80話 製塩
「誰?」
明日香さんの店の扉を開けたのは、見知らぬ人だった。僕と同じくらいの身長で、スレンダーな体躯。おそらく年上だろう。スーツが似合いそうなキリッとした目元をしている。長い髪は黒色であるが、橘さんに似た雰囲気だ。
「あの、明日香さんは...」
「あぁ、今日は塩の日なので、きっと買い出しでしょう。何か御用ですか?」
「塩の日?」
「そういえば、今日だったでござるか。」
何やら聞き慣れない単語。買い出しということは、特売セールでもしているのだろうか。前の世界では僕もよく近所のスーパーに駆け込んだものだ。その頃はひ弱な身体であったため、もみくちゃにされて戦果無く帰ることもしばしば。
「稔君、塩の日とは?」
「年に四回の頻度で、山茶花区画で働く人達が塩を売りに来るのでござる。」
東は金属、西は焼き物、南は農業というように、北側は塩が特産品となっている。これだけ聞くと北側は物足りない気がするが、この国全ての人を養う塩を作るためには、海に面した広大な土地が必要なのだ。
昔は中央の薔薇区画に流通経路が整っており、どこでも購入できたのだが、今では襲撃の影響で3ヶ月に1度となってしまった。設備の復旧にも労力がかかったとかで、塩は一躍高級品になっている。
「ひとまず、あなたたちは?」
「明日香さんに依頼を受けていた「天恵」と申します。一通り資料が出来たのでお持ちしました。」
「なるほど、あなたたちが。では、明日香さんに渡しておきます。」
「お名前をお伺いしてもよろしいですか。」
もし明日香さんにまで流れていなかったときのために、誰に渡したか把握しておくためだ。こういった工夫がトラブル対処の簡略化に繋がる。
「蜜柑と申します。確かに、お預かりしました。」
「蜜柑さんかぁ、可愛いお名前だね。」
「似合っていないと、よく言われるのですがね。」
たしかに、彼女の真面目そうな雰囲気には合わないかもしれない。可愛いというよりは、美しいと表現すべき人だ。
彼女に見送られて、「和泉」を後にする。さて、これからどうしようか。塩の日なのだから、誰も依頼になど来るまい。
「ねえお兄ちゃん、そのお塩販売、見に行ってみようよ。」
「こちらから依頼を貰いに行くというわけでござるな。」
「いいですね。」
というわけで、塩が売られている向日葵区画北部に針路をとり、風を切って走り始める。周りから見れば、マラソン大会のようにも見えかねないな。
僕達の屋敷があるのは向日葵区画の北東部なので、西へ向かって走ること約一時間。少し北に向かえば、最近ご無沙汰だった瓦礫の山が見えてくる。その瓦礫に沿って走るところに、大きな人だかりが見えた。
「あれが塩を売っている場所みたいですね。」
「人がいっぱいだね。みんな顔が真剣だよ。」
「塩は生活に必要故、少しでも安く買いたいでござるからな。」
もうすぐ昼だというのに、人だかりは一向に消化される気配が無く、喧騒が続いている。僕達は昼食代わりのユーグレナドリンク以外手ぶらで来ているので、塩を買う気はさらさら無い。
「おや、四包ちゃんじゃないか。」
「あっ、この間のお兄さんたちだ。」
「海胴君も一緒にいるな。」
「なんだ、君たちも塩目当てかい?」
「ううん、見に来ただけ。」
以前、南のため池問題を解決した際にお礼をくれた男性。また出会えるとは思わなかった。仲が良いらしく、三人揃って塩を買う列に並んでいる。相変わらず四包を溺愛しているようだ。名前は覚えていてくれたみたいだが、四包を注視している。
「いやぁ、四包ちゃんが来てくれて助かるな。」
「並びながらしりとりをするのにも飽きていたんだ。」
「だよな、ありがとう、四包ちゃん。」
「「はい、お前の負けな。」」
「しまった!」
よく聞くと、会話と見せかけてしりとりをしている。ハイレベルすぎないか。荷物運びをかけて勝負をしていたらしく、負けた一人が三人分の交換用野菜を背負うことになった。
「しっかし、今回はやたらと進みが遅いな。」
「そうだな。」
「お、重い。」
「いつもはもう少し早いんですか?」
「今ぐらいの時間には片付けが始まってるよ。」
「何か特別なことでもあるのかね?」
「重いんだけど、これ、いつまでやるの。」
「お兄ちゃん、ちょっと見てこようよ。」
「気になるでござる。」
「無視しないでくれぇ。」
罰ゲームを受けている男性をスルーして、列の前の方まで移動していく。何やら言い争っているようだ。
「生活に必要だからって足元見やがって!」
「仕方ないんです!」
「仕方ないわけあるか! 前はもっと安かっただろ!」
「あ! そこのお客さん! 順番は守ってもらわないと」
「いえ、買いに来た訳では無いんです。」
何やら値段による揉め事のようだ。青筋を浮かべた男性が、店員さんに詰め寄っている。怖い人だと思ったのだが、どこかで見覚えのある顔だった。
「射的屋のおっちゃんだ。」
「お? こないだの嬢ちゃんとその連れじゃねえか。」
ちゃんと覚えてくれていたようだ。名前は言っていないし聞いていないのでお互いに知らない。
「どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもねえ。せっかく遠路はるばる塩を買いに来てやったのに、馬鹿みてえな値段でよ。」
「だから仕方ないんですって。」
「とりあえず理由を聞いてみましょう。」
いつものように塩作りに精を出し、疲れて眠ったある日の夜。小さな地響きのようなもので目を覚ました。
「なんだなんだ?」
地震と呼べるほど大きな揺れでもなかったのだが、なんだか気になって外に出た。地響きは製塩をしている土地の方から聞こえてくる。
「おーい、誰かいるのか?」
返事はない。蝋燭の明かりを掲げて辺りを見回すが、いかんせん火が小さく、あまり有効ではなかった。
そうして時折声を出しながら製塩地をぐるっと回っているときだった。ぼんやりと何かの影が見える。
「あんなところに家なんかあったか?」
製塩地のちょうど真ん中あたり。そこに巨大な塊の影が浮かんでいるのだ。言っていてなんだが、あんなところに家などありはしない。
突如、その影が動き出した。五本だか六本だかの足をバラバラに動かし、右往左往する。そして、だんだんその影は遠ざかっていった。
「なんだったんだ、あれ。」
「ということがありまして、その翌日に見に行ってみると製塩地は半壊。仕方なく持ってくる量が減ってしまったのです。」
「信じられるかそんなもん。」
「本当なんですよ! なんにせよ、この値段でしか売れません!」
「ちっ、仕方ねえな。じゃあそれで買ってやるよ。」
「ありがとうございます。」
何はともあれ、一応トラブルは収束した模様。文句タラタラではあるが、納得してもらえたようだ。しかし、その大型の影というものが気になる。
「お兄ちゃん、私たちで、その影をなんとかできないかな?」
「どうだろうな。」
まずその話が本当なのかどうか。嘘をつくにしたってもう少しマシなものがあるだろうし、信じてみても良い。実際に行ってみれば惨状によって真実だとわかるし、上手く行けばその影とやらに会えるかもしれない。
「店員さん、その調査、私たちに依頼してみない?」
「は?」
「僕達は「天恵」という便利屋をしているんです。製塩地の修復で忙しいでしょうから、調査のほうをおまかせいただければと。」
「信じてもらえるんですか?!」
「あなたにはくだらない嘘をつく理由がないですからね。」
神妙な顔つきで悩む素振りを見せる店員さん。やはりそう簡単にはいかないか。勝手に依頼を持ちかけているわけで、報酬も何も用意できていないのだから。
「すみません、同業者と話し合うことにします。また後日、鳩を飛ばして連絡します。」
「わかりました。ありがとうございます。」
山茶花区画で働く人たちは、向日葵区画に住む友人などとの連絡のため、伝書鳩を持っているのが一般的らしい。そうして店員さんと別れ、最前列を後にする。
「げっ、そうなの?」
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