になってしまいます。何人かは残らなければいけません。」
耕司さんは「不利になる」と言った。つまり、戦う姿勢、用意があるということだ。二十年間ずっと怯えていたわけではないのだろう。
「では僕達が行きます。これでも、足の速さには自信があるんです。」
「...今はそれを信じましょう。そうだとしても、信憑性が足りません。大人がついて行く必要がありますね。足に自信がある人を中心に、南、南西、南東の三方向に分かれましょう。」
たしかに、子どもだけであれば信じるに値しないかもしれない。だが、あの人だけは違う。
「南西であれば僕達を信じてくれる人がいます。そこへ向かわせてください。」
耕司さんの目を見て、真摯に訴えかける。対する耕司さんは、しばらく考えるような素振りをして。
「いいでしょう。一応、信用が足らない場合のため数人送っておきますが、君たちは先に行ってください。」
「わかりました。」
「では、急ぎ出発を。」
勇ましく言い放ったのは良いものの、問題は四包だ。まずはこの事実を伝えなければならない。
「ほんとに?! 早く逃げないと!」
「逃げるだけじゃない。きちんと情報を伝えるんだ。そのために僕達は万穂さんのところへ向かう。」
「うん。わかった。」
「走れるか?」
「大丈夫だよ。今は。」
体調のためにも、なるべくなら安静にしていて欲しいが、今は非常事態だ。そうも言っていられない。
護身用の木刀、弓を引っ提げ、瓦礫の大地を駆け抜ける。このままのペースなら昼過ぎには到着できるだろう。
「四包、大丈夫か?」
「う、うん。だい、じょーぶ。」
四包の息がいつもより荒いことに気づいた。時折歯を食いしばって、耐えるような表情を見せるのだ。ああもう、見ていられない。
「四包、乗れ。」
スピードが落ちてきた四包の前で、片足をつき、背中を指す。今の僕なら、四包くらい背負ってでも十分走ることができるはずだ。
「えっ、でも」
「いいから! 急げ!」
「...うん、ありがとう。」
木刀と弓を稔君に預け、四包の軽い体重を感じながら、もう一度走り出す。四包の呼吸は落ち着いてきているが、時偶「ううっ」という呻きを上げる。これ以上は何もしてやれないのが悔しいが、少しでも早く着けるよう、その声から意識を逸らすようにして走り続けた。
「かっ、はぁっ、はぁっ。」
「ありがとう、お兄ちゃん。大丈夫?」
やり切った。正直倒れそうなほど疲れているが、妹のために頑張ったのだ。兄としての面目躍如はできただろう。
「万穂殿! 大変でござる!」
四包を背負って走破し、息切れを起こした僕に代わって稔君が教会へ声をかけた。返事が無いということは、畑仕事か牛の世話だろう。
「呼びに行ってきます。四包と稔君は待っていてください。」
稔君は農場の場所を知らない。必然的に僕が出なければならなくなる。足が悲鳴を上げているが、構っていられない。
「万穂さん! 大変です!」
「どうしたんだい、海胴。そんなに慌てて。」
驚いた万穂さんだったが、僕の疲れきった様子から只事ではないと感づいたのだろう。すぐに手を止め、再開の喜びも放りだして話を聞いてくれた。幸いにも大人たちは皆揃っている。
「なるほどね、話はわかったよ。」
「驚かないんですね。」
「まあね。いつか来ると思ってたさ。それだけに、準備だってしてあるんだ。」
いつもの豪胆な笑みが、さらに鋭く、獰猛な笑みへと変わっていく。その表情には恐怖さえ覚えるが、同時に頼もしいとも感じていた。
「やっと、奴らに復讐ができるんだ。」
万穂さんはそう言い残し、情報を街中に伝えるため、走り出した。やる気は十分。このまま彼女に任せていれば大丈夫だろう。
少しだけ安心感を得たせいか、危機が迫っているというのに力が抜けてしまいそうになる。だが僕達にはまだ出来ることがある。それを成し遂げるまで休んではいられない。
「海胴殿! 今万穂殿が走り過ぎて行ったのでござるが。」
「ええ。話はしてきました。これでこの辺りは情報が出回ることでしょう。」
それで情報は拡散していくが、ここは向日葵区画でも西の外れ。スピードには限界がある。したがって。
「移動しつつ、情報を流しましょう。完全に信じて貰えなくとも、心の準備はできるはずです。」
「それはそうでござるな。では、行くでござる。」
そう言って教会の扉に手をかけるのを、呼び止める影が。今まで床に座り込んでいた四包だ。
「待って。私も行く。」
「四包...ダメだ。安静にしてろ。」
「いいの、大丈夫。」
「足でまといになるぞ。」
四包の良心を痛めつける言葉。本当なら使いたくは無かったが、早く諦めさせるにはこうするしかない。
「でもっ...」
「行かせてあげてよ、海胴兄ちゃん。」
「亜那ちゃん?」
いつの間にか開かれていた扉に、亜那ちゃんが立っていた。せっかく僕が、妹を傷つける道を選んででも早く話をつけようとしたというのに、邪魔が入ってしまった。
「四包姉ちゃんは、海胴兄ちゃんについて行きたいんだよ。無理しないか心配だから。好きな人のそばに居てあげたいって気持ちは、無下にしていいの?」
「それは...」
そうか、見抜かれていたか。本当はもう1歩だって歩きたくない。その気持ちを抑えてでも、少しだろうと情報を回すために走ろうとしている。
このまま四包を置いていけば、また心配をかけてしまう。その事実に、僕の心は酷く締め付けられた。
「...遅くなるようなら置いていくからな。」
「...うんっ。頑張るよ。」
信憑性を得るためには、少しでも人がいた方が良い。表情豊かな四包がいた方が、真剣さが伝わるだろう。...これは四包を連れていくために後付けした、自分への言い訳なのだが。
「よかったね、四包姉ちゃん。」
「ありがとう、亜那ちゃん。」
さっきの亜那ちゃんは、どこか僕を諭すときの四包に似ていた。四包のあれは母さん譲りのものでもある。
柑那さんや千代さんに連れられて、子どもたちは避難を始めた。その道中でも情報は広まるだろう。
「行きましょう。」
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