66話 別会
「どうしんだい、あんたたち。」
暗くなって帰ってきた子どもたちを、玄関ホールまで迎えに行った万穂さんの、第一声がそれだった。いったいどうしたのだろう。
「目を真っ赤に腫らして。誰かに意地悪されたのかい?」
「違うんだ、万穂さん。気にしないでくれ。」
つい先程まで泣いていたと見える子どもたちの目元。心配ないと言っているから平気だとは思うのだが、問題は別にある。
「うおおっ、桜介にはもうこんなに素敵な家族がっ。」
「祐介さん、いい加減泣き止んでくださいよ。」
梓さんがちょっとイラッとしたように声をかけ、千代さんもオドオドしている。またあの人は。でもあれだけ泣いていると、かえって子どもたちは泣き止んでしまうのかもしれない。その点だけは良い仕事をしてくれた。
「今日で桜介とは暫くお別れだ。みんな、最後までいっぱい楽しんでおくんだよ。それじゃ、手を合わせて。」
「「「いただきます!」」」
今日の献立は全部で2品。
小さい方の器には、おばんざいとして南瓜と大根の煮物を用意した。おばんざいとは、昔から京都の一般家庭で作られてきたお惣菜のことだ。
今日の料理では、干し椎茸のダシで具材を煮て、その後から水溶き片栗粉を入れて葛引きにしている。これによってツヤととろみが出るのだ。
「南瓜あまーい!」
「何このドロドロ。変なの。」
「そういうこと言わないの。海胴兄ちゃんが折角作ってくれたんだから。」
この世界の人にはこの良さがわからないのか、それとも子どもだからか。なんにせよあまり評判は芳しくない。
気を取り直してもうひと品の方だ。こっちは子ども受けを考えて作ったオムレツだ。
伝家の宝刀、冷凍豆腐を炒め、そこに薄切りにした玉ねぎを投入。調味料を加えて、水分を飛ばしたら1度上げる。卵と牛乳を混ぜてフライパンに流し、半熟のうちに具材を乗せ、形を整えてお皿にひっくり返したら完成。陶器のお皿との相性は著しく悪いが、そこは我慢だ。最後にお好みでケチャップを。
「すごーい!お月様みたい!きれー!」
「なにこれ、お肉? 美味しい!」
「それは豆腐です。冷凍して解凍することでお肉のような食感になるんですよ。」
「へぇ、知らなかったよ。これなら肉なんて贅沢品が無くても良いね。」
今の環境、家畜はコストパフォーマンスの都合で乳牛と卵用の鶏くらいのものだ。食肉なんてものはほとんど出回っていない。
「トロトロの卵に包まれた具材の旨みが沁みるよぉ。」
「このたれの酸味が卵の甘みと合わさって食欲を掻き立てる。」
亜那ちゃんと浩介君、食いしん坊2人の食レポを小耳に挟みつつ、僕も手をつける。なるほど、卵のタイミングがよかったようで、口の中で蕩けるように仕上がっている。今まで作ったオムレツの中で最高の出来と言っていい。いつもなら、ここにチーズを乗せるのだが、生憎、今日の昼で使い切ってしまった。
「「「ごちそうさまでした!」」」
癪だが、あいつの作る料理はどれも美味い。前までは週に1度入れるかくらいだったお風呂にも入ることができた。こんな生活をしていたら駄目人間になりそうだ。少なくとも、親父の料理では満足できない身体にされてしまった。
「桜介、どうしたんだ、ぼーっとして。」
「いや、親父の料理じゃあ満たされないだろうなって思って。」
「ぐはぁっ。」
部屋数の関係上、俺と親父は相部屋になった。親子で並んで眠るのも悪くは無いだろう。
不意に、俺たちの部屋の扉が叩かれた。
「桜介兄ちゃん、入れてー。」
「浩介か、どうしたんだ?」
「最後だし、一緒に寝ようと思って。宗介もいるよ。」
「まあいいか。入れよ。」
「やった!」
男3人で布団に川の字。すでに親父は叩き出されている。我が親ながら、不憫だ。
またもや扉を打つ音が部屋に響く。今度は誰だ。といっても、十中八九あいつらだろう。
「桜介兄ちゃん、入れて!」
「はいはい、いいよ入れよ。」
「最後だからね、お願い!...ってそんなにあっさり?」
「ただし先客がいるぞ?」
断られると思っていたのか、俺が了承しても手を合わせていた亜那。一緒に来ていた早那と香那はもう部屋に入っているというのに。
「いらっしゃーい。」
「浩介、宗介、いたのね。」
「酷いよ香那姉ちゃん。僕達をおまけみたいに。」
「実際そうだと思うよ。」
「早那まで。」
布団に6人が並ぶ。明らかに1人足りないので、布団を出てもう一度扉を開けてやると、案の定多那が立っていた。いつもの熊のぬいぐるみを片脇に抱えて、ちょうど扉に手をかけようとしていたようだ。
「もうちょっと詰めてよー。」
「落ちる落ちる。」
「もっと引っ付いちゃえ。」
ぎゅうぎゅう詰めで、浩介なんか半分出てしまっている。一番小さい宗介は俺の胸の上ですでに寝息を立てているし、寝返りだって打てやしない。妹分たちに腕や足を引っ張られ、苦しいはずなのにどこか満ち足りているように感じた。
「おやすみ、みんな。」
「「「おやすみなさい。」」」
暗くなった部屋で、家族に文字通り包まれて眠る。身体全体にかかる圧迫感。このまま朝まで離してくれなければ、俺の身体はきっと凝り固まってしまうことだろう。それでも俺は圧迫感と同時に来る温もりを手放そうとは思わなかった。
「ねぇ、桜介兄ちゃん、起きてる?」
「亜那、まだ起きてたのか。」
「うん、まあね。ちょっとお話しようよ。」
「別にいいけど、お前らは明日もまた歩きづめなんだから、さっさと寝ろよ。」
「わかってるよ。」
本当は疲労のせいで眠いのだが、妹分の最後の頼みとあれば、聞いてやるしかあるまい。
「桜介兄ちゃん、四包姉ちゃんのどこが良いと思ったの?」
「ばっ、急に何言ってやがる!」
「大声出したらみんな起きちゃうよ。」
「お前のせいだろうが。」
「ね、四包姉ちゃんのどこを好きになったの?」
「...一目惚れだよ。恥ずかしいこと言わせんな。」
「四包姉ちゃん可愛いもんね。そっか、一目惚れかぁ。」
布団に顔を埋めるようにして、俺に合わせていた視線を外す。
「どうしたんだ、顔を背けたりして。」
「私、あんまり可愛くないし、四包姉ちゃんには適わないなぁって。」
「何言ってんだ。亜那には亜那の魅力があるだろ。」
「たとえば?」
少し目を瞑り、今までこいつと過ごした長い時間を省みる。いかんいかん、このままだと眠ってしまいそうだ。
「だんまりなんて、酷いな。」
「考えてたんだよ。いいか、お前は明るい。」
「うん、ありがと。」
「食いしん坊で、ちょっと悪戯好きで、たまにすっとぼけたことを言うことだってあった。」
「なにそれ、悪口じゃん。」
くすくすと笑って亜那は僕を非難する。まるでそう言われることを予想していたかのように、その言葉に棘はない。
「悪口なもんか。そういうところが可愛らしいって言ってるんだ。」
「そっか、ありがと。」
顔を上げ、俺の方へ笑いかける。少しドキッとした。今度はこっちが照れくさくなって、視線を外す。
「じゃあさ、桜介兄ちゃん。」
「なんだよ。」
「私にも魅力があるって言ってくれるならさ、ここで今、私が告白したら受け入れてくれる?」
「...馬鹿言え。お前は妹分で、それ以上でもそれ以下でもない。」
不意を突かれて、少し答えに詰まってしまった。
「あ、今ちょっとドキッとしたでしょ。」
「うるさい。そういうところが駄目なんだ。もっと大人になれ。」
「大人になったら、私を受け入れてくれる?」
「...考えてやってもいい。」
答えは自然と口からこぼれた。バッサリ断ってやるはずだったのに。妹分なんて恋愛対象になり得ないと思っていたのに。
「じゃあ、私が桜介兄ちゃんに相応しい大人な女性になるまで待っててね。」
満面の笑みで亜那はそう口にした。それに対する答えはもちろん、
「断る。」
「え?」
「お前に合わせてなんかやるもんか。自力で追いついてこい。年齢なんて言い訳は聞かん。1つしか離れていないんだ。誤差だ誤差。」
「...」
「必死で頑張って、俺に見合う女になったら、認めてやってもいい。」
「...ふふっ。」
「どうした?」
「桜介兄ちゃんらしいなって。わかった。絶対追いついて、それから追い越してあげる。首を洗って待っててよね。」
「望むところだ。」
言いたいことを言った。それでも亜那は聞き入れ、俺のために頑張るという。負けていられない。未来の好敵手と手を繋ぎ、実に清々しい気分で目を閉じる。
「もういいの?」
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