73話 剣術
「わかりました。よろしくお願いします。」
まずは素振りから。稔君が家から持ってきてくれた木刀を使う。これを振り回している映画なんかがよくあるが、持ってみると案外重い。以前までの僕なら数回振るのが限度だっただろう。
「ふっ、ふっ。」
「少し力みすぎでござる。もっとしなやかに。」
「はいっ。」
「頑張れ、お兄ちゃん。」
スポーツにおいてセンスが良い四包なら、見て真似するくらい朝飯前なのだろうが、僕はそうはいかない。しかし、ここで諦めてもいられないのだ。
色々な型の素振りを何百、何千と繰り返す。最初はこんなものだ。どんなスポーツでも、素振りは基本。これを怠っては上達など望めない。
「では、海胴殿。今日の締めに模擬戦でござる。」
「模擬戦?」
「簡単でござる。拙者が攻めるのを防ぐだけでござるよ。十秒後に始めるでござる。」
その十秒の間に教えてもらった姿勢を作り、息を整える。体力の増強によって、このくらいのことは容易く行えるようになった。
「三、二、一、始めっ!」
「はっ!」
まずは基本形の面打ちから。間一髪で差し出した木刀により、剣先を逸らすことが出来た。流石師匠。拮抗することも叶わず、受け流すしかなかった。なんという速度と力量。
最初の一撃はなんとか反応できたが、それは動くタイミングがわかっていたからだ。常に集中状態でなければ、初動を感じ取れない。
「そこ! 甘いでござる。」
「ぐっ!」
脇腹を叩かれる。稔君の手加減によって勢いを殺しているといえども、実際に木刀をぶつけているのだ。痛みは感じる。
稔君は的確に僕が意識していない箇所を突いてくるので、油断はできない。かといって姿勢にばかり気を取られては、反応が遅れてしまう。
「今日はここまででござる。立てるでござるか?」
「ええ。大丈夫、です。」
「海胴殿は筋が良いでござるな。初日でこれほど防がれるとは。」
「これで筋が良い、ですか。」
脇腹、胸、足など、至る所に痛みがある。この痛みの数だけ失敗していたことになるのだ。これを踏まえて、今後も精進しなければならない。
「お疲れ様。お湯取り替えておいたから、入っておいでよ。」
「ありがとう、四包。」
さあ、今日はデートだったな。どこへ行こうか。物々交換ができるほどの余裕はないので、ウィンドウショッピングがメインになりそうだが。
「稔君、今日はお店をお休みにしようと思うんです。」
「構わないでござるよ。明日香殿の依頼の解決策も考えねばならないでござるし。海胴殿、期待しているでござるよ。」
すみません、稔君。今日はお仕事のことを忘れてお出かけなんです。
若干の罪悪感に苛まれながらも、汗を流した後に、四包と屋敷を出る。天気は、この世界に来て初めての曇天。決してデート日和とは言えないが、雨でないだけ良いか。
「お兄ちゃん、どこ行く?」
「どこも何も、この辺りに詳しくなったわけでもないからな。ぶらつくしかないだろう。」
「そうだね。はい。」
「ん?」
中指に指輪が嵌っている左手の平を僕に突き出してくる。そういえば、指輪をしていたのだったな。全く意識していなかった。
「お兄ちゃん、手。デートなんだから、手を繋ごうよ。」
「わかったわかった。」
なるほど、手を繋げという合図だったか。差し出された左手に、同じく指輪が嵌った僕の右手を添えた。柔らかな肌触りに、ほんのりと温かさが混ざっている。これこそこの世で最も安らぐ感触だとさえ思う。
「結構お店やってるんだね。」
「繁盛はしていないみたいだがな。」
大抵どこの店も、店番が1人暇そうに船を漕いでいる。出入りするお客さんなど滅多に見えない。雑貨屋なんかが多い上に、仕事盛りの昼間だからな。
「お兄ちゃん、あのぬいぐるみ可愛くない?」
「熊のぬいぐるみか。昔はよく一緒に寝ていたな。」
「今でも一緒に寝てるよ。」
「嘘だろ、何年前からあると思っているんだ。」
もちろんこの世界でもという訳ではなく、前の世界での話だ。あのぬいぐるみは確か、幼稚園の頃からあったと思うのだが。その頃の僕と四包は、同じ部屋の同じベッドで寝ていたので、よく覚えている。つまり、軽く10年はあるわけか。
「さすがにもう限界って感じだったけどね。」
「いくら何でも物持ちが良すぎるだろう。」
「だって、捨てちゃうの勿体無いじゃん。」
「それはそうだが...」
店のガラス越しにぬいぐるみを見ていると、中から人の良さそうな女性が出てきた。上品な雰囲気を纏った老齢のご婦人。四包に似た白い髪は肩までの長さで揃えられ、ウェーブがかかっている。
「いらっしゃい。中も見ていく?」
「あ、いえ、僕達払えるようなものは持っていなくて。」
「いいのよ。少し話し相手になってくれない? ここにずっと1人だと退屈なのよね。」
「そういうことでしたら。」
婦人の案内で中へと入らせてもらう。可愛らしいぬいぐるみや、童話風の絵が沢山飾ってあるメルヘンチックなお店だ。
「お兄さんたち、もしかして恋人同士?」
「いえ、兄妹です。」
「そう? その割には、やけに仲が良さそうだけれど。手なんて繋いじゃって。」
柔和な笑みで楽しそうに話してくる。きっとこの婦人は話好きなのだろう。対する四包は頬を赤らめている。良かったじゃないか、デートだと思われているぞ。
「ご婦人、このぬいぐるみはどのように作っているんですか?」
「ご婦人だなんて、そんな仰々しい呼び方はやめてちょうだい。私は加蓮。貴方たちは?」
「僕は海胴と申します。」
「双子の妹の四包です。よろしく、加蓮さん。」
「よろしくね。ゆっくり見ていって。そうそう、作り方だったわね。それなら、丁度作っている品があるのよ。」
奥の部屋から、布と綿を持って戻ってきた。カウンターの椅子に腰掛け、針を取る。1つ1つの縫い目を丁寧に、時間をかけて進めていく。
「大きさを決めて布を切って、綿を入れて縫うだけよ。簡単でしょう?」
「そうですね。布の切れ端なんかは勿体無くありませんか?」
「できるだけ布の形に合わせているのよ。ほら、この子の手なんて少し角張っているでしょう?」
「ほんとだ。これなら無駄が出ないね。」
切れ端を捨てるのは、どこか心が痛むものだ。それが抑えられるのなら、多少不格好でも良いかと思ってしまう。僕も立派な貧乏性だな。
「このお店はね、主人が私のためにって建ててくれたのよ。趣味で作っていたこの子たちが、部屋に収まりきらなくなっちゃってね。」
「お優しい方なんですね。」
「そうよ。優しくて、でも不器用で。少し貴方に似ているかしら。」
「お兄ちゃんに?」
加蓮さんは、ご主人の話になると、それまでにも増して饒舌になった。目元の皺を濃くしながら笑う姿は、彼女のご主人に対する愛情を感じられる。
「あら、いつの間にか話し込んでしまったわね。ごめんなさい。長い時間引き留めてしまって。」
「いえ。お話ありがとうございました。」
「また来るね。」
「いつでもいらして。待っているわ。」
加蓮さんのお店を後にして、また通りを歩き出す。今度は僕から四包の手を取った。四包は驚いたように僕の顔を見て、それからフワッと笑顔を咲かせる。少しの間、心臓の音が強くなった気がした。
「ねえ、お兄ちゃん。あれって何かな?」
「あれは...装飾品か。」
次に目をつけたのは、高級そうな宝石が付いたネックレスや指輪を売っているお店。いかにも庶民には手が届かない感じだ。このご時世なのだから、高級店なら冷やかしで入っても文句は言われないだろう。
「いらっしゃいませ。」
「すみません、ここの宝石、切り方などはどのようになされているのですか?」
単純な興味だ。前の世界には専用のカッターがあったはずだが、この世界ではどうなのだろう。やはり魔法の力だろうか。
「申し訳ございません。企業秘密とさせていただいております。」
「そうですか。」
仕方ない。この仕事で生きていこうと思うなら、商売敵は作らないに越したことはないのだ。情報を流して利益を盗られてしまえば目も当てられない。
「こんなに綺麗なの、いくらぐらいなんだろ。」
「この首飾りであれば大体...」
丁寧な物腰で、的確に答えてくれる店員さんは好感が持てる。過度に押して来ないところも好印象。長いストレートの茶髪に、スーツが似合いそうな女性で、大人びた雰囲気があるが、まだ若いと言っていい容姿だ。
驚いたことに、この辺りの商品は思っていたより何倍も安価だった。たしかに、生命線である食料と交換してまでアクセサリーを身につけようとは思うまい。需要が減るのは自然だ。
「生活に余裕のある方はごく稀にご購入なされるのですが、それでもこの職だけではやっていけそうにありませんね。」
「大変なんですね。すみません、何も持っていなくて。」
「構いませんよ。お客様は、一人でも多ければ多いほど良いですから。」
完璧な営業スマイル。真面目そうな表情が崩れて親しみやすさを覚える。僕には決して真似できない技術だ。この人、接客業に関しては一流だな。ぜひともその笑顔の秘訣を教えて頂きたい。
「お姉さん、お名前は?」
「私ですか。私は橘と申します。」
「橘さん。うん、覚えた。また余裕が出来たら来るね。私は四包だよ。」
「兄の海胴です。」
「どうぞ御贔屓に。」
また街道を歩き出す。彼女の名前は聞いたが、店の名前は聞いていなかった。振り返って看板を見ると「宝石店 橘」の文字が。そのまますぎるが、真面目そうに見えるあの人にピッタリだと思った。
「次はどこに行こっか。」
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