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ポルックス  作者: リア
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57話 立腹

「なぁ、海胴殿。」



 朝一番。まだ日も昇りきっていない薄暗い部屋の中。もちろん四包は、隣ですやすやと眠っている。



「なんですか、稔君。こんな朝早くに。」

「別に早いことなどござりませぬ。いつものトレーニングでござるよ。」

「今日もやるんですか。」

「毎日続けてこそ意味を為すのでござる。」



 いやに笑顔の稔君に身を起こされ、そのまま外へ。笑ったままで訓練を課すその姿は、恐怖すら抱かせる。



「今日はっ、どうしっ、ふぅ、たんですかっ。」

「何のことでござるか?」



 腕立ての序盤。まだかろうじて話す余裕があるので聞いてみる。それでも基本は無酸素運動なので、息は切れてしまうが。

 稔君はまだ笑顔を貼り付けている。明らかにいつもと違うのだ。いつもなら、物思いに耽っているように無表情であったり、今まで読んできた物語の話を聴かせてきて、鬱陶しいほど目を輝かせたりしていたのに。



「なんだかっ、いつもよりっ、怖い感っ、はぁっ、じですっ。」

「あはは、そう思うでござるかぁ。」



 乾いた笑い声を響かせる稔君は、何かに取り憑かれでもしているように、いつもとは別人に見えた。いったいどうしてしまったのだろう。



「理由、知りたいでござるか?」

「はっ、ひっ。」



 もはや呼吸と同化した返事で肯定を示す。

 稔君はおもむろに彼の顎を指さした。首を捻って指し示す先を見ると、赤くなっている。



「この跡、何の跡か覚えているでござるか?」

「へっ?わかりっ、まひぇんっ。ふぅっ。」

「そうでござるかぁ、覚えていないと申すでござるかぁ。」



 稔君の笑みに凄みが増す。これ、もしかしなくても怒っているのか。通りでなんだか怖いと思った。

 怒りの矛先が僕ということは、原因も僕か。いったい僕が何をしたというのだ。昨日だって普通に寝...た?

 いや、待て、この記憶は間違いだ。僕が稔君にアッパーカットを決めるなんてそんなこと、あるわけが...



「...」

「思い当たる節があるようでござる。」



 よし、しっかり思い出せ。打ってしまったことは認めよう。だが、それには理由があったはずだ。

 そうだ、稔君が鬱陶しくて殴ったんだ。



「ふぅ、腕立て、終わりですね。」

「何を言っているでござるか?まだまだでござるよ。この顎の痛みの分は、しっかり返させてもらうでござる。」

「いや、昨日のは稔君も悪いですって」

「つまり、昨日拙者を殴ったことは認めると?」

「...はい。」

「もう少し、穏便なやり方はなかったのでござるか?」

「すみません、頭が働きませんでした。」

「謝るより先に腕を動かすのでござる!あと300回追加でござる!」

「そんなぁ!」



 理不尽だ。稔君にも責任はあると思うのだが、こういう場合言っても無駄に終わる。そのことは昔、怒っている四包で実験済みだ。




 丁度10年前。七五三で近所の神社に訪れたときのことだ。男である僕は3歳と5歳のときに訪れるだけで良いのだが、女の子である四包は3歳と7歳のとき。その日は四包だけが晴れ着で参詣していた。



「どお?お兄ちゃん、似合ってる?」

「すごく可愛いよ。」

「えへへーっ。」



 照れたように笑う四包は本当に可愛かった。妹という贔屓目を抜きにしても、彼女は麗しかった。

 真っ赤な生地に花の模様がついた美しい着物もさるものながら、結い上げた銀色に煌めく髪に差した簪も、只でさえ綺麗な四包を一層引き立てている。

 実際、同じく七五三に訪れた四包の友達や、たまたま居合わせた近隣の方々からの注目の的だったと思う。神社の人に「広告用に1枚お願いします。」なんて頼まれるくらいには四包は可愛かった。



「あっ、お兄ちゃん、お母さん!焚き火してるよ!」

「四包、あんまり近づきすぎちゃダメよ!」

「はーい!」



 母さんが注意しているのにも関わらず、ぐいぐいと近付いていく。当時はまだまだ子どもであった僕も、暖を取るべく近寄る。

 真っ赤に燃え上がる炎はパチパチと音を立て、独特な匂いを出している。

 僕はこの匂いが好きだ。今となっては有害だとわかっているので滅多なことでは嗅ごうと思わないが、幼い頃は花火にしてもケーキの蝋燭にしてもよく顔を近づけていた。そのたびに母さんに叱られたのだったか。



「ねえお兄ちゃん、火ってどうして赤いの?」

「わからない。そういうものなんじゃないか?」

「そっか。」



 どこか残念そうな表情だった。今思えば、こういう何にでも疑問を持つ感性は大切にすべきだと思う。学校の勉強だって、原因を理解することで覚えたものもたくさんあるのだ。



「...綺麗だね。」

「そうだな。」



 四包が言っているのはきっと焚き火のことだが、焚き火に照らされ赤みがかった四包の顔は、思わず見とれてしまうほどに魅力的だった。

 その齟齬が、結果的に最小の被害で済んだ理由だった。



「っ!四包っ!」

「えっ、何っ、お兄ちゃん?」



 必死で近くにあった消化バケツを引っ掴み、四包の髪に中の水をかける。焦っていた僕は、量を考えずにありったけ全部をかけてしまった。



「ふぇっ、」

「ごめん四包!髪が燃えてて!」



 髪の一部が縮れて焦げている。火の害はそれで済んだのでよかったのだが、問題は水だった。

 びしょびしょに濡れた髪。水が滴り落ちる着物。どう考えてもやりすぎだった。四包の目にはバケツからではない水が溜まっている。



「ふえぇぇぇぇん!」



 ついに大声を上げて泣き出してしまった。周りには何事かと人が集まっている。母さんもお手上げ状態だ。そのまま写真撮影もできずに帰ることになった。

 こうして僕は妹の七五三の最後を台無しにしてしまったのだった。



「なぁ、四包。」

「ふんっ!」



 それから四包の僕に対する態度は冷ややかだった。元はと言えば四包が焚き火に近づきすぎたのが悪いのに、だ。むしろ褒めて欲しいくらいに正当な行動だったはず。

 当時の僕は子どもだったので、そう思うとなかなか謝れなかった。困ったので母さんに相談したところ。



「とりあえず謝っておきなさい。話はそれからよ。」



 なんて言われる始末。僕は悪くないのに。



「四包、この前はごめんなさい。」

「むっ、まあ、お兄ちゃんが謝るなら許してあげるけど。その代わり、お兄ちゃんのおやつちょっともらうからね。」

「そんなぁ。」




 こうしてチンピラばりの搾取をされ、しばらく兄としての面目を保てないままの生活を余儀なくされたのだった。今となっては懐かしい日々の1ページだ。この歳でこの思考はどうかと思うが。

 そういうわけで、トレーニングが終わった今、僕がすべきことはただ1つ。



「稔君、すみませんでした。」

「まあ、許してあげるのでござる。」



 稔君は男の子だけあって、あっさりした性格だったようで助かった。あの頃の四包にも見習ってほしい。

 すぐに謝って、すぐに許して貰えて本当によかった。でなければ、これからまた試練が訪れることになったところだ。



「すみません、移動お願いします。」

お読みいただきありがとうございます。

アドバイスなどいただけると幸いです。

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