210話 里帰
「さあ、トレーニングだ。」
そのトレーニングを終え、屋敷に戻る。作戦については、行きしなで稔に伝えてあった。また羨ましいという目を向けられたが、そのあとの処遇について考えると、すぐに憐れむような目に変わった。単純なやつだ。そこが親しみやすいところでもあるのだが。
「この作戦はいいけどさ、私たちこれが終わったら外国で交渉するんだよね? そのときに国王の立場が無くても大丈夫なの?」
「国王ではなく、大使という形になるんだ。普通に考えれば、その方が自然だろう。信用不足で国王から落ちた人間が就くには丁度いい仕事だ。危険かもしれない外国に行くなんていうのはな。」
その危険を最大限小さくするために、こうしてトレーニングをしているわけだが。そこまで重く考える必要も無いだろう。
入って来る者全員を射殺するような国があるはずがない。そこは安心して良いはずだ。あとは問題を起こさぬよう、こちらが気をつければ良いだけ。
「大使として使って良い財の程もきちんと聞いてある。国王といえ晴れ舞台から一転、耕司さんの助力がないと生きていけないような生活になりそうだが。」
「仕方ないと思うよ。この国が国王に頼りすぎないようにしないといけないんだし。」
まったく、お人好しな妹だ。自分の立場のことなどお構い無しに誰かを助けることを選んでばかり。その無垢なる善を実現させるのが僕の役目であり、今のところの存在意義なのであるが。
「それに、私はお兄ちゃんがいてくれればどこだって」
「おや、あれはソルプ殿ではござらぬか!」
稔が四包の言葉を遮って声を張り上げた。たしかに稔の視線の先には、その体に似合わぬ大きな荷物を抱えたソルプさんがいる。が、言葉を邪魔された四包は少しお冠。恨みがましい目を稔に向けている。
「ソルプさん、お久しぶり、というほどでもありませんか。」
「こんにちは、ご主人様。天使様。稔様も。」
「会いたかったよソルプちゃーん!」
「拙者だけ忘れていたかのような呼び方だったのでござるが、気のせいでござるか?」
稔を睨んでいた四包も、いざソルプさんの前に辿り着くと、感激の声を上げて抱き締めた。よほど抱き心地が良いのだろう。荷物を持ったソルプさんの足が浮いている。
「苦しいです、天使様。」
「あ、ごめんごめん。」
腕をタップされた四包が、ようやくソルプさんの拘束を解いた。夏はまだ先とはいえ、よくもまあそんなに引っ付いて暑くないものだ。
「ソルプさん、大荷物でどちらへ?」
「一度家へ帰ろうかと思いました。旦那様とお父さんを会わせたいのです。」
「へぇ、いいね。」
そんな話を聞いていると、ちょうど良いタイミングで傍の家から祐介さんが出てきた。よく見ると、ここは祐介さんの家の前である。
「おや、こんにちは。」
「おはようございます、祐介さん。」
「おはよう!」
「おはようでござる。」
ただ一人、こんにちはと言ってしまった祐介さんはしどろもどろ。からかいがいがある人だ。
「祐介さん、ソルプさんの里帰りについて行ってもいい?」
「天使様?」
ふと四包がそんなことを言い出した。仕事はわざとしないようにしているわけで、止める理由などない。
「構わないよ。きちんと準備してきてくれるなら。」
「うん、準備してくる。行こ、お兄ちゃん。」
「おい四包、僕も行くのか?」
四包が急ぎ足で、僕の手を引いて屋敷へ向かう。手を掴む力は強く、楽しみにしていることが伺えるが。
四包が行くのは勝手にすれば良いが、僕まで巻き込まなくても良いだろう。僕はこの無職時間を使って読書でもしようかと思っていたのだが。
「来てくれないの?」
「行くなら四包一人でな。あまりぞろぞろとついて行くものでもないだろう。」
「えーっ。...じゃあやめとこうかな。」
「せっかくなんだから行ってきたら良いじゃないか。僕は行かないが。」
「お兄ちゃんは来ないんでしょ? んー...」
大した危険があるわけでもない。僕がいなくとも、四包なら大抵のことは何とかしてしまうだろう。これも四包の独り立ちを応援する行為の一つだ。
「さあ、手早く準備してしまえ。ソルプさんたちが待っているぞ。」
「うーん...」
「悩まなくても、行ってきたら良いじゃないか。祐介さんに任せるのは心配だからな。四包がついて行ってあげてくれ。僕がいなくても、行儀良くするんだぞ。」
「うん...そうだね。祐介さんだけじゃ心もとないもんね。」
祐介さんの威信が地に落ちているが、それはともかくとして。四包が行く気になってくれたようで良かった。
僕にかまけているだけでなく、友達と過ごす時間も作って欲しかったのだ。前の世界で、母さんが死ぬまではそれが普通だったのだから。
それからは兄妹で協力という風潮があったが、今ぐらいは気にしないで良い。周りの人も十二分に助けてくれる。
「いってきます!」
「ああ、行ってらっしゃい。」
「行ってらっしゃいでござる。...はぁ、また拙者が空気になっていたでござる。」
「なんだ、いたのか稔。」
「泣いて良いでござるか?!」
それに僕も、たまには親友と水入らずで過ごす時間が欲しいと思っていた。いつも四包を優先にして、稔をぞんざいに扱ってしまうからな。
「稔、何か話題はないか?」
「特に思いつかないでござるな...」
沈黙。そう、僕達のような友達が少ない人間の問題はこれだ。話題がない。趣味が偏りすぎていて、共通して楽しむことのできるテーマというものが見つからないのだ。
「仕方ない、掃除でもするか。」
「拙者も手伝うでござるよ。」
「ありがとう。玄関を頼む。」
「了解でござる。」
昨日も作業の合間に掃除はしていたが、今日はもっと念入りにしよう。勉強や読書ばかりというのもつまらない。
「海胴。」
「どうした稔?」
初めに風呂場に着手しようとしたとき、稔が早くも声をかけてきた。出鼻をくじかないで欲しい。仕方なく手を止め、玄関ホールまで戻る。
「千里さん。どうかしましたか?」
「よう、国王さん。一つ相談事があってな。」
「わかりました。では応接室にお通しします。こちらへどうぞ。」
玄関ホール向かって右の扉を開け、正面に見える部屋へ入る。向かい合った低めの椅子と、その間にある低めのテーブル。それから絵画が飾ってある程度の淡白な部屋だ。この屋敷の部屋はどれも皆似たようなものだが。
「いないもんだと思って来たんだが、まさか出会えるとはな。今日は仕事が無いのか?」
「いえ...この家の埃が見過ごせない水準まで溜まっていたので、掃除をしておこうかと。」
「へぇ。」
サボっています、などと、堂々と言えるはずもなく、事実ではあるが、言葉を濁した形になった。千里さんはどちらかというと迫力があるタイプなので、腰が引けてしまったという面もある。
「どうぞおかけください。相談事とは?」
「ああ。納税について少し。国民全員の名簿を作らないかと思ってな。」
「名簿...戸籍のようなものですか。」
「税を納められる年齢の人は全員分署名させたんだが、子どもにはしてない。それで、子どもも含めた年齢込みの名簿を作って、何歳以上に納税の義務を負わせたらいいんじゃないかと思ってな。この間みたいなことが起こらないように。」
良い発想だ。おそらく現代日本の納税の仕組みと大差ないのではなかろうか。仕組み自体、単純と言えば単純だが、こういった政策を考えつくことは容易ではない。
「良いですね。是非作りましょう。」
「よしきた。」
「署名の実績もありますし、名簿の作成はお願いしてもよろしいですか? 施行は僕達で行いますので。」
「任せろ!」
そう言って、千里さんは意気揚々と出ていった。彼の行動力ならば、すぐに作ってしまうのだろうが、これを施行しなければ怒るだろう。それが狙い目だ。
「海胴、何の話だったのでござるか? 千里殿、とても張り切っていたようでござるが。」
「ああ。戸籍を作ろうという話になってな。」
かくかくしかじかと説明する。省略する部分も無いほどすぐに終わってしまったので、ほとんどありのままを伝えた。ついでに僕の方針も。
「海胴、それで良いのでござるか? 海胴ばかり嫌われていくような気がするのでござるが。」
「そうでもないと、君主制を民主制に変えるなんてことは不可能なんだ。」
「しかし、それでは海胴が可哀想でござるよ。」
「良いんだ。問題ない。元々、こんなことをする器でもないんだ。少なくとも僕は。」
学校でろくに相手もされなかったような人間が、いきなり国王になるなんてことは間違っている。四包だって、国王というよりも平和の象徴の方が似合っている。それに、国政などを任せて、人の黒い部分を見せたくない。
「...古の賢者は言った。善に最も近い政治の形態は民主制であると。」
「どうかしたのでござるか?」
「いや、なんでもない。」
危なかった。小声で言ったつもりが、案外聞こえていたらしい。つい言いたくなった恥ずかしい言葉なんて聞かれてはたまったもんじゃない。
「それより掃除だ、掃除。」
「そうでござるな。この床を光らせてみせるのでござる!」
「それは不可能だ。やめておけ。」
築数十年のこの屋敷の床をピカピカに磨くなど、この時代の文化で出来るはずがない。木製なので、水を使うこともはばかられるのだ。
「ところで海胴、水はどうするのでござるか?」
「あっ...」
なんということだ。四包がいなければ、僕達は掃除もままならないというのか。
稔には仕方なく乾拭きを命じ、僕も風呂場をブラシで擦るだけになる。水を流してこその掃除なのだが。
せっかく、この国には巨大な湖という取水源があるのだから、インフラ整備でもすれば良いものを。魔法の便利さがそれがさせないのであるが。
まったく、無駄に便利なものは文明の発達を遅延させてしまうものだ。決して僻んでいるわけではない。
「四包...早く帰ってきてくれ。」
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