71話 疲労
「ああ、四包...」
全力全開、雑巾がけを終えてぶっ倒れた後、慰めに来てくれた四包に思わず手を伸ばす。足をつったのでまともに歩けもしない。
「海胴君、これ、絵。」
「え?」
「絵でござるよ、海胴殿。拙者も驚いたでござるが。」
前屈みになって僕を見ていた四包は、なんと祐介さんが描いた絵だったのだ。たしかに少し肌が白すぎると思ったが、艶やかな銀髪は絵とは思えないほど躍動感に溢れている。
本物そっくりの愛らしさとはいえ、まさか僕が四包を見間違うとは。疲れすぎているな。
「祐介殿、足の方を頼みたいでござる。」
「分かった。じゃあこっちから下に降りるよ。」
こういうときに担架があると便利なのだがな。自分で作ろうか。テント用に使っていた布を洗えば良いだろう。2人に運ばれていると、腰のあたりが不安定でとても安心できない。
「応接室に運べば良いでござるな。」
「四包ちゃん、ちょっと開けてもらえるかな。」
「はぁーい。」
ゆっくりと扉が開く。いつもの四包なら勢い余って扉の前に立つ祐介さんを吹き飛ばしそうなものを。
半分ほど扉が開いたときに、中から手が唐突に滑り落ちてきた。その姿はさながらテレビから這い出る亡霊のよう。怖いものが苦手な人なら卒倒しそうだ。
「ぎゃぁあ!」
「うわぁあ! あっぶな!」
居た。怖がりの人が。それも僕の上半身を支える重要なポジション。咄嗟に両手を叩きつけて衝撃を逃していなければ、後頭部強打は免れなかっただろう。
「稔君! 手を放さないでください! 殺す気ですか!」
「だ、だって、腕が、腕が。」
「安心してください、四包の腕です!」
「なんだ、四包殿でござるか。なんで倒れているのでござるか?」
「いや、それが...」
祐介さんからあらましを聞く。何時間も腰を曲げた体勢でいれば、そりゃあ倒れたくもなる。四包もよく耐えたものだ。僕なら祐介さんをはっ倒してでも休む。僕の疲れが取れたら存分に労わってやろう。
「四包殿、立てるでござるか。」
「む、無理ぃ。」
「海胴君と一緒に横になっておくといい。」
「お兄ちゃん? 何かあったの?」
「雑巾がけを全力でやらされたんだ。」
「なるほど、お気の毒に。」
「四包もな。」
応接室の2つある二人がけの椅子に四包と僕が横たわる。兄妹2人がダウンした今、誰が晩御飯を作るのかが不安で仕方がない。
「それにしても、祐介殿は本当に絵がお上手でござるな。」
「上手く描けるのが楽しかったんだけど、お金にならないからって親に止められてね。才能を活かすことができてよかったよ。」
「羨ましいですね。僕達なんて芸術的なものは何も...あ、そうだ。」
「どうしたの、お兄ちゃん。」
良いことを思いついた。祐介さんの才能を活かす絶好のチャンス。そしてそれは僕達にも利益がある。
「祐介さん、少し頼まれてくれませんか。」
「なんだい?」
「絵を描いていただきたいんです。模写ではなくて想像で。描いていただけるなら今回の代金をまけて差し上げましょう。」
「ならやるよ。今日すぐにかい?」
「いえ、準備ができたらまた。」
これで明日香さんの依頼にあった問題点。僕達の絵心も解決だ。あとは実際の案を考えるだけ。それが本題ではあるのだが、自称節約のプロたる僕の知識があればどうとでもなるだろう。
ふと、蹴破るような勢いで玄関の扉が開かれた。誰かの目星はつく。
「親父! ここにいるんだろ!」
「げっ。」
やっとお出ましだ。扉を2枚隔てたここですら殺気が伝わってくる。これは相当怒っているな。本当に電気ショックが必要な体にされてしまうかもしれない。
「み、稔君、とりあえず少しでも宥めて貰えないだろうか。」
「そうでござるな、行ってくるでござる。」
やっと見つけた解法をふいにされてはかなわない。なんとしても祐介さんの利き手だけは残さなければ。
「桜介殿、いらっしゃ」
「親父はそこか!」
「ま、まあ落ち着くでござる。」
「これが落ち着いていられるか! 仕事初日から抜け出す大人がどこにいる!」
ごもっとも。反論の余地もない。祐介さんの顔は早くも青ざめている。息子に怯える父親。こんな親にはなりたくない。
「まあまあ、祐介殿が逃げ出したのにも理由があるのでござる。」
「理由?」
「そう、その通りでござる。」
ピタリと動きを止めた桜介君に、祐介さんから思わず安堵のため息が漏れる。が、しかし。
「そんなものは殴ってから聞く。とりあえず親父に会わせてくれ。」
「喋ることができるように手加減はするでござるよ。」
「ちょっ、稔君?! 桜介、悪かった! 悪かったからその握り締めた拳を解いてくれ。」
「鉄拳制裁!」
「ぐはぁっ!」
膝から崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返す祐介さん。一瞬にして僕達レベルの重症患者となった。
四包はもう回復してきているようで、立ち上がっている。姿勢は少しおかしいが。それによって出来た空き椅子に祐介さんを引っ張り上げる。
「で、親父、理由ってのは?」
「お、おう。これ、これを作ってたんだ。」
「なんだこれ?」
「桜介、誕生日おめでとう。」
「また絵なんてもらっても...」
そう口にしながら丸まった紙を広げていく桜介君。驚きに目を見開いている。初めて見たらそういう反応になるだろうな。
「これ、四包姉ちゃん...親父が描いたのか?」
「そうですよ。桜介君のためにと、四包を長時間拘束してまで描いたものです。」
「...」
無言で祐介さんに近寄っていく。その表情は僕からは見えない。だが、祐介さんの表情からして...
「無神経にも程があるだろうがぁっ!」
「ぐはぁっ!」
予想通り、キレた桜介君。瓦割りの要領で、祐介さんの細めのお腹にチョップを打ち込む。うわあ、痛そう。食らった祐介さんの身体はピクピク痙攣している。
「こっちは1回振られてんだぞ! ぶん殴られたいのか!」
「もう、殴って、る」
祐介さんの意識が刈り取られた。腕は両方残っているので、生きていれば問題無いか。
「四包姉ちゃんにも迷惑かけたみたいだな。すまなかった。」
「いいよいいよ、気にしないで。私の絵、せっかくだから大切にしてあげてね。」
「まあ、四包姉ちゃんがそう言うなら。」
四包も祐介さんも苦労して仕上げたものだ。それが水の泡となるのは何としても避けたいのだろう。実際良く出来ているし、飾っていても不自然は無い。
「じゃあ、世話になったな。」
「はい。またいつでも来てください。」
壁に手を突きつつ、祐介さんを引き摺る桜介君を見送る。今日は本当に疲れた。足が棒のようだ。今すぐにでも眠ってしまいたい。
「海胴殿、もう少しだけ待っていてくだされ。四包殿は魔法だけお願いするでござる。」
「わかりました。」
「わかったよ。」
それから数十分後。鼻につく匂いが漂ってきた。凄く嫌な予感がする。今日はもうこれ以上の苦悩はいらないぞ? 頼むから思い過ごしであってくれ。
「海胴殿、出来たのでござる。」
「わーっ、すごいなぁ。」
「お兄ちゃんが壊れた!」
何をどう調理すれば、こんな暗黒物質が出来上がるのだろう。これは、じゃがいも? 煮崩れしまくって原型を留めていない。
「栄養を考えて色々な野菜を調和させたのでござる。」
「素人が最もしてはいけないことをしやがりましたね。」
食べるしか、ないんだよな。さもなくば待っているのは栄養失調。これだけの運動をしておいて補給無しでは無事で済まないだろう。
「はむっ...ぐっ。」
「どうでござるか?」
「む、り。」
そのまま机に突っ伏すように倒れ込む。ああ、意識が遠のいてゆく。今日は異世界に来て最も辛い日だ。せめて四包が同じ目に遭わないことを祈るのみ。心配そうな四包の声を最後に、僕の感覚は現世から切り離された。
「大丈夫?」
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