204話 物陰
「さあ、帰りましょう。」
リャノさんは、四包の説得のおかげでどうにか心を持ち直し、生きる意味を見出され、自らの命を存続させることを決意した。ポリエさんへの愛を貫く決心も。
『はい。』
すっかり落ち着いたと見えるリャノさんが頷いた。それを認め、四包を伴って歩き出そうとしたそのとき。どこからか、荒い息が聞こえてきた。全速力で走ってきたあとのような、酷く苦しそうな音である。
「誰...?」
『向こうの茂みからです。』
「男性でしょうか。」
暗がりから聞こえてくる喘ぐような声に、四包はかなり怯えている。かく言う僕もそうだ。四包とは少し対象が異なるが。
もしこの音の主が、領主関係者であった場合、僕達のことは即刻報告され、交渉相手どころかお尋ね者になってしまう。ここで過ごした信頼を得るための数日が無駄になるのだ。
それを避けるため、僕と四包は、物陰に身を隠した。
『リャノ、君?』
「お知り合いですか?」
『いえ、聞き覚えは...』
茂みからは、月明かりに照らされたリャノさんだけが見えるのだろう。この距離であれば、僕らのひそひそ話は聞こえていないだろうが。
ようやく、その声の主は姿を表した。はっきりと顔は見えないが、月明かりに輝く白い髪だけは見て取れる。
『覚えているかな...?』
『どこかでお会いしましたか? ...なんとなく見覚えがあるような。』
『もう十年ほど昔になるからね。覚えていなくても仕方がないよ。僕も容姿が変わってしまっただろうし。』
酷く疲れたような調子で言うのは、初老の男性。僕が見るのは正真正銘初めてのはずだが、どことなく見覚えがある顔立ちだ。
『十年前...? まさか。』
『思い出してもらえたかな。ポリエの父、カルストだよ。大きくなったね、リャノ君。』
『そんな、ポリエ姉さんからは、死んだと...』
『酷いな。そりゃあ、八年も連絡をしなかった僕が悪いんだけどさ。』
なんとその声の主は、ポリエさん、並びにウバーレさん、ドリーネちゃんの父親だった。なんというタイミングの良さだろう。
『今の今までいったいどこにいらしたんですか。』
『少し旅にね。』
カルストさんがその回答を口にした途端、リャノさんはカルストさんの草臥れた服に掴みかかった。温厚なリャノさんの荒っぽい行動に、度肝を抜かれてしまう。
『そんな勝手な理由で、あの家族を...!』
『待ってくれ。話を』
『あなたがいないせいで、どれだけあの姉妹が苦労をしてきたか! ウバーレさんにどれだけ大変だったか! ポリエ姉さんがどれだけ心を痛めたか! あなたにわかりますか!』
『...』
何か話そうとしていたカルストさんだったが、リャノさんのあまりの剣幕に黙ってしまった。怒り慣れていないであろうリャノさんは、肩で息をしている。
『言い訳があるなら、言ってみてください。』
『僕はね、リャノ君。ポリエを救うつもりでいるんだ。』
『それは...どうやって?』
『一昔前。魔法で人を救うなどと馬鹿なことをした友人がいてね。でも失敗した。僕はそれから学んだんだ。そんな神頼みのようなことじゃあ決して治りはしないと。』
胸をなでおろす気持ちだった。今度は見知らぬ人の説得までしなくてはならないのかと。勘弁していただきたい。
そして、彼の親友というのはおそらく、カンポさんのことだ。ここで過ごして数日の僕にも、そうとしか考えられない。
『だから僕は旅に出たんだ。ポリエを治す方法を求めて。』
『そう、だったんですか。ごめんなさい、掴みかかったりして。』
『いや、いいんだ。おかげで、自分が何を犠牲にしたのか再確認できたよ。...誠心誠意、謝らないとな。』
カルストさんの目は、もしポリエさんが死んでいたらという仮定は微塵も考えていなかった。もし回復法を探し出しても、ポリエさんが亡くなっていたときの絶望を助長すると思うのだが。
少なくとも、僕にはそんな恐ろしいことは出来ない。
『ポリエは中かい? まだ生きているんだろう?』
『はい。もう長くはないと言っていましたが。』
『よし。予定通りだ。』
『なぜポリエ姉さんの病状がわかるんですか?』
『親友の嫁と同じ病気だってことはわかっていたんだよ。だから、そいつに話してもらったんだ。ポリエを助けるためだってね。』
聞く方も話す方も辛かっただろう。カルストさんは、娘の将来を危ぶんで。カンポさんは、残酷な現実を思い出して。それでも、彼らは人を救うために耐え抜いた。
『帰ってきたということは、治療法が見つかったんですか?』
『まあ一応ね。確実というわけではないけれど。それでも、魔法を使った無謀な治療よりはマシだと思うよ。』
リャノさんは喜色満面の笑みを浮かべた。淡い期待に胸を躍らせているのだ。しかし、僕にはどうも、嫌な予感がする。杞憂であれば良いのだが。
『早く入りましょう。ポリエ姉さんを治してあげてください。』
『もちろんだよ。』
そうしてリャノさんが、ポリエさんの家の扉に手をかけたとき。再び茂みがざわめいた。カルストさんの慎重だった歩き方とは違う、雑なものだ。
『ようやく見つけたぞ、カルスト。』
『騎士様がどうしてこんなところに!』
『つけられていたのか! 畜生! 失敗した!』
茂みから音を立てて現れたのは、薄い鉄製の鎧を纏った、いかにもという風貌の騎士。想像上のものより装甲は薄く、走りやすそうである。
領内ということもあり、剣も構えていない。ただ警棒のような武具を持っているだけである。軽装の騎士と言うよりは、重装の警官のようだ。それが二人。
『どういうことですか、カルストさん!』
『勝手に領地を出たことがバレていたんだよ。見つからないように夜を選んだというのに。』
『貴様の行動は、領主様の規約に反する行為だ。即刻、領主館まで連行させてもらう。』
カルストさんはお尋ね者だったらしい。どのように情報を掴んだのかは知る由もないが、今晩戻ってきたところを追いかけてきたというわけだ。
『騎士様! 一生のお願いです! もう少し、もう少しだけ時間を頂けませんか! 娘の病気を治してやりたいんです! そのあとであれば、僕をどう扱って貰っても構いません!』
『規則は規則。曲げることは許されない。』
『騎士様! 僕からもお願いします! ポリエ姉さんを助けてください!』
『ええい、くどいぞ! 領主様の命に背くというのであれば!』
騎士の二人は警棒を握りしめた。カルストさんとリャノさんの表情が絶望に染まる。
そんな光景を見て、隣の少女が黙っているはずはなかった。彼女はどうしようもなく、弱者の味方で、助けられるものは何でも助けてしまう。どうしようもない性格を持っているのだから。
「待ってよ! 少しくらい、いいじゃない! 人の命がかかってるんだよ!」
『なっ、何者だ貴様!』
『シホさん! ダメです!』
四包の天秤では、ポリエさん一人の命と、国民の期待とでは、ポリエさんに傾くらしい。僕だってそう思う。心の中で、国民たちに詫びを入れながら、僕も物陰から出た。
『カイドウさん。』
「僕達が時間を稼ぎます。その間に。」
『君たちはいったい?』
当然、疑問の声を上げたのはカルストさんだった。それに対する端的な答え。それを思いつくのにそう時間はかからなかった。
「通りすがりの国王です。」
我ながら、難儀なセンスだと思う。国王に通りすがりも何もあるのかと問われれば一発で撃沈するような台詞だが、言ってしまったものは仕方がない。
『シホさん、カイドウさん! 危険なことはやめてください!』
「一宿一飯の恩義は返します。心配ありません。国王の称号は伊達ではありませんから。」
『よくわからないけど、リャノ君、行こう。』
バタンと扉が閉まる音が聞こえた。ここから、全力で足止めを開始する。
一日空けたとはいえ、僕の剣の腕は鈍っていないだろう。稔に執拗にしごかれたのだ。こんなところで負けるようでは困る。
『国王だと? 抜かせ! そんな粗末な身なりの国王がいるか!』
「...ごもっともです。」
『子どもが舐めてくれやがって! ほかの領地から流れてきたんだろう! 貴様らも纏めて領主様に突き出してやる!』
国王という名乗りは、かえって彼らを煽るだけだったようだ。だが、おかげでターゲットが完全にこちらへ向いた。
「お兄ちゃん、どうするの?」
「そうだな、四包は手を出すな。魔法を使えば、どうしても周りに被害が出る。」
もし火柱でも生み出そうものなら、深夜の家事騒ぎになる。加減を謝って騎士たちを殺めてしまう可能性だってあるのだ。有効な活用法がない限り、弓も使用禁止である。
「なるべく傷つけたくはないだろう?」
「...うん。」
なら、僕の出番だ。日頃の国王の職務では、散々四包に良い格好をされている分、こういうところで稼いでいかなくては。
魔法のような派手さが無いからこそできる、人に危険を及ぼさない時間稼ぎ。僕の体力が続く限り、絶対に彼らを通すつもりはないし、四包の手も煩わせない。
『一人で相手をするだと? 本気で言っているのか。』
「はい。」
『冗談も大概にしておけよ。そんな細い腕で、どうやって俺たちの攻撃を受けるっていうんだ。』
敵視というより、寧ろ可哀想な者を見る目になっている騎士たち。なんだろう、この土地では僕達はそういう運命にあるのだろうか。
それと、これでも太くなった方なのだ。僕の腕は。人のコンプレックスを突くのはやめてもらいたい。
『まあいい。少しばかり、大人しくしていてもらおう!』
騎士の一人が、警棒を振りかぶって駆け寄ってくる。背中に仕込んでおいた木刀を手に取り、ごく自然体の構えを取った。
なんてことはない、舐め腐ったその一撃を、受け止めることすらせず避け、バックステップ。
『大口叩くだけはあるな。さすがに手を抜きすぎたか。』
『何をやってるんだ。早く終わらせるぞ。』
今のはお互いに様子見というやつだ。この場所で、誰もこれが本気などとは思っていない。彼も、僕の得物が同じ棒切れだと思ってふざけたようなものだ。
ここからが本番。だが、僕の胸中に不安はない。
「さあどうぞ。かかってきてください。」
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