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ポルックス  作者: リア
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54/212

53話 平臥

「ありがとうございます。」



 目にいっぱいの涙を溜めて、それでも笑ってお礼を言う祐介さん。良い顔できるじゃないか。



「明後日、協会で桜介の誕生日を祝うんだ。あんたも来てくれるかい?」

「はい。もちろん。桜介に会って、謝りたいと思います。」

「明後日ということは、明日の朝にはこっちを出ないといけませんね。」

「そんなに遠いんですか?」

「こっちに来たときはちょっとゆっくりだったから、もう少し遅くても大丈夫だよ。」



 僕の方にちらちらと視線を向けてくる四包。僕のせいだと言いたいのか。失礼なやつだ。いや、その通りなのだが。



「何にせよ昼前には出ないとね。誕生日会の準備だってしないといけないんだから。明後日は桜介の好きな物を作ってやらなくちゃ。」

「僕も手伝います。」



 また明日、昼前に屋敷の前で会うことを約束して、祐介さんと別れた。




「で、四包。海胴とはどうだい?」

「ふぇっ?!」



 四包と2人で並んで湯船に浸かりながら、あたしはそう声をかけた。この問いかけだけで四包の顔は容易く真っ赤に染まる。可愛いやつだ。女のあたしですら抱きしめたくなるくらいに。



「お兄ちゃんは、ただのお兄ちゃんだよ。」

「ほんとかい?1日中べったりだったときもあったじゃないか。」

「ほんとだよ!お兄ちゃんはお兄ちゃん。それ以上でもそれ以下でもないの!」



 明らかに動揺した様子で目を泳がせる。お風呂で泳いじゃいけないよ。というのは冗談だけど。

 傍から見ても、四包は海胴が大好きだ。家族に向ける愛情にしちゃあ大きすぎる。もっと大事なものに向ける感情だ。



「ほらほら、吐いちまいな。お母さんに隠し事は無駄だぞー。」

「ほんとだもん!というか、さすがにお母さんは言い過ぎだよ。」

「げっ、四包もそう思ってたのかい。」

「あ、ごめんね、つい。」

「そんなに良い人だったのかい?」

「うん。そりゃあもう!綺麗だし、優しいし、でもちゃんと叱ってくれるし。お父さんが好きになるのもわかるよ。」

「お父さんは...っと、今のは失言だ。忘れておくれ。」



 この兄妹は生まれたときから父親が行方不明で、そのまま戻ってきていないのだ。可哀想に。こんな可愛い子どもを置いていくなんて、どんな親なんだろうね。



「いいよ、大丈夫。お兄ちゃんはお父さんを恨んでるみたいだけど、私はそんなことないんだよ?」

「じゃあ教えてくれるかい。お父さんのこと。」

「んー、教えるって言っても、物心ついたときには居なくなっちゃってたからなぁ。」

「そうかい。覚えてないなら仕方ないね。」

「あ、でも!お母さんから聞いた話があったはずなの!えーっと、なんて言ってたんだっけ。」



 水面、もとい湯面?に口をつけ、ブクブクと泡を立てながら首を捻る四包。意外とその歳になっても、そんなことするんだねぇ。



「そうそう、お家の庭に突然現れて、そのまま倒れちゃったんだって。それを助けてからー、えーっとぉ。」

「すごい人だね、お父さん。」



 ある日突然庭に倒れている男性。あたしなら想像しただけで嫌だ。よくそいつと付き合おうと思ったものだね。

 それにしても、庭に人が倒れていたら驚くだろうに。お母さんは冷静な人だったんだろう。そうじゃないと助けることなんてできやしない。



「それと、お父さんは外国の人だったらしいの。」

「外国ってなんだい?」

「えっとねぇ、私たちが住んでた国は日本っていう島国なんだけど、その他の国のことだよ。」



 なるほど。あたしたちは他の国を知らないから外国という言葉を知らなかったんだろう。そりゃあ他の世界なんてものがあるんだから、山や海の向こうに国くらいあっても不思議じゃない。



「なるほどねぇ。勉強になったよ。さあ、そろそろ上がろうか。顔が赤いよ?」

「はーい。お兄ちゃんも待ってるだろうしね。」




「電気消すよ?」

「おう。頼んだ。」



 真っ暗闇と、静寂に包まれ、感じられるのは四包の体温のみ。そういえば、四包に言っておきたいことがあった。



「四包。」

「なに?」

「お疲れ様。」

「お兄ちゃんもね。どうしたの?急に。」

「今日は四包が大活躍だったからな。祐介さんをきちんと叱ってくれて、きっと桜花さんも満足しているだろう。」

「ありがと。そうだといいね。」



 少し濡れた頭を僕の胸板に乗せて枕にしてくる。苦しくないのだろうか。最近のトレーニングで結構厚くなっていると思うのだが。



「ねえ、お兄ちゃん。」

「どうした?」

「苦しい。」

「なら頭を下ろせよ。」

「でもこのままがいい。」



 我儘だ。僕はいったいどうしたらいいのだろう。服も少し湿ってしまうし、頭を退けてくれた方がお互い助かるはずなのだが、それでもこのままが良いと言うのなら、受け入れよう。



「ねえ、お兄ちゃん。」

「今度はどうした?」

「お兄ちゃんはさ、祐介さんにとっての桜花さんみたいに、人生を賭けられるほど大事な人っている?」



 それは愛している人ということなのか、それとも他の、生きる軸となる人のことだろうか。

 僕個人の意見で恐縮なのだが、人は生きるために軸が必要なのだと思う。その軸へ向かう感情が、親愛であれ憎悪であれ憧憬であれ、それはその人の生きる原動力となる。

 基本的に若者にはそれが定まっていない。それ故に迷うのだろう。何のために生きているのか、自分が何をすべきなのか。



「もしその質問にイエスと答えるなら、その大事な人は、四包。お前になるだろうな。」

「そっ、そっかぁ!」



 もちろん愛している人という訳ではなく、生きる軸となる人だ。僕が家事をするのも、バイトをしようとしたのも、全て四包を無事に成長させるためだった。

 どうでもいいが、僕は誰に恐縮したのだろう。こういう変な思考になるあたり、僕もまだまだ若い。

 なんだか僕に触れる四包の体温が熱くなっている気がする。というか、微妙にクネクネしている。正直気持ち悪い。



「気持ち悪い動きをするんじゃない。あと頭をグリグリするな。」

「きもっ...さすがにそれは酷いよ。」



 四包はそう文句を言うが、語調に不快感は一切ない。それどころか嬉しそうにすら感じる。今日の四包はよくわからないな。



「じゃあ、おやすみ、お兄ちゃん。」

「おやすみ。」




『お腹が空いた。』

お読みいただきありがとうございます。

アドバイスなどいただけると幸いです。

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