63話 勘違
「戻りたいな。」
いつもの時間に目が覚めて、さあ稔君とトレーニングだ、と勢い込んでベッドから出ようとしたら、そんなことを呟いた四包と目が合った。
「おはよう、四包。」
「お、おはよう、お兄ちゃん。」
どこかソワソワしている四包。今の呟きはおそらく、前の世界に戻って好きな人に会いたいという意味だろう。昨日あったことを考えれば、不意に呟きが漏れてしまったことも考えられる。
「あ、あのね、お兄ちゃん。昨日のことなんだけど。」
「皆まで言うな、四包。お兄ちゃんはちゃんとわかってる。」
「う、うん。じゃあお返事を聞かせて欲しい、かな。」
「へ?お返事?」
「え?」
「え?」
「お兄ちゃん、一応聞いておくけど、何がわかってるの?」
「前の世界に好きな人がいるってことだろ?それをちゃんと報告したかったんじゃないのか?」
「...はぁ。」
「なんだよ、溜息なんて。」
「お兄ちゃんの鈍感さに呆れてたの。」
「どういうことだ?」
「もういいよ。早く行ってきたら。稔君が待ってるよ。私はもう1回寝とく。」
「よく分からないが、おやすみ。」
「おやすみー。」
もう何が何だかわからない。妹心は難しいみたいだ。今の反応からして、前の世界には何も無いような口ぶりだったが、どうなのだろう。もしかしたら、この世界で誰か素敵な人と出会ったのかもしれない。
「海胴殿、昨日の晩、拙者の脇腹を踏まなかったでござるか?」
「いえ?昨日は1度だけ部屋を出ましたが、ちゃんと稔君を起こさないように気をつけていましたよ。」
「そうでござるか。昨日はその衝撃でしばらく悶える羽目になったのでござるが。」
「僕には心当たりがありませんね。もしかしたら四包かもしれませんが。」
「そうでござるか。まあわざとではないでござろう。お咎めなしということにするでござる。」
「僕のときとは随分対応が違うんですね。」
「女性に手を上げるなど言語道断でござる。」
女性差別反対。僕には筋トレ2倍という過酷な状況を強いておきながら、四包は無罪。こんな理不尽なことがあっていいのか。
前の世界だってそうだ。女性限定のスイーツバイキングだとか、なんて羨ましい。スイーツ好きの男子はこの憤りをどこへぶつければいいのだ。まあ、男性可でも行く余裕など無かったわけだが。
「あんたたち!出発するよ!」
「「はーい!」」
子どもたちの歩行速度を考えて、朝早くからの出発。僕達は鍛錬で早起きには慣れているし、今日はその分早く起きたくらいだ。しかし、四包はあからさまに眠そうに欠伸をしている。
「四包、ちゃんと起きないと危ないぞ。道が凸凹してるからな。」
「うーん、お兄ちゃんおぶってー。」
「馬鹿なこと言うな。ほら、ちゃんと前見ろ。」
「はいはーい。」
どこかおぼつかない足取り。これだからいつも寝坊はさせないように、壁を叩いてでも起こしていたのだ。転けないかと心配でたまらない。
「うおっと。」
「ほら、言わんこっちゃない。」
案の定四包が砂利につまづいてよろけた。いつもの登校とは道の質だって違うのだから、ほとんど寝たままで歩けるはずがないのだ。転倒しかけたのだから、これで四包も起きるだろう。
「お兄ちゃん、もう離してくれていいよ?」
「おう。」
「ありがと。」
妙に微笑ましそうな目を向けられている気がするのは気のせいだろうか。主に万穂さんと亜那ちゃんから。
「さ、ここらでお昼にしようか。海胴、稔、頼むよ。」
「わかりました。」
背負ってきた荷物を下ろす。四包をおぶってやらなかったのはこれのせいでもある。ここの全員分の昼食を僕と稔君だけで背負ってきたのだ。
しかし、僕達に不満は無い。子どもたちに持たせるなんていたたまれないし、僕達よりもっと辛そうな人がいるから。桜介君と祐介さんは、陶器やらみんなからのプレゼントやらを背中にも前にも抱えている。あれに比べれば食料などまだマシな方だ。
「はー、やっと休憩できる。」
「お疲れ様、桜介君。はいお水。今お兄ちゃんがお昼作ってるから、もうちょっと待ってね。」
「あ、ありがとう、四包姉ちゃん。」
「あれあれ?桜介兄ちゃん、赤くなってなあい?」
「なってねえよ。余計なこと言うな。」
ニヨニヨしながら桜介君にちょっかいをかけていく亜那ちゃん。口止めしなかった桜介君が甘かったな。
「四包。火起こし頼む。」
「はいはーい。」
今日のお昼はトーストだ。教会から持ってきたパンに、バター、ニンニク、胡椒などをつけて網で焼く。ピリ辛なので子どもたちには少し向かないかと思い、昨日余ったチーズを使ったトーストも作った。僕も辛いものは苦手だったので助かった。
「こっちもおいしいよ、お兄ちゃん。」
「そうか、よかったな。」
「食べてみなよ。」
「いや、いいよ。辛いのが苦手なのは知ってるだろう。」
「交換にお兄ちゃんのもちょっとたべさせてね。」
「人の話を聞け。」
僕のトーストをひったくるようにして1口齧り、チーズのように頬を蕩けさせる。可愛らしいが、その直後に「さあ、さあ」と言わんばかりに僕の方へピリ辛トーストを向けてくるのは勘弁してほしい。
「お兄ちゃん、あーん。」
「そんなことされても僕は食べないぞ。」
「じゃあお兄ちゃんの分全部貰うから、お兄ちゃんは私の分全部食べていいよ。」
「じゃあの意味がわからん。わかったから食べればいいんだろう。頼むから僕の分を全部持っていかないでくれ。」
「覚悟ができたみたいだね。はい、あーん。」
「あ、あー。」
恥ずかしいが、四包の機嫌を損ねてしまえば、昼からの時間を、口元をヒリヒリさせながら過ごさなければならなくなる。大人しく従うしかない。
万穂さんに亜那ちゃん、その生暖かい目を止めなさい。
「あれ?案外辛くないぞ?」
「でしょ?ほら、もう1口。あーん。」
「あー。」
餌を待ちわびる小鳥のように口を開けてその程よい辛味を迎える。これくらいなら僕でも美味しく食べられる辛さだ。覚えておこう。
「だあーっ!イチャコラしやがって鬱陶しい!当てつけか!当てつけなのか!」
「桜介兄ちゃん落ち着いて!」
「暴れたら駄目!せっかくのご飯がぁ!」
2口目を頂こうとしたら桜介君が暴れだした。たしかに、桜介君が好きな四包と、兄妹とはいえまるで恋人同士のようなやり取りをされては腹が立つだろう。
それが意識できないくらいにトーストに夢中になってしまっていた。自分の料理の腕が恐ろしい。キャンプ料理の雑誌で読んだだけだが。我ながら、予定も無いのにどうして立ち読みしていたのか不思議でならない。
トーストの魅力から解放された僕は、そんな騒がしい光景を遠目から羨ましそうに眺める人影に気がついた。僕が視線を向けたことで、目ざとい5歳児、宗介君の視線も釣られて彼を捉えた。
「おっちゃん、どうしたの?」
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