78話 稲荷
「...ありがとう、お父さん。」
新しい依頼が無いまま迎えた夕方。満面の笑みを浮かべた美春さんから、依頼の顛末を聞き、ひとまず安心を得た。
「よかったぁ。上手くいって。」
「本当でござるな。」
「きっとお父さんも、無下に扱ったことを悔やんでいたんでしょう。あとは彼氏さんの行動次第ですね。」
「はい。お陰様で。本当に、ありがとう、ございました。」
「僕達は軽く助言しただけですから。」
「そうだよ。美春さんが勇気を出して頑張ったからできたことなんだから、もっと自分を褒めてあげて。」
そうは言いつつも、約束の食料はいただく。でないと生活が厳しいのだ。正確には、健康で文化的な最低限度の生活を営むことができない。食事が全てユーグレナドリンクなど、文化的の「ぶ」の字も無い。
「よければ、夕飯を食べて行きませんか?」
「いいん、ですか?」
「はい。」
罪悪感回避のため、せめて美春さんも一緒にと誘ってみた。少々自分勝手が過ぎただろうか。彼女は困り顔になってしまっている。
「いいじゃん。お兄ちゃんのご飯は美味しいよ。」
「しかし外食など、お父上が許してくれるのでござるか?」
「それもそうですね。無理にとは言いませんが、どうでしょうか。」
「え、えと。」
あわあわと視線を回らせて悩む美春さん。3人からの眼差しを受けて、頭が真っ白になっているのか。一度落ち着いてもらうためにも、お父さんよろしく笑顔を作ろうと思うのだが、僕にはできない。
「じゃあさ、一回家に戻って確認してきたら?」
「そうだな。家までどのくらいかかりますか?」
「えー、と、往復で、二十分くらい?」
近いな。まあそうでもなければ依頼などしてはくれないか。そのくらいであれば、調理中には戻って来られるだろう。
「では、その間に準備をしておきますので、確認を取ってきていただけますか。」
「で、でも、もし、駄目だった、場合は...」
「そのまま家にいて頂ければ、こちらで美味しくいただきます。育ち盛りが三人ですから、一人分増えようが変わりませんよ。」
「はい。わかり、ました。じゃあ、行ってきます。」
美春さんを見送った後、調理に取り掛かる。折角お客さんがいるのだから、今日は見栄え重視でいこう。
「四包、鍋にお湯を沸かしておいてくれ。」
「はーい。」
卵、出汁、味醂などを混ぜ、いくつかの具材を入れた、コップのような容器へ流し込む。その容器を鍋の中へ投入。もちろん、水位は容器より低く。
「次、稔君、解凍豆腐にお酢を混ぜてください。少しでいいですよ。」
「了解でござる。」
「余計なことはしないでくださいね。」
「わかっているでござるよ。」
さて、僕は包丁を使い、油揚げを袋状に切り開いていく。作った袋の閉じている側半分くらいを、稔君に任せた豆腐で埋めてもらう。その間僕は、錦糸卵やきゅうり、トマトや蓮根などの準備。それから、鍋の中の容器に、更に人参や椎茸を投入する。
「戻り、ました。」
「美春さん、よかったんですか?」
「はい。お母さんは、快諾、してくれました。」
ということは、お父さんは不服だったのか。それでも押し通してしまう辺り、成長しているのだろう。お父さんにとっては良くない方向へ。
「もう少し待っていてください。」
「は、はい。」
「四包、火を止めてくれ。」
「了解っ。」
これで一品目は完成だ。蓋をして、並べておく。次は二品目の仕上げ。先程の、半分埋まった油揚げに彩良く具材を入れていく。最後に、お皿へそれらを花形に並べれば出来上がり。
「お待ち遠様でした。いただきましょう。」
「わぁ、きれい。」
気を使った甲斐あって、驚いていただけたようだ。料理人冥利に尽きる。...僕はいつから料理人になったんだ。
「「「いただきます。」」」
「え?」
そう口にすると同時に、稔君以外は、まだ温かい容器に手をかける。稔君、花形に手をつけるより前に、温かいものは温かいうちに食べてくださいね。
「これも、きれい、です。」
「すごいねお兄ちゃん。こんなのまで作れるんだ。」
「そういえば、家で作ったことはなかったか。」
一度作ってみたかった茶碗蒸し。ずっと蒸し器が無いから無理だと思っていたのだが、「必見! 料理の代用品!」という料理本に蒸し器を使わないやり方が載っていたので、参考にさせてもらった。冷凍豆腐のソースもこの本だったりする。
黄色い玉子の上に、椎茸や人参が来ているので見栄えも良い。そして簡単だ。
「おいしーい!」
「滑らか、です。」
「出汁が効いているのでござる。」
好評で何より。本当は銀杏や鶏肉を入れたいところだが、持ち合わせが無かった。そのため、いつものように冷凍豆腐で代用。万能すぎる。
「そろそろこちらに手をつけても良いでござるか?」
「そんなに気になるんですか?」
「きれい、なのに、勿体無い、です。」
「花は散る時が最も美しいのでござる。」
稔君の謎の言い訳に負けて、花形稲荷の外縁から口に運んでいく。少々彩を重視しすぎたか、味をあまり考慮していないので不安だ。
「油揚げが、甘い、です。」
「トマトはどうなのって思ったけど、案外美味しいね。」
「予想外の味でござるが、これはこれでありでござる。」
その心配は杞憂に終わったようだ。油揚げの甘味とトマトの酸味が交わって見事なハーモニーを奏でている。...心の中ではあるが、調子に乗った発言だった。反省。
蓮根のシャキッとした歯ごたえや、錦糸卵による甘味のコンボなども大変美味であるが、オーソドックスなきゅうりが一番だった。慣れた味というか、最も安心する味だ。
「私はトマトの意外性が良かったなー。」
「拙者は蓮根の歯ごたえが。」
「えと、その、甘いのが好き、です。」
「僕はきゅうりですね。」
皆好みはバラバラのようだ。誰に合わせた料理を作れば良いのか。まったく、そこが面白いのではあるが。
「そういえばこの辺り、お米はないんですか?」
「確かに見ないね。」
「お米...というと、昔の文献に載っているくらいでござるな。」
「よく、ご存知、ですね。」
なんでも、育てようとしたが生育環境がイマイチだったらしく、普及とまではいかなかったようだ。通りでこの世界に来てから米飯にありつけていない。今日だって、冷凍豆腐でまた代用している。
「どういったものなのか、いつか食べてみたいでござるな。」
「そう、ですね。」
綺麗に全て食べ終わり、お皿洗いを美春さんに手伝ってもらっているときだった。四包は湯沸かしでこの場を離れているし、稔君は少しやる事があるからと先に帰っている。片付けくらいはして欲しいものだ。
「あ、あのっ!」
「はい、何でしょうか。」
「え、えと、その。」
なんだか言いにくそうに、濡れた手をタオルでずっと拭いている。そろそろ僕にも回してほしいのだが、それが彼女のペースなのであろう。待つしかない。
「ま、また、来ても、良いでしょうか。」
「はい、いつでもどうぞ。天恵は便利屋ですから、必要なときに頼ってください。」
「あ、えと、そうじゃ、なくて。」
こうでないならどうなのだろう。その答えを求めるべく美春さんに視線を向けるが、俯いた彼女には届かない。いや、今少し顔を上げてまた逸らした。どうやら口にするのを躊躇っているようだ。
「僕は便利屋ですから、どんな話でも聞きますよ。」
「は、はい。じゃあ、その...」
「...」
こういうときに優しい顔つきができないのは僕の難点だ。四包なら上手く笑顔で対処するのだろうが。
「お兄ちゃーん、お風呂沸かした」
「私に、いろんなこと、教えてもらえませんか!」
「よ?」
美春さんが言い切るのとほぼタイミングで四包が戻ってきた。その四包は呆然と立ち尽くしている。これは、何か要らぬ勘違いをしている顔だ。
「え、ええ? 彼氏さんは?」
「え?」
「え?」
早くもわけがわからない。彼氏さんなど最初から居なかったというのに。とりあえずスルーして話を進めよう。
「美春さん、何を教えればいいんですか?」
「そんなっ、お兄ちゃん、ナニをだなんてそんな...あわわわわ。」
「えっと、料理がお上手、なので、教えて、いただければ。」
「え? お料理?」
「わかりました。いいですよ。いつでも来てください。」
「なぁんだ、料理かぁ。」
四包は終始意味不明な発言ばかりであったが、なんとか理解はできたようだ。勝手に戸惑って勝手に理解されるのは、振り回される側として鬱陶しい。
「お、おじゃま、しました。」
「ではまた。」
「またね、美春さん。」
日が傾いてきた。そろそろ祐介さんが来る頃か。今日でアレのアイデアを纏めたいところだ。
「わあっ!」
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