89話 羊飛
「沖まで、レッツゴー!」
勇ましい掛け声を上げるのは四包だが、実際に漕ぐのは男組。あまりスピードを上げて船が破損なんていうことになると、せっかくの安全確認が無意味になるので、池を進むボートくらいのスピードでゆったり進んでいく。
「海綺麗だね。」
「そうだな。」
真上に登った太陽が照らす海は、入ってみたくなるほどキラキラと輝いている。前の世界では海など行ったことがなかったが、よく水質汚染などの話を聞くので、こんなに綺麗ではないのだろう。
「底に何か見えたりしないでござるか?」
「特に何も見えないですね。」
海底には岩が転がったいて、海藻のようなものも見える。その周りを小さな魚が跳ね回るように素早く泳いでいるが、それだけだ。何メートルもある怪物が潜んでいるとは思えない。
「確かに、まだ深くもなさそうでござるな。もっと沖まで行くでござるか。」
「いえ、案外深いですよ。光の屈折によって浅く見えているんです。」
「屈折でござるか?」
「その授業は後にしようよ。案外深いって言っても、お家ぐらいの大きさなら、もっと深いところにいるでしょ。」
「そうだな。稔君、運転を代わりましょう。」
人生初の手漕ぎボート。たしか、全身を使うようにして漕げば効率が良いのだったか。そしてオールを引っ張る。思ったより力が要るな。
「風が気持ちいいでござるな。」
「そうだね。ちょっと寒いけど。」
そう言って微笑みながら、風に靡く髪を押さえる四包。絵になる風景だ。目の前に稔君が立っていなければ。こんな揺れるボートでもバランスを取っていられるのは流石だと思うが、邪魔でしかない。
「結構沖合まで来ましたが、何か見えますか?」
「ちょっと大きめのお魚さんがいるよ。」
「うむむ、拙者にはよく分からないのでござる。海胴殿なら拙者より詳しいでござろう。運転を代わるでござる。」
自慢ではないが、小学校の頃は魚図鑑にハマっていた。そのおかげで、遠足で行った水族館では四包専用解説者になったこともある。何故四包限定だったかは聞かないで欲しい。
「いっぱい泳いでるけど、あれって何の魚?」
「あれは、サバ、だな...?」
「どうしたの?」
前後に細長い紡錘形で、口が尖っている。背面は青緑色で、サバ特有の黒い曲線が走っている。大きな群れで回遊する魚で、餌は小魚などの小動物。前の世界では食用として重宝されていた。僕も、一時サバの味噌煮を好んでいたものだ。大きさは全長50センチくらいが普通、なのだが。
「大きすぎないか?」
「そうなの?」
屈折していてはっきりとは分からないのだが、図鑑にあった船上からの写真、それで見た大きさの倍くらいはある。異世界産のサバが大きいのか、僕が見た写真が小さかったのか、どっちだろう。
「怪物ってほどじゃないね。」
「あの群れに囲まれたら十分恐怖だろうけどな。」
「もっと沖まで行くでござるか?」
「ひとまずこの辺りで探してみましょう。」
そうして日が暮れるまで周辺を探し回ったが、十本足の怪物なんてものは見つからず、今日の捜索は終了となった。
「見つからぬでござるな。」
「何せ海では範囲が広いですからね。」
「いい方法無いかな?」
相手は家屋級の生物だ。そう浅瀬に居るものでもないだろう。誘き出す方法でもあればいいのだが。
そういえば、その怪物とやらは製塩地で何をしていたのだろう。まさか間違って上がって来たわけでもあるまい。理由が分かれば正体も予想がつく。
「今度は夜に行ってみますか。」
「え、今日?」
「今日はもう十分でしょう。明日の夜に。見つかると良いんですが。」
夜に見つかったということは、夜行性の可能性がある。どうしてそこに気が付かなかったのか。昼間はどこかに隠れているのだとしたら、見つかるはずがないのだ。
翌朝。
目が覚めて、いつも通りのトレーニングをし、夜まで仮眠を取ろうということになったのだが。
「眠れない。」
四包、僕、稔君。この順番で川の字に寝ている状態。寝つきが良い四包は昼であろうとお構い無しに、薄い胸を一定のペースで上下させている。
首を捻れば、稔君が眠っている。それはいいのだが、その体勢はうつ伏せ。顔は見えないが、苦しくないのだろうか。
「羊が一匹、羊が二匹」
無駄だと分かっていても、柵を飛び越える羊を数えてみる。これほど迷信という言葉が似合うものがあるだろうか。
「羊が五匹、羊が六匹」
当然だが、小学生の頃は高校生になってからよりも長く睡眠時間を取っていた。22時から7時までの9時間だったか。子どもとはいえ寝すぎなわけで、暗い部屋で目が冴えてしまうことが何度かあった。
「羊が九匹、羊が十匹」
それで母さんに教えてもらったのがこれ。今までで最大の脱走劇は173匹。これだけの羊を従える農家があるなら敬意を表する。
「羊が百匹、羊が百一匹」
しかしそれも今日で更新できるだろう。外は明るいし、最近になって睡眠時間も短くなった。あとは自分との勝負だ。
いかんいかん、勝負ではない。寝るために数えているのに、敢えて起きようとする必要は無いのだ。僕は寝るんだ。
「羊が一万...何匹だ?」
結果、万単位で羊が逃げたら眠ってしまったようだ。外はすっかり暗くなっていた。昼寝後特有の体温の高まりと、ぼーっとふやけた頭を布団から出て一気に引き締める。
「起きたでござるか。」
「稔君。僕が最後ですか?」
「足元をよく見るでござる。」
寝返りを打って僕の側まで転がってきていた。通りで元の位置を見てもいないはずだ。しかし、よく眠る妹だ。これで何故こうも成長が乏しいのか...これを口に出せば叩かれることは間違い無い。気をつけよう。
「四包、起きろ。出発するぞ。」
「んぅん、あと五十分だけ。」
「厚かましいな。」
布団をひっペがしてやると、流石に寒さで起きたようだ。しかし、足取りはフラフラとおぼつかない。夜風に当たれば目が冴えるだろう。
「海岸まで到着でござる。」
走りにくい砂地を極力荒らさないように、早歩きくらいのペースで海岸に到着した。幸いなことに、月明かりのおかげであらぬ方向へ向かうということも無かったのだが。
「嘘だろ?」
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