45話 完遂
「これはまずいな。」
もっと早く帰ってくるつもりだったのだが、この街の鍛冶技術を継ぐ若者として、何か画期的なことを考えようと試行錯誤していたら、すっかり遅くなってしまった。
妻と子どもには友達が世話に来ると言ってあるが、自分にはそのような交友関係は無いと言っていい。単純にコミュニケーションが下手だ。鍛冶師の先輩とも上手く話せない。だから発想で勝負しようとしているのだ。
実さんが勧める人達だから、大丈夫だとは思うのだが、心配性な妻にバレる前に帰らなければならない。
「急がないと...あっ!」
「どうしたの?そんなに急いで。」
出会ってしまった。家の前で、ばったりと。家庭的で、気遣いもできる、自分には勿体無いくらいの良い妻ではあるのだが。家族のこととなると、異常なほど神経質になる。
妻の顔を見てふと思った。自分たちの子どもを見知らぬ人に預ける。これって相当悪いことじゃないだろうか。我ながらなんて事をしてしまったのだろう。焦りからか、肌寒いくらいの気温なのに、全身から汗が吹き出す。
「え、えーと、話が、あるんだけど。」
「寒いしお家入って話そうよ。」
「えーと、それは、そうなんだけど。」
子どもたちの前で『友達じゃなくて、実は見知らぬ人でした。』なんて言うのは大人としてどうかと思う。それに、妻に怒られるのを子どもたちに見られたくない。
ドアノブに手をかけようとする妻の手を取り、向かい合う。
「え、あ、どうしたの?」
「え、えーと。」
少し頬を染めた妻は魅力的だが、それどころではない。悪いことをしてしまったのだ。きちんと告白して、自分の罪を受け入れなければならない。そうは思っていても、なかなか妻と目を合わせられない。
「あ、あのな。」
「うん。」
決死の覚悟で話し始める。手に汗が滲む。妻の表情を見ることもできない。
やっとのことで話し終えた。これであとは怒られるだけだ。憂鬱になる。
「あなた。」
「は、はい。」
「あなたは、あの子たちが大事じゃないの?」
「もちろん大事に思ってます。」
「じゃあどうして、あの子たちを知らない人に面倒見させようとしたの?」
「仕事が、したくて。」
「そういうことじゃなくて、なんで友達だなんて嘘ついたの?」
「子どもたちを、不安にさせたくなくて。」
「なんで私に本当のことを話してくれなかったの?」
「見栄を、はりたくて。」
「そんなちっぽけな見栄のために、子どもたちを危険に晒していいと思ってるの?」
「思ってません。ごめんなさい。」
「謝って済む問題じゃないんだよ。それでもし子どもたちが危険な目に遭ったり、食べるものを盗られたりしたらどうするの?」
「...」
正論も正論。ド正論だ。返す言葉もない。もしここで言い訳でもしようものなら、お説教が2倍になる。
「はぁ、起きてしまったことは仕方ないし、とりあえず入りましょう。もうこんなことは起こさないようにね。」
「はい。」
再び泣き出した裕樹君をあやして、洗い物まで済ましてやっと、ひと息つく。ダイニングルームで、カップを使わせてもらって、白湯を飲んでみる。うーん、無味。健康に良いと聞くが、どうなんだろうか。
「子育てって大変だねぇ。」
「そうだな。」
「拙者はただ遊んでいるだけでござった故、特に何も感じていないでござるが。」
1番楽をしていた稔君に2人してジト目を送りつつ、眠ってしまった子どもたちをぼーっと眺める。こうして静かだと可愛らしいのだが、1度泣き出すと大変だ。
「あれ?お兄ちゃん、何か聞こえない?」
「おいおい、また怪談か?もう自爆は勘弁してくれ。」
「違うよ。話し声。多分この家の前かな。」
「拙者も聞こえたでござる。」
聞こえていないのは僕だけか。別に耳が悪いというわけでは無いと思うのだが。
「じゃあ、ちょっと見てくるよ。」
「おねがーい。」
席を立ち、玄関まで行くと、ようやく僕にも話し声が聞こえてきた。ふむ、何やら怒られているようだ。
依頼主の男性と、もう1人女性の声がする。きっと奥さんだろう。あの男性、奥さんにも僕達を友達と言っていたのか。
たしかに、見ず知らずの僕達に子どもたちを預けるのは、少しおかしいな。言われるまで気が付かなかった。こういうところで気を回さなければ。
「とりあえず入りましょう。」
おっと、家に入ってくるようだ。少し居ずまいを正す。奥さんには普通に警戒されていたので、少しでも良い印象を付けなければ。
「おかえりなさいませ。」
「は、はい、ただい、ま?」
どうしよう。少し引かれてしまった。とても気まずい。玄関で御出迎えは不自然だっただろうか。
「あれ?何かいつもより綺麗な気が...」
「僭越ながら、業務範囲を超えて、掃除をさせていただきました。」
「えっと、頼んでないです、よ?」
「ご迷惑でしたら申し訳ありません。」
「いえ、それどころかとても助かります。」
奥さんはそう言って目を輝かせて玄関の隅までチェックする。
そう、お皿を出す時に見つけた埃から始まり、掃除をしていればまた汚れを見つけ、そこを掃除してはまた汚れ。といったふうに、結局隅から隅まで掃除してしまった。
「すごい。ここの掃除って砂が取れなくて大変なのに。」
「ありがとうございます。お子さんですが、今は眠っています。」
上がってもらい、とりあえず天恵メンバーの紹介を済ませる。
「子どもたちの面倒から掃除まで、本当にありがとうございました。」
「仕事ですから当然です。」
「仕事というからには対価が必要ですね。何かあったかしら。」
「いえ、昼食をいただいていますので。」
「それだけじゃあ割に合わないわ。そうだ、晩御飯も一緒にいかが?」
「ではお言葉に甘えて。あ、材料さえいただければお作りいたします。」
「お兄ちゃんのご飯は美味しいよ。」
怒られてまで掃除しておいて良かった。今夜も固形物が食べられる。今夜も全身全霊で腕を振るおう。全身で腕というのはおかしいか。
ところで、稔君は子どもたちの様子を見ているから仕方ないとしても、依頼主の男性の方が空気だ。その背中が心做しか小さく見える。これが尻に敷かれるということなのだろうか。悲しい運命だ。
「どんなものが良いですか?」
「あ、えっと、自分、ですか?」
「ええ。」
「えっと、それじゃあ」
「肉じゃががいい!」
いつの間にか起きてきた康樹君に注文権すら奪われてしまう。不憫だ。だがそれとなく笑っているような気がする。頼もうとしていたものと同じだったのか。親子は似るものだな。
「承りました。少々お待ちください。」
お読みいただきありがとうございました。
アドバイスなどいただけると幸いです。




