200話 往訪
「ただいま戻りました。」
与えられた仕事を終え、すっかり日が傾いたところで、カンポさんとセルバさんの家まで戻ってきた。外来人というのは珍しいようで、幾度も周りから声をかけられたりしたが。
『ご苦労さん。』
相変わらず横たわったままで迎えてくれたカンポさん。隣ではセルバさんが佇んでいる。その片方の手には少しの食べ物。
『ご苦労さま。』
「お疲れ様です、セルバさん。」
「そのパン、どうするの?」
『近所の人の具合が悪いらしくてな。そのお見舞いってとこだ。』
「もしかして、ポリエさんですか?」
『なんだ、知っているのか。』
昨日会ったばかりの人だ。儚い雰囲気を纏った白髪の女性。リャノさんが特別心配していたのをよく覚えている。
「お兄ちゃん、誰?」
「昨日会った人だ。体が弱いらしい。」
「そうなんだ。心配だね。」
見知らぬ人でさえ、彼女にかかれば心配の的である。僕も、あのときのリャノさんの動揺のしかたを見れば、心配せざるを得ないのだが。
『お見舞い、一緒に来るか? カイドウは会ったことがあるんだろう?』
「いいんですか?」
『向こうには小さい子どももいるからな。その子の相手をしてもらえると助かる。あんまり重い話は聞かせたくないだろう?』
「そうですね。」
ちなみにセルバさん、若干だが薬学を嗜んでいるらしい。お見舞いに持っていく食品は、彼女の栄養を気遣ったもののようだ。
薬学と言っても、ここらでは専ら栄養学のようなものだが。健康に良い食品についての知識が豊富なのだという。帰り道で出会った人に教えてもらった。
「四包は残るか?」
「うん。まったく知らない人が行くものでもないでしょ。」
これはあくまで噂と予想の範疇だが、父親の病気を年齢のせいだと思っているセルバさんは、少しでもカンポさんが良くなるよう、薬学について研究しているのだろう。
『親父、少し行ってくるから、くれぐれも粗相はしてくれるなよ。』
『わかっている。さっさと行ってさっさと帰ってこい。俺は腹が減った。』
『帰るまで待ってくれ。』
「あ、それなら私が作っておくよ。献立とか決まってる?」
『頼めるか。献立は好きな物で構わないからな。』
「はーい。」
四包とカンポさんに手を振り、数軒先の家に入る。例のごとく、外見はまったく見分けがつかない。素材から間取りから、おそらく全て同じだ。
『リャノ。』
『セルバ兄さん。カイドウ君も。』
「こんにちは。」
『いらっしゃい。カイドウ君。セルバ君は久しぶりね。』
カンポさんと同じような、寝たきりの姿勢でポリエさんが迎えてくれた。その側には、リャノさんと二人の少女。名前はたしか、ドリーネちゃんとウバーレさん。
『カイドウさん、お話は伺いました。妹さんと、ここまで逃げてきたそうですね。』
「は、はあ。」
ウバーレさんに僕の話をしたのはリャノさんだろうか。未だ変な勘違いをこじらせているようだ。そのリャノさんは、心配そうな顔をずっとポリエさんを見つめている。
『ごほっ、ごほっ。もう、心配しすぎなのよ。』
『心配しますよ。急に倒れたって言われたら。』
『ごめんなさい。』
しおらしい態度で、四包よりも小さい体躯をさらに縮めるウバーレさん。行きがけにセルバさんから聞いたが、彼女は僕達と同い年なのだそうだ。
『ウバーレは悪くない。リャノが心配しすぎなんだ。そうそう悪くならないと言っただろう。』
『兄さんの話は根拠が無いんです。安心できません。』
『なんだとぉ?』
『こらこら、ドリーネが見ているでしょう。言い争いはやめにして頂戴。』
部外者である僕の出番だろうか。ドリーネちゃんを連れ出そう。自分より年下とはいえ、どこかへ誘うというのはほぼ初体験である。
「ドリーネちゃん、紹介したい人がいるんですが、一緒に来ませんか?」
『兄ちゃんだぁれ?』
「ぐはっ。」
それはそうだ。自己紹介もしていない。そうであっても、話の流れで僕が誰か分かって欲しかった。ポリエさんから話を聞いているはずなのだから。
もしかして、入ってから今の今まで認知されていなかったりするのだろうか。かなり凹むのだが。
『ドリーネ、この人が、姉さんの話していたカイドウさんよ。』
『そうなの?』
「そうですよ。」
『仕方ないな。可哀想なカイドウに代わって、俺がシホに会わせてくるよ。ドリーネ、きっと仲良くなれるぞ。』
『ほんと? やったー!』
可哀想な、のところでトドメを刺された僕は床に膝から崩れ落ちた。その横をぺたぺたと無邪気な足音が通り過ぎて行く。
痛い。心が。
『すみません、うちの妹が。』
「い、いえ...大丈夫です。」
久々に自分の存在の薄さを突きつけられて、血を吐きそうになったところをウバーレさんに憐れまれた。
『それでポリエ姉さん。本当に大丈夫なんですか?』
『どうかしらね。でもきっと大丈夫よ。いつもと同じなんだもの。寝ればすぐに良くなるわ。ウバーレも、心配かけたわね。』
『ううん。気にしないでいいから、早く元気になって...』
姉と同じ白い髪をゆっくりと揺らしながら、手をとる。そのまま胸の前へ。ポリエさんはそれを優しい目付きで見守っていた。
その二人の姿を、遠目から険しい目で見つめるリャノさん。何やら雰囲気が怪しい。
せっかく立ち直ったことだ。この鬱屈した雰囲気を変えるべく、話題を変えよう。今度こそ、コミュニケーションを取ってみせる。
「そういえばリャノさんは、いつからポリエさんとお知り合いなんですか?」
部外者らしい、空気を読まない質問だ。だが大抵の人は、体験談などを語らせると自動的に喋ってくれるらしい。これを読んだのは自費出版本なので、あまり当てにならないかもしれないが。
『私とリャノ君? そうね、それこそ、生まれたときから?』
『そうですね。僕が生まれたときには、ポリエさんはもう一人で歩いていたはずです。』
俗に言う幼馴染のようなものなのだと、ウバーレさんの頭を撫でながら返すポリエさん。子ども扱いをされて、ウバーレさんが憤っている。
ポリエさんはその抵抗を微笑ましく見守っているだけで、その手を離そうとはしないが。かく言うウバーレさんだって、無理やり退けようとはしていない。
『近所ということもあって、親同士の付き合いがあったんです。』
『私たちの父が、昔からよく遊んでいたらしくてね。一番の親友だったらしいわ。』
『それからずっと、家族ぐるみの付き合いなのです。』
彼女たち姉妹の親は、高齢出産でドリーネちゃんを産んだため、出産後すぐに亡くなってしまったという。
ウバーレさんの前でその話はしたくないのだろう。ポリエさんは、両親のことをそれ以上深くは教えてくれなかった。
『ちなみにセルバ君は、私と同い年よ。』
『昔は三人でよく遊んでいましたね。』
畑と畑の間を、少年二人と少女が駆けていく。少年二人のスピードは、少女に合わせて、少しゆっくりだ。
『セルバ兄さん、今日はどこへ行くんですか?』
『なあリャノ、そのよそよそしい喋り方、止めないか?』
『あら、いいじゃない。礼儀正しくて良い子に見えるわ。』
『家族に対しても敬語ってのはなあ。リャノがそう望んでいるなら何も言わないけどよ。』
僕が誰に対しても敬語を使うようになったのは、ポリエ姉さんの影響だった。周囲の大人に溶け込むような、年上の風格を持つ姉さんに憧れていたのだ。
『よし、今日の拠点は、そこの木にしよう。丁度実が成っているしな。』
『分かりました。』
強い日差しを遮るため、木陰に腰を下ろす。僕はただ、二人と並んで風を感じているだけで満足できたのだが、セルバ兄さんはそうではなかったようで。
『よしリャノ、木に登るぞ。』
『気をつけてね、二人とも。』
『任せてください。』
正直に言って、僕はあまり運動が得意ではなかった。だが、この木登りは僕にとっての小さな見栄だ。ポリエ姉さんに格好つけたいという、単純な。
『リャノ、ゆっくりでいいぞ。大丈夫か?』
『大丈夫です。』
枝を掴む手がプルプルと震えていた。しかし、ここで退いては男が廃るというもの。どうにかセルバ兄さんの速さに食らいついていく。
『うあっ!』
『リャノっ! ...はあ、言わんこっちゃない。』
地面に思い切り腰を打ち付けた。痺れが全身に回り、パタリと倒れてしまう。少し首を捻ると、ポリエ姉さんが、少し笑いながら近づいてきていた。
『残念だったわね。』
『うぅ。』
『でも、ほんの少しだけ格好良かったわ。』
ビリビリと痺れる僕の体の、その頭部を持ち上げ、下に柔らかいもの、太ももを敷いてくれたポリエ姉さん。微笑んで僕の顔を見下ろしていた。
『次はもっと頑張りましょうね。』
『はい。』
木漏れ日が暖かかった。思えば僕は、この頃からポリエ姉さんに心を惹かれていたのだろう。
『そして、強い雨の日でした。』
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