67話 場所
「もういいの?」
僕は久々に夢の世界へ訪れている。某遊園地の謳い文句ではなく、言葉そのままの意味。前回のコーンスープの日の翌日だと夢の中の記憶が告げている。
ベッドを降り、部屋を出ようと扉を開けたところで、寝間着姿の彼女と出会った。夢の中の僕も彼女も驚いたように身を引くところから夢は始まる。
「もう起きて大丈夫なの?」
『心配されてるのか?』
言葉が通じなくても、表情などからどことなく意味は伝わるらしい。彼女の後ろ姿を見ながら廊下を歩いていく。木目の床は歩くたびにギシギシと音を立て、不安を煽る。目の前の彼女は慣れた足運びで急な階段を駆け下りていく。
若さ溢れる少女の動きはやはり、どこか四包と似通っている。
「座って。」
『座ればいいのか?』
畳に引かれた座布団の上に腰を下ろす。ちゃぶ台を挟んだ向かい側には彼女の父と呼ばれる人が座っていた。
「坊主、もう動いていいのか。」
「お父さん、だからわかんないんだってば。」
「知ったことか。郷に入っては郷に従え。ここじゃあ日本語を使ってもらわないとな。」
「無茶言ったらだめだよ。」
喋りながらも、彼女の手は炊飯器から次々とご飯をよそっている。お茶碗が4ついっぱいになったところで炊飯器を閉じた。今、この部屋には3人しかいないのに。
疑問はすぐに解消された。彼女の父がお茶碗の1つを掴み、僕の方へ歩いてくる。何かされるのかと思ったが、目的は僕ではなく、僕の後ろ。古めかしい家には似合わないきらびやかな仏壇。
「これでよし、いただきます。」
「いただきます。」
2人の合掌に合わせて、夢の中の僕も手を合わせる。何かを言わなければならないのはわかっているようなのだが、それがうまく理解出来ていないらしい。
「ほら「いただきます」って。」
「いたらきます?」
「へぇ、初めて言うにしては上手く言えてるんじゃねえか?」
父親さんからのお墨付きも頂いたところで、彼女と同じように朝食に手をつける。文字通り。
「おいこら、素手で食うんじゃねえ。箸使え、箸。」
「だーから通じないんだってば。君、突き刺すのでもいいからこれ使って。」
「お前も日本語じゃねえか。」
「お父さんは黙って食べる。お仕事遅れちゃうよ。」
「へいへい。」
まるで夫婦のようなやり取りだな。父娘と言えど、ここまで熟れるだろうか。
ところで、箸で突き刺すのはマナー違反だ。誰も気にしはしないし、慣れていない人なら仕方ないのだが。
『この黄色いものは...なるほど、卵か。』
「食べてる食べてる。よかった。口に合ったみたいだね。」
「ごちそうさま。じゃあ片付け頼む。」
「はーい、いってらっしゃい。」
「行ってきます。」
父親さんは仕事へ出かけたようだ。夢の中の僕は玉子焼きに魅力されていてそれどころではないみたいだが。
『甘いな、嫌いじゃない。』
甘い上に出汁が効いている。おふくろの味という感じだ。10代でおふくろというのも変な話だが。この少女、そそっかしそうに見えて料理は得意なようだ。2人きりだったここの環境がそうさせたのかもしれない。
「ごちそうさまでした。」
「ごてぃそうさまですた。」
「おー、言えた言えた。偉い偉い。」
頭を撫でられる。不思議と嫌悪感はない。それどころか、安心すら覚える優しい手つき。同時に、どんどん顔が熱くなるのを感じる。10数歳にもなって撫でられるのは恥ずかしいのだろう。
耐えられなくなったのか、急に彼女の手を払い除け、窓に向かって走り出した僕の体。昇ってきた太陽を睨んでいる。
「あっ、待ってよー。」
『この太陽の向き、まさか。』
頭の中に計算が流れ込んでくる。おおよその時間と、感覚的に理解できる太陽の方角、高度から考えて...
『そんなばかな。ありえない!』
「どうしたの?」
導き出された答えは、この場所が地球上において、故郷の地からほとんど真反対であるということだった。
もっとも、それは月単位で日が過ぎていないことが条件ではあるが。1ヶ月を飲まず食わずで生きていられる人間などいないので、この情報はある程度信用できる。
何かがあったとするならば、戦いから逃げ去って気を失ってから目が覚めるまでの間。気を失う直前、人が住む集落などは周りに無かったはずなので、誰かが運んでいるという線は無い。
いったいどうしたというのか。その疑問を抱えたまま、夢の世界から僕の意識は離れていった。
「それじゃあ、あんたたち、達者でね!」
「ばいばい!桜介兄ちゃん!」
「頑張ってね!」
「海胴兄ちゃんも四包姉ちゃんも、元気でね!」
翌朝。子どもたちがこちらを向いたまま、西に向かって歩いていく。桜介君は名残惜しそうにしているかと思ったが、実に清々しい表情をしていた。別れのケジメがついたのだろう。
「桜介兄ちゃん!またね!すぐ追いつくから!」
最後に亜那ちゃんが少しだけ振り向いて、桜介君に向かってそんなことを言った。僕達には何のことかわからないが、桜介君はごく自然に微笑んでいた。
「行っちゃったね。」
「よし、これでもう俺は大人だ。親父、今から仕事に行くぞ!」
「わかったわかった、そう焦るな。仕事は逃げないぞ。それどころか迫ってくるぐらいで...はぁ。」
溜め息をつくと幸せが逃げるという。これからも祐介さんは不憫なままなのだろうか。彼には悪いが、少々面白いのでそのままでいて欲しい。
「ところで拙者、昨日の晩からずっと空気なのでござるが。」
こんなところに不憫な人がもう1人。教会の大人たちと喋りまくっていて、僕達のほうに絡んで来なかったのが悪い。
教会のみんなを送り出して、桜介君たちとも別れて屋敷へ戻ろうとする背中に、声をかけてくる女性が1人。
「柑那たちはもう帰ったのか?」
「明日香さん?」
「よっ。近所なのに久しぶりな気がするな。」
軽い挨拶を交わす。傍の大通りで服屋を営んでいる明日香さん。魔族と呼ばれる、この辺りでは珍しい特徴を持っている。
「あれ?明日香さん?どこ?」
「下だよ下。喧嘩売ってんのか嬢ちゃん。」
「わかってるよ。冗談冗談。」
「ったく、そんな陳腐な冗談はいらないよ。」
せいぜい亜那ちゃんくらいしかない身長で、四包の胸に軽いパンチを加える。あっさり受け流されてしまった。魔族は身体能力が高いらしいのだが、四包が異常なだけか。
「さて、依頼があって来たんだけど、昨日のうちに柑那から聞いているよな?」
「なんのことですか?」
「拙者、昨日柑那殿と少し行動を共にしていたでござるが、そんな話は聞いていないでござる。」
「柑那のやつ、たまにやらかすんだよなぁ。」
あのしっかりしたイメージのある柑那さんでも失敗はするのか。ドジを踏む柑那さんなんて想像できない。
「じゃあ、私の口から説明するとしよう。」
「はい。では中へどうぞ。」
「ちょっと肌寒かったんだよ。気が利くねえ。」
扉を開けて屋敷の中へ入る。その途端、明日香さんは驚きの声を上げた。
「なんだここ、温かい。」
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