202話 無力
「カンポさん、晩御飯何が良い?」
腕まくりをして、さあ調理開始だと意気込んでから、献立を尋ねる。お兄ちゃんに教えてもらったものしか出来ないけど、それでもほとんどの家庭料理は作れるはず。お兄ちゃんの補佐は慣れたものだしね。
『シホ。ちょっといいか?』
「なに? おトイレ?」
『ちげーよ。』
家族ならまだしも、昨日今日知り合ったばかりの人の排泄シーンは遠慮したい。調理前に考えるようなことじゃないけどね。
『今日はリャノのとこに泊まってくれるか?』
「うん。わかった。でもどうして?」
『この家に四人は手狭だろ?』
そうかな。別に雑魚寝なら問題ないと思うけど。まさかリャノさんが寂しがっているという訳でもないだろうし、どうしてそんなことを言うのかな。
「そうでもないよ?」
『あー...そうだな。誤魔化すのは苦手なんだ。少し長話に付き合ってくれるか?』
「うん、いいよ。」
この世界の男性は、なんだか大雑把な人が多い気がする。アゴンさんも、祐介さんも。土地柄ってやつなのかな。
晩御飯はさっと作れるものしよう。そう決めて、エプロンを着たままカンポさんの隣に腰を下ろす。
『理由っていうのはリャノのことなんだが、今はセルバがいないからな。まずは俺の話からしよう。』
「この間ので終わりじゃなかったんだ。」
『ああ。これの理由についてな。』
「話したくないんじゃなかったの?」
『リャノのことを頼む上では仕方ない。』
リャノさんが今からやろうとしていることと、カンポさんが魔女の呪いにかかるまでの経緯が関係しているってことだろう。
もしかして、お兄ちゃんが生まれた時と同じ話かな。だとしたら、私たちにお父さんがいないのは...
『聞いてるか?』
「あ、ごめん。何だっけ?」
『まだ話し始めてなかったんだがな。』
いけないいけない。これじゃお兄ちゃんと一緒だよ。人の話は真面目に聞かなきゃ。
『つい数年前の話だ。』
領土戦争から数十年。俺は近所の幼馴染と恋をし、恙無く結婚し、二人の子どもを持っていた。この辺りのしきたりで、長男が家を継ぐことになっており、弟は家を出る。それがこの日だった。
決して門出日和とは言えない、曇天だった。
『お父さん、お母さん、行ってまいります。』
『元気でな。』
嫁のセラードも俺も、もう随分年を食っていた。毎日のように働きに出ている俺はまだ体力があったものの、セラードはそうもいかなかった。リャノを産んですぐ病に侵され、調子が良い日でないと出歩くこともできない。そんなセラードが、玄関まで出ていた。
『すぐ隣じゃないの。仰々しいわね。』
『母さん、無理するなよ。』
セルバがセラードを支える。息子の背も大きくなったものだ。それを見ているだけで、なんとも言えない感慨深い思いがする。
そして、これからの更なる成長が楽しみでもある。
『セルバ兄さん、また後で。』
『おう。畑でな。』
だが、セラードは。こいつらの成長を見届けることなく死んでしまうのではないか。こいつらがさらに逞しくなったときにはもう、俺の隣にいないのではないか。そう思うと、頭を殴られたような気分になるのだった。
『あなた?』
『ん、ああ。どうした?』
『どうしたじゃないわ。リャノ、行っちゃったわよ。』
『親父、ボケるにはまだ早いぞ。』
『うるせえな。』
リャノを隣まで見送り、家に戻る。セラードは、また横になった。少しばかり顔が赤く、息も荒い。
『大丈夫か?』
『大丈夫よ。心配ないわ。』
大丈夫なわけがない。だが、俺にはどうしようもなかった。人間というのはつくづく無力な生き物だ。道具を操っても、魔法を使っても、一度だって運命を変えられやしない。
『元気でいてくれよ。』
『当たり前じゃない。あなたを置いて逝けないわ。』
その翌日。この日もまた曇天。セルバは畑に働きに出た。俺はセラードの看病だ。なんてことはない。いつもの分担である。
『いつもすまないわね。』
『そう思うなら、早く元気になれ。』
『...』
『セラード?』
『ごめんなさい。』
『あ?』
『私、もう長くないみたい。』
唐突な宣告だった。全身がナイフで切りつけられたかのように、熱い痛みを訴えかけてきた。
『何を突然』
『もう少しだけ、あの子たちを見ていたかったわね。』
『おい、何を言ってんだ。』
『あなたの隣にいられないことがこんなにも寂しく感じるなんて。』
『おい! 今すぐその話を止めろ!』
『私はこんなにもあなたを愛していたのね。』
『馬鹿野郎! 何を、何を!』
それは紛れもなく、遺言だった。
『あなたと共に生きてこられてよかったわ。』
『まだ生きるんだよ。』
『あなた。あの子達にも伝えてちょうだい。』
『ダメだ! 生きてくれ!』
目から熱い雫が滴った。
『最高に愛しているわ。』
そう言って、セラードは目を閉じた。
何もかもが出し抜けで、何もかもが手遅れだった。セラードはまだ小さく息をしている。それに希望を託すしかなかった。
『死ぬんじゃねえ!』
何も考えられなかった。ただ咄嗟に魔法を使ったことは覚えている。何の魔法か、明確なイメージもなく。ただ、セラードに命を繋いで欲しくて。俺の身がどうこうなどということは、すでに頭になかった。
『生きてくれ...』
俺の意識は途絶えた。
次に目を覚ましたときには、辺りは夜の闇が支配していた。目を開けても、何も見えない。セルバはもう眠っただろうか。
『セラード?』
なぜか上手く力が入らない、震える手を伸ばす。その先には、たしかに人間の感触があった。慣れ親しんだ、柔らかな感覚。だが、そこに温かさはなかった。
『ちく、しょぉ。』
今はもう戻らない命に、悲しみの涙を捧げる。
覚悟はしていたはずだった。はずだったのだ。だが、それが起こるはあまりにも突然であった。
『くっ、そおおおお!』
『何事だ親父!』
俺の覚悟は足りていなかった。なんとか体を引きずってセラードの亡骸を抱きしめ、雄叫びを上げるも、無力。それが最後だと言わんばかりに、パタリと体に力が入らなくなった。
『おい! 親父! 親父!』
『セルバぁ。セラードが...』
『母さんがどうしたんだ?』
『死んじまった。』
『なっ...!』
それっきり、俺の首はセルバの方を向くことはなく、ただただセラードの服を濡らすだけになった。
『それでこのザマだ。』
「...そうなんだ。」
こんなことを言いたくないって思うのは、当然のことだと思う。言いたくないというか、思い出したくないんだろうな。
『俺にはわかる。リャノはポリエのために死ぬほどの覚悟をしたんだ。だが、それは絶対に上手くいかない。俺と同じ轍を踏ませないために、リャノを頼む。』
「うん、わかった。」
きっとリャノさんも、今お見舞いに行っている人のことが好きなんだろう。親子って、そんなことまでお見通しなんだ。
もしかしたら、お母さんも、私の想いに気づいてたのかな。
「ねえ、その話、どうしてセルバさんたちには秘密なの?」
『...つまらない見栄だ。こんなことを暴露したら、きっとセルバもリャノも、あきれ果てるだろう。あいつらの方が、よっぽど覚悟していたってのによ。』
つまらなくなんてない。好きな人をどうしても助けたいって思うのは当然のことだもん。リャノさんもセルバさんも、きっとそれを笑うことなんてしない。
『おい、親父。』
ふと、後ろから声をかけられた。振り返らずとも、カンポさんの表情を見ればわかる。セルバさんだ。
『セルバ。』
『最初から聞いていた。俺を騙していたんだな。』
『...すまない。』
カンポさんは、観念したように目をつぶっていた。振り返ってみると、セルバさんは小さな女の子を背に抱えている。
『俺がどんな思いで看病してきたか、親父にわかるか?』
『...』
『母さんが死んだショックで立ち上がることも出来なくなった親父を本気で心配する奴の気持ちがわかるか?』
カンポさんは答えない。声こそ荒らげないものの、セルバさんの気迫は凄まじかった。
『それでも年のせいなら、どうにか治せるんじゃないかと信じ込んでいた奴の気持ちが。その希望をたった今打ち砕かれた奴の気持ちが!』
『すまなかった。』
天井を仰ぎ見て、カンポさんは謝辞を述べる。セルバさんは、背中で眠る少女を気にし、声をひそめた。
『もういいさ。どうせもう、親父は助からないんだろ? なら、看病なんて必要無いよな。...今まで頑張ってきて損をした。』
セルバさんはそう言い残して出ていった。また二人、取り残される。
「あれで良かったの?」
『仕方ないことだ。俺が悪いんだからな。』
「本当にそう思ってる?」
『ああ。とはいえ、ここまでしたんだ。ちゃんとリャノのことは。』
「それはわかってるけど。」
まずはそれが第一なのは、わかってる。でも、こんなふうに家族がバラバラになっていくのは、心が苦しい。
「どうにか元の関係に戻せないかな。」
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