87話 稔夢
「これは酷いな。」
家屋レベルの怪物が見つかったという現場にやってきた。元は平だったであろう砂地には無数の穴が開いている。その一つ一つが僕の腰あたりまでの深さはあろうかというレベルだ。
「大体円形かな?」
「円い足跡でござるか。」
「しかし、それも当てにならないかもしれませんね。」
こう足跡が深いと周りの砂が崩れて、正確には分からなくなってしまう。実際、大体円形ということしか判別できていないのだ。
「手がかりにはならなさそうだね。」
「ただ、耕司さんの言い分が正しいという証明にはなったでござるな。」
「そうですね。しかし、そんな大きなものがどこにいるんでしょう。」
こんなだだっ広い砂地を家レベルの存在が根城にしていれば、どれだけ鈍感な人でも気づく。この近くに隠れられるところがあるのだろうか。とすれば場所は限られてくるが。ダメ元で、耕司さんに聞いてみよう。
「思い当たる場所はありませんね。」
「ひとつも?」
「はい。」
まあ、こうなるわけだ。そんな場所があれば真っ先に自分たちで調べるか、調査前に教えてくれるだろう。仕方ない、ここからは僕達の仕事だ。
「とりあえず、製塩地の周りで探してみましょう。」
「拙者は向こう側を。」
「じゃあ私はその反対で。」
「僕は海の方へ向かってみます。」
一斉に駆け出す。砂地に足を取られて走りにくいが、これもトレーニングの一環として考えよう。変に力が入って足をつらないかが心配だが。
「どうだった?」
「何もなかったでござる。山の近くまで行けば何かあるかもしないでござるが。」
「私も同じ感じだね。お兄ちゃんは?」
「どこまでも砂地でした。強いて言うなら海の中ですかね。」
山か海。木を隠すなら森の中、大きいものを隠すなら大きいものの中だ。せめて怪物の色でも分かればいいのだが。
「この時期に海かぁ、寒いよね。」
「それを見越しての依頼だったのかもしないな。」
「海に季節が関係あるのでござるか?」
「だって泳げないじゃん。」
「海は泳ぐものでは無いでござろう?」
どうやらこの世界には海は泳ぐものでは無く、船を使うものらしい。稔君も乗ったことは無いようだが。泳いでも池か湖。昔は湖にも船が出ていたらしい。
「異世界では海水浴なるものがあったのでござるな。文化の違いを感じるでござる。」
「夏にするものでしたが。」
「それで、山か海か、どっちを調べる?」
「そういえば拙者、海の魔物の物語を聞いたことがあるのでござる。」
何故それを最初に言わない。とはいえ、忘れているよりマシなのだから、感謝しておく。それはとてもマイナーな話らしく、稔君も誰かから借りた本で一度きりしか読んだことがなかったという。
「ある人間の子どもが、浜辺で小さな...」
「小さな?」
「何と書いてあったか忘れてしまったのでござるが、とにかく小さな動物を虐めていたのでござる。」
「浦島太郎みたいだね。」
「そして虐められた動物は、浜辺に打上げられたまま死んでしまうのでござる。」
物語の冒頭がそんな鬱々たる始まりで良いのか。絶対に子ども受けしないだろうに。四包も少し嫌そうな顔をしている。あまり四包に暗い話を聞かせたくはないのだが。
「その動物のお母さんは怒り狂い、海に入ってきた子どもを引きずり込んで食べてしまうのでござる。」
「...なんか海に入るのが怖くなってきたよ。」
「大丈夫だ四包。これは作り話だからな。」
きっと軽はずみな気持ちで海に入る子どもを戒めるための話なのだろう。さて、ここらで物語らしく、ハッピーエンドに持っていきたいところなのだが。
「そしてそのお母さんが、海の魔物と呼ばれるわけなのでござる。あ。」
「どうかしましたか?」
「思い出したのでござる。その動物は確か、足が十本あったのでござる。」
「なんでそんなに断片的なんですか。」
「その印象が強かったのでござるよ。」
まあ、たまにあることだ。名前は思い出せないのに、その物体の絵だけは思い浮かぶようなことだろう。その場合は調べるのがとてつもなく面倒だったりする。逆なら簡単に済むのだが。
「そんなある日、村のある若者が小舟を出して言ったのでござる。「もう村の子どもを襲うのは止めてくれ!」と。」
「順当な流れですね。」
「すると、その魔物は言ったのでござる。「ならば決して我らの子を虐めるな。」と。」
「魔物さん良心的だね。」
たしかに、怒り狂っていたにしては優しい。海の水で頭が冷えたのだろうか。それとも、復讐としてしていたことが人間と変わらないことに気づいたのか。
「そうして新たなお触れが出され、子どもたちに海の生き物の大切さをよく教えるようになった、ということでござる。」
「めでたしめでたしー。」
ふむ、仮にその話が実際にあったことで、犯人がその十本足の魔物だとして、どうしてまたここで? その話はそれで終わったはずだ。
と言っても、物語なんてほぼほぼ作り話であるのだから、そう真剣に考える必要も無いだろう。
「じゃあ明日は海を調べよっか。」
「賛成でござる。」
「船が借りられるか聞いてみましょう。」
船を借りることが出来るか耕司さんに尋ねたところ、二つ返事で快諾してもらった。しかし、耕司さんもろくに乗っていないらしいので、船の安全性は怪しいところだ。
「航海して後悔しないようにしないといけないでござるな。」
「「...」」
「無視は精神的に痛いのでござるよ。」
試しに明日、浅瀬で試してみよう。どこかに穴が開いていれば即座に着岸するとして。沈没なんてしてしまえばシャレにならない。この冷たい海に放り出されるなんて考えただけでも背筋が凍る。
「そこっ、隙だらけだ。」
「はいっ、でござる。」
懐かしい記憶でござる。小さい身体で師匠の木刀を受け、全身に痛みが走っているのに、それでも立ち上がることができたのは、確かに強くなっている自覚があったからでござった。
「大丈夫か、稔。」
「はいっ、師匠。ありがとうございました、でござる。」
地面に大の字になって、空へ上る自分の息を呆然と見つめる。そうしていると、知らない間に疲れが固い地面に吸い取られていく気がしたのでござった。
「なあ稔、その変な喋り方止めないか?」
「へ、変ではないのでござる。」
「いや、変だろ。」
「変ではないのでござる!」
皆が拙者を変人呼ばわりするのでござるが、拙者は至ってまともなのでござる。少なくとも、働かないで拙者の稽古ばかりをする師匠よりは。
「師匠は何故、拙者にばかり付き合ってくれるのでござるか?」
「なんだよ、稔から言ってきたことだろ?」
「そうでござるが、仕事は良いのでござるか?」
「いいんだよ、俺はこの街を守った戦士ってことになってるからな。」
師匠は襲撃での活躍が評価され、労働を免除、というよりは、周りに労られるようになったのでござった。背中の大火傷に気を使った、街の人の気配りでござる。
「実際、奴らを追い返したのは俺と言っても過言じゃないな。」
「もうその話は聞き飽きたのでござる。」
「そう言うなって。」
そういえば、いつも話していた武勇伝があったのでござる。今となっては懐かしい、良い記憶でござるが、あの頃の拙者はうんざりでござった。
「敵の総大将みたいな奴との一騎打ちで勝ったんだぞ? あれは凄まじい戦いだった。」
「はいはい、分かったのでござるよ。」
そして、それがきっかけとなって襲撃が収まったと聞いたのでござる。今思えば、師匠は凄い人でござった。今はどこをほっつき歩いているのか知らないでござるが。
そしてひとしきり話したあと、決まって独り言のように言うのでござる。
「稔には剣を握らせたくねえな。」
と。拙者に色々叩き込んでおきながら、今更それはないだろうと思ったものでござるが、過去の出来事は、武勇伝と同時に辛いものであったのでござろう。
「師匠の剣は拙者が継ぐのでござる。」
「継がせたくねえって言ってんのによ。」
照れたように笑って頬をかく師匠。いつかまた会った時に、その顔を驚きに変えてやるのでござる。そのために明日も、海胴殿という好敵手予備軍と、切磋琢磨するのでござるよ。
「よろしく頼むのでござる。」
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