54話 困夢
『お腹が空いた。』
眠りについて早々読み取った感情がこれだった。笑ってもいいと思う。だが生憎この身体は今夢の中の僕のものだ。勝手に笑うことはできない。
『あのスープがもう一度飲みたいな。』
そう思って器を見ても、それは空だ。わかっていても、あのスープ1杯で空腹が満たされる訳もなく、頭はもう1杯を欲している。僕が感じたことのないほどの欲求だった。
『たしかあれは、「コーンスープ」と言っていたのだったか。』
そう呟いて瞬きした直後、視界の中心にあった器には、湯気を立てたコーンスープが。
どういうことだ。妙なリアリティのあるこの夢にしてはファンタジーだな。
この結果に夢の中の僕も呆然としていると、廊下を駆けてくる音がドタドタと。それはおそらく部屋の前で止まり、ノックも無しにバタンとドアを開けた。
「今飲もうとしてたコーンスープが無くなったんだけど、どういうこと!」
『何を言っているんだ。』
「あなたがあんまり美味しそうに飲むものだから、自分のも作ったはずなのに、ちょっと目を離したら無くなってたの!何か知らない?!この家には今私とあなたしかいないはずなのに!」
『いや、だから何を言っているのかわからないのだが。』
四包に似た少女は、言葉が伝わらないのをものともせず、早口で捲し立てる。それに、言葉が伝わる僕ですら何を言っているのかわからない内容だ。
待てよ、突然現れたコーンスープ。突然消えたコーンスープ。多分これらは一致するだろう。ならば、このコーンスープを動かしたものはいったい何だ。
「あ!それ!私が作ったコーンスープ!牛乳入れて、まだかき混ぜてないから多分そうだ!どうしてこんなところに?!」
『もういい。わからん。』
かき混ぜていないという共通点により、このコーンスープは同一であることは確かだろう。この瞬間に、かき混ぜていないコーンスープがそう幾つもあるとは思えない。
部屋の中の2人が両方困惑している混沌とした空間に、終止符を打ったのは1人の男性だった。四包に似た彼女と同じ黒い髪、つり上がった目、ほっそりとした体型をしている。
「おい、何してるんだ。うるせぇ...ぞ?」
「あ、お父さん!帰ってきてたんだ!今ね、コーンスープが瞬間移動したの!」
何故かこっちを見て固まるお父さんとやら。気にせず喋り続ける少女。相変わらず困惑する、夢の中の僕。また混沌とした空気に逆戻り、かと思いきや、お父さんとやらがこの空気を粉々に破壊した。
「おいテメェ。うちの娘とはどういう関係だ。」
『あなたも俺の知らない言葉で話すのか。』
「何言ってんだ。はっきり答えろ!」
そう言われても、伝わっていないのだから仕方がない。この中で唯一、傍観者の僕だけが全てを理解できているのだ。
「お父さん、この人はね、今日庭で拾ったの。」
「はぁ?」
「お昼ご飯食べてぼーっとしてたらね、庭に倒れてるのを見つけた。」
「何言ってんだ、お前。」
そりゃあそう思うわ。突然庭に人が倒れていたら、まず通報だろう。あろうことか自宅で保護とは。この少女、正真正銘の阿呆ではなかろうか。
「おい坊主。お前も何とか言ったらどうなんだ?」
「お父さんお父さん。たぶん外国人だから言葉わかんないんだよ。髪は銀色だし目は青いし。」
「それもそうだな。」
揃いも揃ってそれに気付かずに日本語で話してたのか。というか、夢の中の僕は銀髪碧眼だったのか、知らなかった。
『この「コーンスープ」はどうなっているんだ。』
「あ!今コーンスープって言った!これは覚えたんだ。」
「こいつの言葉は聞いた感じ英語でもねぇみたいだな。」
「不思議な子だね。」
人として不思議なのはそっちだがな。
そんなことを考えている間に僕の意識はだんだんと夢から離れていった。
「ぷはぁ、はぁ、はぁ。」
「鍛錬中に息を止めていても苦しいだけでござるよ?」
厳しいトレーニングを終えた僕は、冷たい地面に這いつくばる。いい加減、外でするには寒くなってきたな。
「稔君、明日からは屋敷の中でしましょうか。」
「それは構わないでござるが、床が抜けたりはしないでござるか?」
「走ったりは外でしましょう。腕立てや腹筋なんかは中でも大丈夫だと思います。」
「了解したでござる。」
「それと、今日は出かけるのでお店は休みです。稔君もたまには休んでください。」
「何かあるのでござるか?」
「孤児院で子どもの誕生日会があるんです。明後日には帰ってきますよ。」
「なるほど。楽しんできてくだされ。」
そうして昼前になり、屋敷の前に集まった。5人で西へ向かう。...5人?
「稔君、どうしているんですか?」
「拙者もその誕生日会に行ってみたいのでござるよ。拙者そういうのは初体験でござるし。」
「可哀想なこと言わないでよ。断れないじゃん。」
「いいんじゃないかい。祝ってくれる人は多けりゃ多いほどいいさ。」
そんな感じで、稔君も付いてくることになった。なんだか、どこかへ行くときには周りに流されてばかりな気がする。
今日は俺の誕生日の前日。万穂さんは「海胴と四包を呼んでくる!」と2日ほど前に勢い込んで出ていったが、今日の昼を過ぎてもまだ帰ってこない。
「桜介君。そんなに扉とにらめっこして待っていても、帰ってくるときにしか帰ってきませんよ。」
「わかってるよ、千代さん。遅いから心配しちゃってさ。」
「万穂さんなら、何があっても明日までに帰って来そうだけどね。」
いつも通り黄色い服を着た香那が飾り付けをしながら話す。みんなが俺を祝ってくれるのは嬉しいが、やはり万穂さんがいないと始まらない。
俺をここまで育ててくれたのは彼女で、もはや俺の母親も同然なのだから。
「ぼーっとしてないでこっち手伝ってよ桜介兄ちゃん。」
「主役に準備させるとはいい度胸してんなあ浩介。」
「別にいいじゃない。手伝ってあげたら。」
「亜那...まあいいか。貸せ、宗介。危なっかしい。」
結局みんなで夕方まで準備することになった。俺の誕生日会なのに、どうして俺が、と思わなくもない。だが、もしかすると教会の皆で何かをするなんて、これっきりかもしれない。そう思うと、勝手に手が動いた。
不思議なことに、準備を終わった後もまだ続けていたいと思ってしまった。それほどまでに、この教会には愛着があるということか。
「戻ったよ!」
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