52話 説得
「何してるんですか?」
投げ掛けられた不機嫌そうな声。明らかな敵意の篭った、その声の主はもちろん、桜介君の父親だった。
「もう一度説得に来ました。」
「無駄ですよ。そこを退いて下さい。疲れてるんです。」
「嫌です。」
きっぱりと断ってやる。不快感の対価にはこれくらいが丁度いいだろう。もし丁寧な対応をされても、通す気はないが。
「昨日も言ったでしょう。俺には子どもを育てる力も資格もない。諦めて下さい。」
「本当にそう思ってるのかい?」
「当然です。捨てられた子どもが捨てた親の元に戻って来るなんて、そんなことはありえない。」
「でも現に、桜介君は貴方と暮らしてみたいと言っています。」
「嘘だ。」
「僕達には嘘を吐く理由がありません。桜介君は言っていました。貴方は桜介君を捨てることに反対だったと。」
「...」
言い返す言葉を探すように、視線を逸らす。
「俺が桜介を育てても、不幸にするだけだ。」
「どうして、そう言いきれるんだい?」
「...」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、様子を伺うようにこちら側にちらちらと視線を向ける。
何か話しにくいことがあるのだろう。
「安心してください。ここで聞いたことは誰にも話しませんし、それを弱みに脅迫するようなことはしません。」
「...まったく、嫌なことを思い出させてくれる。」
「え?」
「...いいでしょう。話します。それで納得したなら、2度と来ないでください。」
「わかりました。」
四包も万穂さんも頷く。それを同意と取って、彼は話し始めた。
まず、彼の名前が祐介であること。奮励の末に桜花さんを妻にしたこと。保守的な思考ばかりで努力を辞めて、桜花さんに負担をかけた結果、桜介君を捨てることを決断させてしまったこと。祐介さんが努力を怠ったせいで、桜花さんが亡くなってしまったこと。
「これで、わかったでしょう。」
最後に鼻をすすって、彼の人生を語り終えた祐介さんは、その眼に涙を溜めていた。自身のせいで狂ってしまった、狂わせてしまった人生のことを考えると、自然と目頭が熱くなってしまうのだろう。
「きっと、桜花も怒っているだろうな。」
「そう、だね。」
今まで黙っていた四包が祐介さんに同意の言葉を返す。
「お嬢さんもこう言っていますし、もう帰ってください。」
「ねぇ、祐介さん。」
「なんだい、お嬢さん。」
「祐介さんはさ、桜花さんが、どうして怒ってると思うの?」
問を投げかける四包の目は、まるで僕を叱っていたときのように、はっきりと祐介さんを捉えている。
「そんなもの...俺が頑張らなかったことに、決まっているだろう。」
その頃の彼自身への嘲笑を含めた声で言い放つ。四包は、それが予想できていたかのように素早く反応した。
「違うと思うよ。」
「何?」
「桜花さんは、そんなことで怒ったりしないと思うよ。」
「どうしてそんなことが言えるんだ!話を聞いてなかったのか?」
無理に取り繕ったような敬語も捨て去った祐介さんがいくら怒鳴っても、四包の視線は少しも揺るがない。
「だって、努力しないことに怒ってるなら、体調を崩すより早く「嫌いだ」って言って出て行ってるよ。」
「それは...」
言い淀む祐介さん。たしかに、四包の言い分は的を得ている。別れてしまえば済んだ話だ。それをしなかったのはきっと。
「桜花さんはさ、祐介さんのこと、大好きだったんだよ。自分のためだけに、嫌いな勉強でも頑張ってくれたあなたが。」
「っ!でも、それは俺が勝手にしたことで...」
「それでも、嬉しかったんだと思うよ。」
そう区切って、どこか懐かしむように、回顧するように虚空を見上げる。
「出来すぎるってことはね、自慢できることなんだけど、それと同時に周りから疎まれることになるんだよ。」
四包も1度、経験がある。
運動神経が良すぎる四包は、地域で行われる有志の陸上競技大会で賞を取ることがあった。もちろん、同じ学校の陸上部員はおもしろくないと感じるわけだ。
こうして一部のクラスメンバーから爪弾きにされることになったわけだが、彼らもフレンドリーな四包に次第に心を許していった。それで事なきを得たのであるが、四包は大変稀なケースだ。
天才というのは総じて理解され難く、疎まれやすい。それが、皆の通る道、学問となれば尚更だ。
「だから、純粋な好きって気持ちでぶつかってきてくれた祐介さんを選んだんだと思う。」
「そう...なのかもしれない。」
「祐介さんは、頑張れなかったことをちゃんと反省してるもん。それならきっと、桜花さんも許してくれるよ。」
「仮に、仮にそうだとして、あんたは桜花が怒っていると言っていたはずだ。なら、どこに?」
「それはね、きっと、あなたが叱ってあげなかったこと。」
「どういうことだ、お嬢さん。俺があいつに叱れるようなところなんて無かったはずだ。」
桜花さんを近くで見てきた彼なら、自分の失敗をカバーしてくれる彼女を、そう思うのかもしれない。だが、決定的すぎる見落としがある。
「桜介君を捨てるって判断。あれが正しかったと思うの?」
「いや、それは...」
「絶対にダメだよね。わかってるはずだよ。どんな事があっても、人の命を捨てるなんて絶対にだめ。それが自分たちの子どもなら尚更だよ。」
「でも、それは仕方ないことで」
「そんなわけない!人の命を仕方ないで片付けるなんて冗談じゃない!」
命を軽く見る発言をした祐介さんを、四包はキッと睨みつける。
「学校で習いもしないほど単純で、誰でも知ってる基本的なこと。それが当然だと思われるくらい重要なのに、それを間違えたんだよ。」
「...」
「自分のパートナーが悪いことをしようとしてるなら、全力で止めなきゃ。間違った判断をしたなら、ちゃんと叱ってあげなきゃ。それが傍に居るってことの意味だよ。」
「そう、だな。...桜花。すまなかった。」
「きちんと謝れたね。...桜花さんの代わりに聞いておきたいんだけど。」
「構わないよ。」
「ねえ、桜花さんのこと、今でも好き?」
「...当然だ。」
ぼそぼそとした小さな呟き。とても天国までは聞こえない。
「聞こえないよ。もっとはっきりと。桜花さんのこと、好き?」
「当然だ!俺がどれだけ後悔したと思ってる!何度あの頃の俺を殴りたいと思ったか!あいつが居なくなってようやく!あいつの大切さに本当に気づいたんだ!もう会えないことはわかってる!それでも!それでも俺はあいつを、桜花を愛してる!」
「うん!それでいいんだよ。」
聞いているこっちが恥ずかしくなるほどの、愛の告白が、夕日に照らされた街に響く。
「その気概があるなら、桜介君を育てることも出来ると思いますよ。」
「桜介は、あいつが残してくれた、一番の宝物だ。俺の手で育ててやりたい。今その思いはあるんだが、またあいつと同じように桜介を不自由させてしまうかもしれない。あの子が間違えたときにも、叱ってやれないかも」
「大丈夫だよ。」
万穂さんが豪胆な笑みと共に言う。
「あの子はあたしが育てたんだ。少しの不自由がなんだい。あの子ならどうにでもできるさ。」
「僕達だっているんです。困ったときは、遠慮なく相談してください。桜介君とは、短いながらも家族だったのですから。」
「なんだい、あたしは母親になれないのに、桜介は家族かい。」
「万穂さんも、母親ではないにせよ、家族ですよ。」
「そ、そうか。ありがとね。」
「ふふっ。」
祐介さんが少し笑った。その笑顔は憑き物が落ちたように、澄んで見えた。
「ありがとうございます。」
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