82話 案形
「よし、これでいいか。」
出来上がったそれを片手に、倉庫を出る。そのまま職場となりつつある応接室へ向かった。開店中は基本的に応接室で待機し、依頼主が来たら迎えるという仕事スタイルとなっているのだ。
「海胴殿。ちょうど良いところに。」
「どうしたんですか、稔君。」
四包の姿が見えない。トイレにでも行っているだろうか。まあ気にする程のことではない。それより稔君の話を聞こう。
「先程、明日香殿が来て試作品を置いていったのでござる。」
「仕事が早いですね。」
「それで四包殿が着替えているところなのでござる。」
なんでも、試作品を着てアピールしてほしい、ということだ。一刻も早く受け入れてもらうには良い手だろう。少しずつでも広まってもらわなければ、考えた意味が無い。
後ろから扉を開く音が聞こえた。どうやら四包が戻ってきたようだ。
「どうかな、お兄ちゃん。」
「...綺麗だ。」
「え、えへへ。」
思わず息を飲んだ。少し暗めの赤というシックな色合いの着物。それが四包の可憐な容姿を引き締めて、美麗な姿へ昇華させている。結い上げた髪がサラリとなびくのもまた美しい。
「本当に美しいでござる。」
「ありがと、稔君。」
「これは明日香さんにお礼を言わないとな。」
目の保養になった。うちの妹がこんなに立派になって。七五三の頃とは比べ物にならないほど洗練された美しさだ。あの頃も華奢で可愛らしかったのだが、今の四包は次元が違う。
「着心地はどうだ?」
「ちょっと動きにくいけど、走るわけでもないなら問題無いかな。」
「四包殿がこう美しいと拙者も着てみたくなるでござるな。」
「お、大げさだよ。」
それを狙っての試作品だ。そうでなくても、この麗しい妹を自慢したくて仕方がない。ああ全く、照れ笑いを浮かべても揺るがない美しさ。そればかりか愛くるしさも合わさって、実に素晴らしい。
「でも、これで節約になってるのかな?」
「ああ。着物の裁断は全て直線。無駄な生地を作らないんだ。」
「異世界の知識は凄いでござるな。」
それだけじゃない。直線の切り目であることにより、再利用までしやすくなっている。鞄にも羽織ものにもなるのだ。日本の文化が生み出したエコ物品のひとつである。
「お兄ちゃん、それ、何持ってるの? もしかして...」
「多分考えている通り。不格好だがなんとか形になった。」
「何でござるか?」
「弓ですよ。」
射的屋さんから貰った木材を削って作った弓。四包は元々有能な弓道部だった。せっかくの才能を無駄にするのは惜しい。練習用に一本、いや、一張? 数え方は忘れてしまったが、欲しかったのだ。一応矢も数本作ってある。
四包は珍しそうにお手製の弓を観察し、弦のハリを確認してこちらへ向き直った。
「お兄ちゃん、これ。」
「四包が使っていたのを真似てみたんだが、何かまずいところがあったら言ってくれ。」
「ううん、違うの。ほんとに凄いよ。こんなの作れちゃうなんて。」
「そ、そうか。」
「お兄ちゃん、ありがとう!」
なんだか急に恥ずかしくなってきた。だが、四包が喜んでくれたようで、僕も嬉しい。
「じゃあまずは試し打ちだ! 稔君、的になって!」
「承知でござる!」
「やめろ。」
木刀で打ち返さんとする稔君を制止し、代わりに木の板を壁に立てかける。四包は玄関ホールの端から弓を番えた。さすが弓道部。構えが様になっている。
「あんな距離から届くのでござるか?」
「まあ見ていてください。」
この屋敷は広い。玄関ホールだけでも、端から端まで10メートルはあるだろう。弓道場ではこの倍の距離で放つのだ。この程度で動揺してはいけない。
「ふっ。」
「流石だな。」
「えっ、えええええ!?」
ガンッという音と共に、立てかけた板を矢が貫いた。板は貫通したが、壁との隙間で止まってくれたので一安心。壁を傷つけるのは好ましくない。というより、まさかここまで出来るとはな。
「ありゃ、真ん中を狙ったはずなんだけどな。」
「やっぱり手作りでは正確性に欠けるか。」
「海胴殿っ! あれ木! 木でござるよ!」
「そうですよ。」
隣でギャーギャー喚き立てる稔君。そんなに騒がなくとも、弓というのは本来、人を殺める武器として使われていたのだ。このくらいできなくてどうする。
「そうですよって、そんなあっさりと...」
「作り直すしかないか?」
「ううん、大丈夫。もう感覚は掴んだから。次は外さないよ。」
「頼もしいことだな。」
稔君は未だ唖然としているが、そのうち慣れる。僕も初めて見たときは驚いたものだ。絶対に弓道場以外では使うなと釘を刺したりもした。実際に使ってしまえば捕まるわけだが、それでも忠告しておきたくなるほどの威力だ。
「よし、じゃあ試し打ちも済んだし、行こっか。」
「外に行くのはいいが、それも持っていくのか?」
「うん! お侍さんにとっての刀みたいに、弓道部にとっての弓は相棒なの。」
「いや、でも昔は」
「私、過去は振り返らない主義だから。」
昔は弓道場に相棒を置き去りにしていたのに。気が変わったのか。まあ構わないが。それだけ喜んでくれているということにしておこう。
「...それに、お兄ちゃんが作ってくれたものだしね。」
「何か言ったか?」
「なんでもないよっ。ほら、行こっ。」
機嫌よく歩き出す。弓を使ったからか、少し着崩れているのに気づいた。別に問題があるレベルではないが、人前に出るのであれば直しておいた方がいい。
「四包、じっとしてろよ。」
「ん、何?」
「着崩れているんだ。」
襟にあたる部分を持ち、クイッと首元に寄せる。そのときふと見えてしまった。白い紐状の何か。
「なあ四包。お前下に肌着か何か着てないのか?」
「え、要るの?」
「要るんじゃないか?」
「というよりお兄ちゃん、中見たんだね。」
「え、あ、いやそれは」
「見、た、ん、だ、ね?」
「す、少し。」
「変態!」
そう罵って部屋に帰ってしまった。きっと肌着を着てくるのだろう。着付けには少し時間がかかるし、しばらく待つことになりそうだ。
しかし、怒ることはないじゃないか。いつも家にいるときだって、無防備に晒していただろう。リラックスするのはいいが、腹を立てるくらいならもう少し振る舞いに気をつけてほしい。
「おまたせ。じゃあ行こっか。」
こうして、妹を見せびらかす旅が始まった。旅と言っても日帰りだが。要は出歩いていれば良いのだ。とりあえず、明日香さんにお礼を言わなければ。
「明日香さん。」
「おお、坊主じゃねーか。嬢ちゃん、着心地はどうだい?」
「ちょっと動きにくいけど、問題無いよ。」
「そうか、そりゃあよかった。にしても美少女が着ると似合うな。」
「ありがとうございます、明日香さん。」
「何故に坊主が?」
「眼福だから、ですかね。」
「ああ。」
悟ったような目を向けられる。別に僕が変なわけではなく、四包見れば誰だってそう思うだろう。決して僕が妹を溺愛しているとか、そういうことではない。断じて。
「蜜柑に伝えたら、過去の文献に乗ってたらしくてな。思いのほか早く仕上がったんだ。」
なるほど。どうして明日香さんが知らなかったのか、ということは聞かないでおいてあげよう。
「やはり四包さんに送ったのは正解でしたね。」
「あ、蜜柑さん。ありがとね。」
「いえいえ。宣伝、頼みましたよ。」
さあ、ここからが旅の本番だ。ひたすら街を練り歩く。方向感覚には自信があるので、そうそう迷うことなどない。
「あら?」
「あ、加蓮さん! こんにちは!」
「こんにちは。どうしたの、その格好。懐かしいわね。」
「知っているんですか?」
「ええ。私の母がよく着ていたの。最近はめっきり見なくなってしまったのだけどね。」
そういえば、僕らの祖母の写真も、着物で写っていたような気がする。本人は僕達が生まれる前、若い内に亡くなってしまっているので、普段着としていたかは知る由もないのだが。
「綺麗ね。私も着たくなってくるわ。」
「明日香さんの店にあるから、行ってみるといいよ。」
「明日香さん?」
「和泉という服屋です。」
「ああ、あそこね。今度行ってみることにするわ。」
時間が許す限り、様々なところを訪れる。今まで通ったことのない道から、よく通る道まで。蛇行しながら進んでいると、畑に辿り着いた。ここならまだ沢山人がいるし、ちょうど良いだろう。
「あ、四包姉ちゃん。」
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