56話 口動
「お二人共、お話は終わりまし...え?」
桜介君と祐介さんの再会を祝う夕飯の準備ができたので、声が収まった頃を見計らって呼びに来たのだが。いったいどういう状況だ。
「よし、夕飯だな。行こうぜ。」
「いや待ってください。実の父親を放っておいてどこへ行く気ですか。」
「夕飯だけど?」
「その思考はおかしい。」
どこの世界に、胸を押さえてぶっ倒れている父親を無視してご飯を食べる息子がいるんだ。あ、この世界か。
「とりあえず、どうしてこうなったんですか?」
「親父が殴ってくれって言うから殴ったらこんなことに。」
「まさかの自業自得。祐介さんにそんな趣味が。」
息子に殴られて悦を感じる人だったとは。四包の教育に悪いので、今後は極力近付かないようにしよう。
「たとえ変態のお父さんでも、倒れたら助けてあげましょうよ。」
「変態?何言ってんだ?」
えーっと、人が倒れたときはどうすればいいんだ?
まずは119番通報だな。って救急車なんてこの世界には存在しないか。
仕方ない。とりあえず呼吸を確認しよう。祐介さんの口元に僕の左頬を近づけ、胸の上下を確認しながら息を感じる。呼吸はあるみたいだ。
「みっ...ぞぉ...ち...」
「なんですか、祐介さん。祐介さん!」
だめだ。反応がない。呼吸はしているが、もしかして、これは死戦期呼吸というやつか。譫言のように何か呟いているし。学校で習って、絶対使わないだろうと思っていた単語を、ここで使うことになろうとは。
「とりあえず、心臓マッサージとかしたほうがいいのでしょうか。」
「まず人を呼ぶべきだろ。」
「そうですね。四包ー!」
「はいはーい、呼ばれて飛び出る四包でーす。どうしたの?」
「祐介さんが死にかけなんだが、どうしたらいいと思う?」
「119番と自動体外式除細動器。」
「あったら苦労しないんだが。」
どうでもいいが、四包は英語で略された単語を、わざわざ日本語で覚えるのを好む。四包にとっては恰好いいらしい。僕にはわからない感覚だ。
「そうだ。魔法で代わりができるかもしれない。四包、電気ショックだ。」
「よしきた!任せろぃ!」
祐介さんの上半身の服を脱がし、右胸と左脇腹のあたりに手を添える。
「よし、やれ!」
「やれ!じゃねえ!洒落にならんわ!」
「おぉ、やっと起きた。」
「桜介!気づいてたなら止めてくれよ!」
「いやぁ、殴っただけじゃあ足りないって言うかと思って。」
「充分だったわ!きっちり鳩尾に狙い澄ませやがって!」
「それであの喘ぎ声だったわけですね。」
「全力で殴りやがって!成長を感じられて嬉しいぞこの野郎!」
「お兄ちゃん、夕飯冷めちゃうよ?」
「そうだな。祐介さん、服を着てください。」
「誰のせいでこうなったと!」
「起きない親父が悪いと思うぜ。」
「ぐっ...!」
すごすごと引き下がった祐介さんを置いて、夕食に向かう。
「なんか普通だな。」
「いくら明日が誕生日だからといって、今日の食事がよくなるわけではありません。」
「それでも海胴兄ちゃんの工夫のおかげで、いつもよりは美味しいよ。」
「亜那ちゃん、またつまみ食いしたなー?」
「あっ、しまった!四包姉ちゃん鋭いね。」
悪びれる様子もなく四包を褒める。おい四包、まんまと乗せられて、叱るのを忘れてはダメだろう。叱ってやらないといけない、なんて言っていたのはどこのどいつだ。
「さっさと食べるよ。みんな、手を合わせな!」
「「「いただきます!」」」
今日の献立はクリームシチュー。パンと合わせて出された。パンを浸して食べると、少し硬いパンが柔らかくなって美味しい。
クリームシチューのアレンジだが、煮込む時にバターを加えた。これによってとろみとコクがプラスされ、パンに絡みやすくなるのだ。
「いっつも中でぼろぼろになってたけど、これだと食べやすいね。」
「いっただきー!」
「あ!こら!浩介!私の『シチュー』返して!」
「あれ?なんだか口の動きが変な気がする。」
「普通に咀嚼してるだけじゃないか。何がおかしいんだ?」
「いや、そうじゃなくて、シチューのところ。」
いまいちよくわからない。もう1度香那ちゃんに言ってもらおうかとも思ったが、浩介君との格闘で忙しいようだ。
「万穂さん、この食べ物って...」
「『シチュー』のことかい?なんだ、知らないのによくあんな工夫ができたね。」
四包の言っていることは正しかった。万穂さんが発音する「シチュー」と口の動きによる『シチュー』は合っていない。本当に微妙な違いではあるのだが。
「いえ、シチューは知っているのですが...なんと言いますか、何かが違うような。」
「ん?海胴、もう一度『シチュー』って言ってみな。」
「シチューですか?」
「たしかに、口の動きがあたしたちの言い方と違うねえ。それでも発音は一緒ってのは、不思議なもんだ。」
こんな感覚をどこかで味わったことがある。どこだったか、割と最近だったような気がするのだが。
「こんな大人数で、それも息子を含めて、食卓を囲む日がくるなんて、夢のようだ。」
しみじみとしながらシチューをつけたパンを貪る祐介さんの言葉。それだ。夢だ。
夢の中での自動翻訳のような機能。あれは音声としては知らない言語だが、意味だけ頭に伝わってくる。当然、口の動きは未知言語のままだ。
口の動きは違うのに聞こえる言葉は同じ。似ているといえば似ているが、そんなことよりも、何故このようなことが起きるのか、だ。
「何か特別なことがあるのでしょうか。」
「こっちの世界に来るときに自動的にそうなったんじゃないかい?」
「そう思うしかありませんね。」
そう結論づけて、というよりも保留にして、食事へ戻る。こちらへ耳を傾ける1人の少年には気付かずに。
食後。四包の魔法により僕達の薪運びが必要無くなったお風呂に入って、就寝準備に入る。といっても、布団に入って灯りを消すだけだが。
寝る場所は前と同じく万穂さんの部屋。僕達兄妹はベッドで、稔君は床に布団を敷いて寝ることになった。
もちろん稔君から不満は出たが、即却下。何が悲しくてベッドに野郎2人並んで寝なければいけないのだ。四包と稔君がベッドで、僕だけ床なんて論外だ。別に僕が床に寝ることは構わないが、嫁入り前の妹と少年を一緒に寝かせるのは、兄として許せない。
今日は四包の魔法ではなく、蝋燭を吹き消す。
「海胴殿、海胴殿。」
「どうしたんですか、稔君。」
「拙者聞いてしまったのでござるよ。」
「何を。」
「海胴殿が別の世界から来ているということを!」
「...そんなわけないじゃないですか。」
「今の間は絶対に図星の間でござる!」
「...声が大きいです。四包が起きたらどうするんですか。」
「え、四包殿はもうご就眠でござるか?」
やってしまった。稔君にだけは知られないように、向こうでは一切口にしていなかったのに。
四包がベッドに入って数十秒で寝付くのはいつものことだ。気にすることじゃない。
「別の世界からだなんて、是非詳しく聴かせてくだされ。」
稔君は布団からガバッと起き上がり、仰向けにベッドで横になっている僕を覗き込む。
灯りを消した部屋は真っ暗なはずなのに、稔君の目はキラッキラ輝いている。ええい眩しい。その目をやめてくれ。
興奮状態の稔君を宥めるため、経緯を軽く話すしかない。まったく面倒なことになった。
「ふむふむ。お二人にそのような過去があったとは。どうして言ってくれなかったでござるか。水臭いでござる。」
「こうなるからですよ。」
結局、僕が横になったまま、体感時間で30分ほど語り詰めた。もう眠い。早く寝かせてくれ。
「海胴殿、そちらの世界にはどんな物語が」
そこから怒涛の質問タイム。これまた30分くらいは続けられただろうか。疲れて眠くて、もう頭が働かない。
稔君がまた口を開こうとする。すかさず僕は布団を抜け出し、稔君の前に立った。稔君はそれを乗り気になったと判断したのか、さらに目をキラキラさせて話そうとする。
「海胴殿、次は」
「いい加減寝かせろぉ!」
渾身のアッパーカットが炸裂した。若干稔君の筋肉質な身体が浮いたような気さえする。
スッキリした僕はまたするりと布団に潜り込み、眠りに落ちた。
「なぁ、海胴殿。」
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