205話 体力
「さあどうぞ。かかってきてください。」
上から目線の言葉のようだが、別に驕っているわけではない。ある程度向こうの実力を把握しているからこその言葉だ。
彼らは、カルストさんを追い詰めたとき、警棒を強く握りしめたのだ。少なくとも僕の経験上、構えの時点で手に全力を込める強者はいない。
僕の経験といっても、まだまだ浅いので、油断するわけにはいかないのだが。初めはそれが理由で稔によく叩かれたものだ。
『らあっ!』
僕の予想通り、彼は力任せに警棒を振り下ろした。強靭な肉体から繰り出されるその攻撃は、たしかに速い。だが、アゴンさんには遠く及ばない。それどころか、稔にさえ届いていない。
半身になって躱し、また体勢を戻す。
『やるじゃねえ、のっ!』
今度はなぎ払い。警棒のリーチは短いので、バックステップで避ける。
なんてことはない。いつもの訓練を低速モードにしたようなものだ。まったく、人間の慣れというものは恐ろしい。
以前の僕であれば、ただただ縮こまっていたような速度で飛ぶ攻撃。それをいとも容易く避けてしまうのだから。
『やるな。』
「ありがとうございます。」
大ぶりの攻撃は、やたらと体力を使う。対して最小限の動きで避けている僕は、疲弊するということもなく、息を整えていた。
『ただの子どもじゃないみたいだな。騎士の家系か?』
「国王です。」
『まあいい。二人がかりならどうとでもなる。捕らえてからゆっくり尋問すれば良い。』
甘く見られたものだ。たしかに、先程までと同様とはいかないにせよ、まだ実力差がある。
もちろん、これで全力ではなく、子ども相手だからと手を抜いているのかもしれない。その可能性は常に頭にある。油断大敵とは、身をもって、それこそ命に刻み込まれたことだ。
『せやっ!』
『はあっ!』
「よっ、と。」
言葉通り、二人ならばどうとでもなると思っているのか、動きが更に単調で大ぶりになった。
そのまましばらく躱し続けてわかったことだが、二人とも、構えの型がまるで違う。同じ騎士という団体であれば、統一されていても良さそうなものだが。
稔の教えをマンツーマンで受けておいて、構えから違う僕が言えたことではないか。
『仕方ない。あれをやるぞ!』
『おうっ!』
返事をした方の騎士が、一気に間合いを詰め、横薙ぎ。当然、僕はそれをバックステップで躱す。
そこへ向かうもうひとつの警棒。奇しくも、僕と稔がアゴンさんに対してとった対応策と同じであった。良い連携だ。だが。
「見えていますよ。」
『んなっ。』
動きを予測していた僕は、その一振りを、構えた木刀で受け止め、流す。彼の動きがモロに見えていた僕は、バックステップの瞬間、回り込んだもう一人の方へ身を捻ったのだ。
『どうなってんだよ!』
なるほど、アゴンさんは勘だと言っていたが、彼にとってこの程度の動きは意識するうちにもなかったということだ。つくづく恐れ入る。
彼らはきっと今、あの時の僕らと同じことを思っていることだろう。なんだこいつ、と。
『全然当たらん! なんてやつだ!』
『これが他の領地の平均なんだとしたら、うちの領地はいよいよおしまいだぞ。』
今の発言のニュアンスを読み取るに、この領地の騎士は大して練度が良くないらしい。それか、周りの領地もこの二人と同様なのか。
『せい!』
『やあ!』
「ふっ。」
深夜の剣術勝負は、休むことなく続いた。相手がこの練度の二人である限りは、もちろん僕が優勢。しかし、僕にも体力の限界というものがある。
たとえ剣の技量が勝っていたとしても、やはり付け焼き刃の体力では、騎士に勝つことは出来ない。というより、この人達の体力が馬鹿げているのだ。
『せいっ!』
『はっ! そろそろバテてきたんじゃないか?』
「ぐっ!」
上段からの振り下ろしを剣の腹でまともに受けた。完全に図星だった。戦い続けるてかれこれ数十分にもなる。
普段の鍛錬であれば、小刻みに休憩を挟む。一体一を想定した、ごく短時間のものだ。しかし、二人同時に相手取る、それも、反撃無しとなれば、体力が底を突くのは時間の問題だった。
『らっ!』
『たぁっ!』
「うおっ!」
そろそろ時間稼ぎも限界だ。疲労の隙を突かれ、危うく被弾するところだった。まったく、日頃アゴンさんはこんなことをしているのか。
僕もアゴンさんの戦い方を見て学んできたつもりではあったが、二人を相手取るにはまだまだ未熟であった。そればかりか、技術面でもまだ足りない箇所がある。
今日の実戦経験は、僕にとってプラスになったと言えるだろう。
「四包、逃げるぞ。」
「え、あ。うん。」
『あっ、おい! 待て!』
『カルストを見捨てたのか?』
時間稼ぎは十分だっただろう。ポリエさんを助けさえすれば、カルストさんは自首する気もあったようなので、これで良い。
問題とすれば、僕たちはもうこの領地にいられないことだ。数日暮らし、様々な人と出会ってきたこの土地だが、ここで捕えられるわけにもいかない。
結局、出国した目的は果たせなかったが、隣国の情報収集が出来ただけよしとしよう。今度はもっと計画を練って、準備を怠らないように。
「四包、手紙は送ったか?」
「うん、大丈夫。」
トンズラするためにも、まずは移動手段を呼ばねばならない。手紙に気づかれるのが明日の朝として、到着まで数時間となると、森の中で過ごさねばならない時間があるな。
「ポリエさん、助かるといいね。」
「そうだな。出来れば、カルストさんも無罪判決を求めたいところだが。」
「厳しいんだろうね。」
何せ、騎士が出動するような事態なのだ。何らかの罰、あるいは、見せしめに死刑となることも、最悪の場合、ないことはない。考えたくはないが。
この国においては、領地のことは全て領主に権限がある。そういう国なのだ。カルストさんの無事を願うことはできても、その判定を覆すことは難しい。
「おかしいよね。どうして娘を助けるためにしたことで罰を受けなきゃいけないの。」
「どんなに道徳的な行為でも、ルールはルールなんだ。それを民に蔑ろにされては、政治というものは成り立たない。」
ルールというものは、当然守られなければ意味を為さない。そしてルールを守らせるためには、負の感情を植え付けるしかないのだ。
例えば、学校で。廊下を走ってはいけない。なぜそのルールがあるかということは単純に理解できる。しかし、ルールを守らせているのはそれではない。
今となっては、廊下を走らないというルールは当たり前の常識となっていて考えづらいが、小学生の頃を思い出してみよう。あの頃僕達が廊下を走り回らなかったのはきっと、教師の説教が怖かったからだ。
こんなふうに、ルールを守らせるためには、何か負の感情を持たせる必要がある。それは領地単位になっても同じことだ。ルールを守らない者には罰を与える。そうすることで、政治はようやく形を成す。
「それが全員を平等に、ルールに従わせる方法なんだから仕方ないだろ。」
「そうなんだけどさー。なんか腑に落ちないんだよね。」
「なら、全員が好意的に従うようなルールを作ってくれ。前の世界ならともかく、今はこれでも国王なんだからな。」
そう言ってやると、四包は本気で考え始めた。そんな方法が簡単に見つかるのなら、苦労はしないのだが。
とりあえず、思考を邪魔しない程度には、四包のために道を作ろう。暗い森の中で先頭を歩く者の役目だ。
「んー...にゃっ?!」
「うおっと。」
あの鉄塊まで目前というところで、四包が背中に頭突きをかましてきた。おそらく木の根にでもつまづいたのだろう。辛うじて背骨は避けてくれたようで、目立った痛みはない。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ごめんね。」
「考え事は良いが、足元だけは注意してくれよ。」
「ぐっ、まさかお兄ちゃんにそんな注意を受ける日が来るなんて。」
「失礼だな。」
「あながち失礼でもないよ? お兄ちゃんが考え事しててぼーっとしてるのは事実だし。」
それはそうで、僕も反省はしているつもりなのだが。どうしてもこの癖は抜けないらしい。こういうときに、脳が二つあればと思う。既に左脳と右脳に別れてはいるのだが。
「もうすぐ着くが、何か思いついたか?」
「ううん、全然。」
「そうか。」
「ルールを破るのにデメリットが無いと、絶対に守らない人が出ちゃうもん。かといって、守ればお金をあげるって言っても、働いてくれなくなっちゃうし。」
働くこともルールに提示すれば、とも思った。だがそれでは、生きられないと困るからルールを守ることになる。結局は負の感情が主軸になってしまうのだ。
ここまで行ってしまえば極論のような話だが、どう足掻いても、負の感情を排除した政治は成り立たない。
「人間、失敗や挫折を味わって、嫌な気持ちになってこそ成長するものだ。あまり深刻に考えすぎないほうが良い。」
「それもそうなんだけどね。」
妹様はまだ腑に落ちないご様子。まあいい。そのうち気も逸れるだろう。もう夜も遅い。今日これからは睡眠だ。
ハンドルを回し、鉄塊の中に入り込む。いつも寝泊まりする木目の部屋に比べて、無機質な室内がなんだか物寂しい。
「今日はここで寝るの?」
「そうだな。いつもより寝床が固いが、一晩くらい我慢しよう。」
いつものベッドも大概固いが、今日ほどではない。ああ、前の世界での布団が恋しい。どうにかして、あの柔らかさを再現出来ないものか。
お湯とタオルを駆使して全身を清め、就寝の構え。寝やすい服装に着替えてある。ただ、床が固いことを除けば完璧なのだが。
文句を言っても仕方がないので、諦めて横になる。お湯で温まった体に、ひんやりとした床が心地よい。
「お兄ちゃん、お腹貸して。」
「ん? ああ、そういうことか。いいぞ。」
「ありがと。」
月明かりすら入らない、真っ暗な室内で、いったい何を言い出すのかと思えば、僕の腹を枕にしたいということだったらしい。
しかし、それではかなりアンバランスだと思うのだ。頭が上がりすぎだろう。首が締まりそうだ。長時間あの体勢では危険な予感がする。
「四包、ちょっと掛け布団になってくれ。」
「ん? どゆこと?」
「僕を敷布団にして良いということだ。」
兄妹二段重ねの睡眠だ。これで四包は固い床から解放され、僕も四包の高い体温で寝やすくなる。ウィンウィンの関係というやつだ。
「え、いいの?」
「ああ。骨を押し付けるのはやめてくれよ。」
「うん、それはわかってる。えっと、ほんとにいいの?」
「何をそんなに躊躇うことがあるんだ。」
昔なら、自分から喜んで引っ付いてきたくせに。この世界に来たばかりの時も、そんな状況が続いていた。
だからこそ、兄離れを進めるために別居なども試みたわけだが。
「いや、だってお兄ちゃん、寝る時でも手だけしかダメだって言ってたし。」
「今日は特別だ。あまり甘えるばかりでは困るが、かといって固い床というのも嫌だろう?」
「そりゃあそうだけど。お兄ちゃんは痛くないの?」
「二人とも痛いより、僕だけが痛い方が総合的に楽だろう。」
「わかるような、わからないような?」
「兄の優しさだ。素直に受け取っておいてくれ。」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん。」
もぞもぞと動き始め、少し幅の広い僕の上にぴったり重なるようにして、四包はうつ伏せになった。僕の胸の辺りに顔を置いている。四包が身を動かす度に、髪が僕の首元をくすぐる。
「汗くさくないか?」
「ううん、大丈夫だよ。いつものお兄ちゃんの匂い。」
「なんだそれ。」
とは言いつつも、僕も四包の匂いを嗅ぎ分けていた。こちらは少し汗っぽい。髪の辺りは仕方ないと思う。
しかして、決して不快な匂いではない。いつものどこか甘いような匂いにプラスして、若干の酸っぱさが加わったような。強いて例えるならば苺を連想する匂いだろうか。
「お兄ちゃん、あったかぁ。ベッドの素質あるよ。」
「そりゃどうも。...おやすみ、四包。」
「うん、おやすみぃ。」
互いに互いの温もりを感じあいながら、ゆっくりと目を閉じた。人肌というのは、幸せを運ぶものである。
「ん、んん?」
お読みいただきありがとうごさいます。
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