51話 按摩
「行きたくないな。」
身体が痛い。全身の筋肉が悲鳴を上げている。トレーニングによって成長を感じてはいるが、稔君はその成長に追いつかれないようなメニューを組んでくるのだ。
「そうも言ってられないでしょ。ほら、うつ伏せになって。マッサージしてあげる。」
「おー、ありがとう。」
コロン、とベッドの上で寝返りを打つ。肩から背筋まで、四包の握力で揉みほぐされる。昔なら強すぎて痛がっていたかもしれないが、今はちょうどいい。たった数日でこれとは、稔君、引いてはその師匠、恐るべし。
「次はお尻から下もいくよー。」
「おう、頼むー。」
毎日片道2キロの登下校を果たしていた下半身には、多少なりとも自信があったのだが、それでも筋肉痛となった。稔君に見抜かれて、片道2キロより辛いトレーニングを課されたのだ。
四包の少し冷えた手が心地いい。
「お兄ちゃん、仰向けになって。」
「なんでだ?」
「どうせ腹筋とか腕も痛いんでしょ。ついでにやってあげる。」
「じゃあお願いしようかな。」
もう一度寝返りをうつ。ぐでっと両腕を広げ、大の字になる。あー、このまま眠ってしまいたい。
「おきゃくさーん、凝ってますねぇ。」
「そうなんです。聞いてくださいよぉ。稔君がねぇ。」
くだらない茶番を繰り広げ、腕のマッサージを終えてもらう。次は胸筋。僕の脚と脚の間に陣取った四包が、前屈みになって僕の前に現れる。
「なぁ、四包。」
「なぁに、お兄ちゃん。」
「もうちょっとサイズの合う服作ろうか。」
「え?なんで今...って、わわっ!」
慌てて胸元を隠す四包。シャツの首元から中が見えかけだったのだ。というより実際、中に白い布地が見えた。
四包もそういうのを着ける歳になったんだなぁ。毎日の洗濯のときに気づいていたけれど、改めて感慨深いものがある。
「ジロジロ見ないで!お外見てなさい!」
「はいはい。」
毎日見られているのだから、別にそのくらい恥ずかしがることはないと思うのだが。
そのことを伝えると、四包はたぶん顔を真っ赤にした。窓の外を眺めているので表情はわからないが。
「今日から自分の分は自分で洗濯する!」
「構わないけど、出来るのか?」
「できるよ!馬鹿にしないで。」
馬鹿にしたつもりは無いのだが、どれをどう洗うとか知らないだろう。夢の中の僕ではないが、泣きついてくる未来が見える。
「四包ー!海胴の調子はどうだい?」
「もうすぐ終わるよー!待っててー!よし、お兄ちゃん。行こっか。」
「おう。」
ゆっくりと起き上がる。身体の痛みも少しはマシになった。よし、行こう。彼の心を開くために。
「で、どうしてこんなに早くから来たんですか。」
太陽が僕らの真上から照りつける。時間は昼過ぎ。だんだん暖かくなってくる時間帯。お昼ご飯を食べてから桜介君の親の家の前に並んで立っている。
「昨日みたいに、家に閉じ篭られたら面倒だからね。やるなら万全を期さないと。」
「それもそうですね。」
ただ、彼が帰ってくるまで暇だな。こういう空いた時間に仕事が出来ればいいんだが、そうも言っていられない。これも仕事だからな。
「暇ですね。」
「何か話題でもないかと思ったけど、昨日で話尽くしたような気がするねえ。」
「あれ?あの人ってたしか...」
こちらへ向かって歩いてくるのは、稔君に似た茶色の髪の女性。この時点での候補は2人。稔君の母、実さんと、その友達の蕾さん。よく似ているので、ある程度近づかないとわからない。
「蕾さんだ!おーい!蕾さーん!」
「おや、あんな大人の人と知り合いなのかい?」
そう思っていたのは僕だけのようだ。四包にはきちんと見分けがついているらしい。ようやく僕にもあれが蕾さんだとわかる距離まで近づいてきた。
「よく実さんと見分けがついたな。」
「何言ってるの、全然違うじゃん。前髪の長さとか目元とかさ。」
いや、前髪くらいは気づいていたが、あの距離では不明だ。目元に違いがあるのか。どことなく違うような気がするが、明確にはわからないな。乙女の着眼点は凄まじい。
「四包さん、海胴さん、そちらの方は?」
「えーっと...詳しい説明は難しいですが、しばらくお世話になっていた人です。」
「なんだい、育ての母くらい言ってくれてもいいじゃないか。」
さすがにそれは言い過ぎだ。僕達の母は母さんただ1人。四包がどう思っているかは知らないが。
「そうですか。それにしても、こんなところでどうしたのですか?こちらの方に用事でも?」
「いや、それがね。」
ここに桜介君の親が住んでいること、桜介君を帰らせようとしても、父親らしき人に素気無く断られてしまったことなどを掻い摘んで話す。すると、蕾さんは納得したような表情を見せた。
「実は彼、奥さんが亡くなっていたそうなのです。」
「え?そうなんですか?」
「ええ。今まで何人か、配偶者を亡くした人達を見てきましたが、あれだけ落ち込んでいる人を見たのは初めてでしたから納得がいきました。」
まあ、息子を捨てた上で妻にも先立たれたのなら、あれだけやさぐれるのも無理はないと思う。桜介君に聞いていた話では、父親は桜介君を捨てることに乗り気では無かったようだし、それも影響しているのだろう。
「でもほんとにそれだけかな?」
「どういうことだ?」
「それだけって言うのはおかしい気がするけど、桜介君が戻ってくるのをあんなに必死に断る理由にはならなくない?」
たしかに、折角桜介君が戻りたいと言っているのに、それを拒むのは何かおかしい。謎が解けたと思ったら、また増えてしまった。
日が傾き始め、蕾さんは帰っていく。それを見送っていると、後ろから声がかけられた。
「何してるんですか?」
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