201話 御伽
『そして、強い雨の日でした。』
リャノさんは尚も語る。出会いの話を聞いていたはずだったのだが、リャノさんの胸中暴露大会のようになってしまった。ご本人が聞いていることも忘れ、思い出に陶酔している。
が、それも束の間。間接的に告白をした後、リャノさんの表情は一気に沈んだ。
『それから、ポリエ姉さんは自由に外へも...』
『そうだったかしらね。』
リャノさんの内に秘めたる思いは、ほんの少しだけの笑いでやり過ごし、何事も無かったかのようにレスポンスを返す。
『あの時は、どうせすぐに良くなるものだと思っていたけれど。今の今までまともに家から出られていないのよね。』
顔を顰めるリャノさんに対し、微笑みを崩さないポリエさん。その片方の手はウバーレさんの頭を撫で続けている。と、その頭がかくりとポリエさんの膝に落ちた。
『あらあら、眠ってしまったみたいね。』
『...もう、いいですか?』
『そうね...』
今度はポリエさんも微笑みを消した。僕は見事なまでに無表情で、空気である。すでに二人の世界からは存在を消していることだろう。
『本当はどうなんですか、ポリエ姉さん。』
『もう...長くはないわ。』
『...そうですか。』
『嫌なことにね。自分の身体のことは、自分が一番よく分かってしまうのよ。』
ウバーレさんが寝静まった部屋の中を、重い沈黙が満たす。どこかの家から聞こえてくる賑やかな喋り声が、窓から入ってきた。
『リャノ。帰るぞ。』
『セルバ兄さん...聞いていたんですね。』
いつから聞いていたのか、玄関には、ぐっすりと眠ったドリーネちゃんを抱き抱えるセルバさんの姿があった。セルバさんは、そのまま彼女を、膝を挟んでウバーレさんの向かいにそっと下ろした。
『...ありがとう、セルバ君。』
『いや...すまない。』
それだけ呟いて、セルバさんは、リャノさんの手を引いて帰っていった。僕は取り残されたまま。一礼だけして、僕も家を出ようとしたのだが、ポリエさんに呼び止められた。
『カイドウ君。』
「はい?」
『悪かったわね。こんな話を聞かせて。』
「いえ、気にしないでください。」
正直、出会った人がこんなにも早く、生命の危機に瀕しているという状況は、僕にとって大きなダメージだった。だがそれも、リャノさんの気持ちからすれば、雀の涙のようなもので。
『でもあと一つだけ、我儘を聞いてもらっても良いかしら。』
「はい。僕にできることなら。」
昨日出会ったこの縁に、少しでも僕という形を残せたらと思う。たとえすぐに死別するのだとしても。少しでも繋がりを持てていたら。
『リャノ君のことをお願いするわ。』
「...どうして?」
『あの子は、私を無理にでも助けようとするでしょうから。』
窓から入る月明かりと笑い声。それを背に受け、白い髪を鈍く光らせる。その姿も声も、まるで今にも消え去ってしまいそうで。
彼女を助けたいと思う、リャノさんの気持ちも分かってしまうのだった。
『私はね、この運命を受け入れているの。これ以上を望むのは贅沢だわ。』
「そんなことは。」
『あまり、家族にも友達にも、迷惑はかけたくないのよ。』
両の手で、左右の妹たちの頭を撫でる。思えばそうだ。ここの家計を支えているのは誰か。疑いようもなく、ウバーレさんだ。それだけではない。きっとリャノさんや、セルバさんだって。
その負担を、少しでも減らすことができるなら、命が果てても構わないと。彼女はそう言っている。
「生きたくはないんですか。」
『え?』
「生きて、リャノさんの気持ちに応えたいとは思わないんですか。」
『...』
酷な質問だった。でも、聞かざるを得なかった。このままポリエさんに天国まで逃げられては、あまりにも、リャノさんが不憫だったから。
これを聞いてどうなるというわけでもない。確実な治療方法を知っているわけでもないし、そもそも病名だってわからない。こんな質問は、ハッキリ言ってポリエさんを苦しめるだけだった。
『正直に言うわ。出来ることなら、リャノ君と一緒に過ごしていたい。あんなにも私のことを心配してくれるのは、この子達を除いてあの人だけだもの。』
だが、それが叶わない。そんな非情な現実に、僕は歯噛みした。もし僕に、医学の知識があったなら、と。
『だからこそ、彼に人生を無駄にして欲しくないの。』
「...どういうことですか?」
治療方法を探すための時間という言い方にしては、少々表情が深刻すぎる。まるで、ポリエさんが助かれば、代わりにリャノさんが苦しむことになるような。
『少し、昔話をしましょうか。』
むかしむかしあるところに、それはそれは仲の良い親子がおりました。父親はすでに他界しておりましたが、それでも二人は幸せに暮らしていました。
ある日のこと。母親は、急に体調を崩して倒れてしまいました。驚いた子どもは焦ってそこらじゅうの医者を当たりましたが、誰も彼も、返事は芳しくありません。
『どうしよう。このままではお母さんが。』
そう思った子どもは、考えました。命に変えても、母親を助ける方法を。そして、一つの妙案を思いつきました。
『そうだ、魔法を使えば良いんだ。』
魔法を使って、どうにか母親を元気にしようと考えたのです。
思いついた子どもは、早速行動に移しました。しかし、何日かけて魔法を使っても、一向に母親は良くなりません。
さらに悪いことに、母親は意識を失ってしまいました。幸い息はありましたが、それも絶え絶えです。
『死なないで、お母さん。』
子どもは必死で魔法をかけ続けました。しかし、母親は目を覚ましてくれません。
体から力が抜けていくのにも関わらず、子どもは魔法を使い続けました。そして、丸一日が経ちました。
ようやく、母親は目を覚ましました。母親は大きな伸びをすると、枕元にいる子どもに手をやります。そして母親は気が付きました。自分の子どもが息絶えていることに。
『ああ、どうしてこんなことをしてしまったの。』
母親は嘆きました。悲しみに暮れて、自分の命を絶とうとしますが、息子がくれた命を無駄にするわけにはいきません。
何年もの時が過ぎ、次第に悲しみは薄れていきました。そんなある日、母親は、ある男性と結婚しました。そして子どもができると、その子どもに、自分の身代わりとなって死んだ子の名前を付けました。
その数年後のことです。子どもは立って歩くようになり、言葉を話せるようになりました。そして、毎日のようにこう言うのです。
『お母さん、元気になってよかったよ。』
そう。その子どもは、亡くなった子どもの生まれ変わりなのでした。
「まさか。」
『ええ。そういうことだと思うわ。』
この土地で、古くから語り継がれてきた話なのだという。誰でも知っていて、その無謀さも知っている話。確証のないおとぎ話だ。
「そんなものが成功するはずがありません。」
『そうよ。だから止めたいの。無闇にリャノ君を危険に晒してしまうのなら。』
どこかで、まだ助かるものだと思っていた。リャノさんが少し無理をすれば、ポリエさんは助かるのだと。しかし、今の話を聞いてわかった。これは無謀だ。
僕は父親に生を貰った。だがそれは、体の器官が十全であったからだ。病に侵された命を救うことなどできない。
『わかってくれたわね?』
「...はい。」
こんな希望の無い話を聞いて、諦めないでください、などということは言えない。はなから言う資格など無かったはずだというのに。
「さようなら。」
『ええ。リャノ君のこと、頼むわね。』
ポリエさんの家を後にし、セルバさんの家まで帰る。四包の夕食が待っているはずだ。
そう思って歩いていると、その目的地の家の前に人影。
「おかえり、お兄ちゃん。」
ポリエさんを思い出す白い髪を夜風に靡かせた四包が立っていた。その表情と仕草は、何か話したいことがあるのだと雄弁に語っている。
「中に入らないのか?」
「うん。お兄ちゃんだけに聞いて欲しくて。だからここで。」
セルバさんに聞かせられないことというと、内容は一つ。カンポさんの病状についてだ。きっと、何か新しいことを聞かされたのだろう。
「カンポさん、晩御飯何が良い?」
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