198話 狼男
「ねえカンポさん。」
横たわったまま動かないカンポさんに、私から話しかけた。私は横に座っているんだけど、この体勢は嫌だな。どうしても、お母さんのことを思い出しちゃう。
『シホと言ったか。よろしくな。』
「うん、宜しくね。いきなりで悪いんだけど、少しだけ、私たちの話をしてもいい?」
『構わん構わん。こんな生活をしていると、話の種も尽きてくるんだ。』
「ありがとう。」
一つニコリと微笑んでから、信じてもらえるように、できるだけ実感を込めて話した。
お兄ちゃんは昨日、リャノさんに話したと言っていたけど、信じてもらえなかったらしい。そりゃあ、あんな無表情なら嘘かと思うよね。
「ていうわけなんだよ。」
『なるほどねえ。で、今の話、どこからどこまでが本当なんだ?』
残念、私が話しても、伝わらないものは伝わらなかった。全部が全部作り話だとは思っていないみたいだけど、それでも半信半疑ってところ。
「全部ほんとのことだよ。信じられないとは思うんだけどね。」
『まあそれが本当だとして、どうして居候なんてことになってんだ?』
「最初は、ささっと交渉だけして帰るつもりだったんだけど、予想以上に信用が無くてね。まあ、私のせいでもあるんだけど。」
あのあとお兄ちゃんから少し叱られたけど、たしかに私もやりすぎたと思う。いきなり言う内容じゃなかったよね。
『こんなだから何もしてやれんが、まあ頑張ってくれ。』
「ありがと。少しでも信じてくれただけで嬉しいよ。」
『シホはあれだな。愛想が良い。兄とは大違いだ。』
「そんなことないよ? お兄ちゃんだって、ちょっと読み取りにくいけど、愛想良くしようと頑張ってるんだ。」
『あれでか?』
「うん。あれで。」
誰かに挨拶をするときは、口の端がちょこっとだけ上がっている。残念ながら表情筋がまったく伴わないんだけど。
「そうだ、今度はカンポさんが何か話してよ。」
『最近のことはまったく知らねえがいいか?』
「うん。カンポさんの人生が知りたい。」
『そうかそうか。そこまで言うなら仕方ねえな。』
口ぶりはいまいちだけど、表情はお兄ちゃんよりもずっと豊かに、機嫌の良さを表している。単純と言えば言い方が良くないけど、裏表が無さそう。
『そうだな、自称異国人の国王様には、この国の説明から必要だな。よしよし。』
ともすれば、そのまま体を起こしても問題ないんじゃないかと思えるほどに饒舌に話すカンポさん。寝たきりの人って、こんなに話せるものなのかな。
『まずこの国の名前は、ティリ。ティリ王国だ。覚えときな。』
「うん、わかった。」
『この領地の名前はケッペン領。領主様の名前から取っている。』
「やっぱり領主様が偉いんだね。」
当然と言えば当然だけど。そんな偉い人と対等に話すのが任務なんだから、時間がかかるのは当たり前だよね。
なのにお兄ちゃんってば、移動手段ばっかりにかまけて全然準備してなかったんだもん。安全を尽くしてくれるのは嬉しいけど、あとのことも考えて欲しいよ。
『この土地の領主様は代々人格者でな。納税の量は作物の出来に合わせて。そんで全ての民から平等に搾取する。』
「へえ。」
『他の領地には、生活なんて気にせず無理難題をふっかけてきやがる奴らもいるって話だ。』
「恵まれてるね。」
そんなまともな人なら、交渉は案外スムーズに進むかもしれない。この辺りの人たちが優しいのは、その領主さんの影響かもしれないし。
他にも人口とか、他の領地との関係とか、いろんなことを聞いた。あとでお兄ちゃんに報告しないと。
『こんなものだな。』
「わかったよ。ありがとう。じゃあそろそろ、カンポさんの話を聞かせてもらってもいい?」
『おう!』
寝たきりの人が、こんなに嬉しそうに笑うのを初めて見た。いつも明るいお母さんだって、こんな表情をしたことはなかったのに。
この人、本当はとっても元気なんじゃないのかな。さっきから喋りっぱなしだし。
『俺の生まれはこのケッペン領だ。』
「ふむふむ。」
俺が生まれた頃、このケッペン領はもっと広かった。今でこそ、小規模な畑が並んでいるだけの田舎に成り下がったが、あのころは、もっと莫大な領地があった。
『敵襲! 敵襲!』
近所の子どもが騒いだ。いつものことだ。戦争ごっこをする子どもが、領内を駆け回って叫ぶ。かく言う俺も、その一味だった。
『こらカンポ! 嘘をつくんじゃありません!』
『げっ、母さん! 野郎ども、逃げろ!』
『わー!』
『待ちなさい!』
その遊びはいつも、その声に駆けつけてきたうちの母親に追い立てられて終わる。途中で終わってつまらないと思うと同時に、追いかけられるのが楽しくもあった。
『ふんふんふーん。』
今日も今日とて、戦争ごっこ。まずは見張り役が、塔の上に上る。母さんは危ないと言うが、俺たちにとって、こんなものに危険なんてない。まともに上りさえすれば落ちることなんてないのだ。
本職の見張りなどいない塔に上り、形だけ辺りを見回して、仲間たちにありもしない敵襲を伝えるのだ。いつもならそうだった。
『なんだあれ?』
その日、俺の目は遠くに不自然なものを見つけた。草木が生い茂るこの地にはそぐわない、金属光沢を纏った粒たち。この領地には、ときどき他の領地とを結ぶ馬車が来るが、あんな大量に来るはずがない。
『もしかして、本当に?』
俺は急いで塔を下りた。即座に仲間に事情を説明した。尋常ならざる様子に驚いた近所の子どもは、こぞって塔に上った。そして、どいつもこいつも、本物の敵襲だと騒ぎ立てた。
『お前ら! 分担して知らせるぞ!』
『おー!』
領内に散り散りになって、徹底周知を図った。が、日頃こうして遊んでいる俺たちを信じる人はいなかった。自業自得ってやつだ。
『こらー! カンポ! またやってるの!』
『母さん! これは遊びじゃないんだ! ちょっと見に来てくれよ!』
『なんだって?』
なんと驚くべきことに、一番俺たちの遊びに腹を立てていただろう母さんだけが唯一聞く耳を持ってくれた。当時の俺はそんなことを気にせず、見張りの塔まで引っ張っていったわけだが。
『なあ母さん! 本当だろ!』
『本当だね。これは領主様に知らせないと。』
母さんはそう言って駆けていった。たちまち情報は領地中に広がり、すぐさま戦争の準備が始まった。
結局、その戦争では、負けてしまった。こんな田舎の国力では太刀打ち出来ない相手だったのだ。おかげで国民全員の貸与地が削減となった。
『でかしたね、カンポ。』
『にっしし。』
だが、第一発見者である俺の家族だけは免れたってわけだ。あの遊びには毎度注意されていたが、そのおかげで母さんから褒められた。
『遊びも案外悪いもんじゃないってことだ。』
「へぇ、そんなことがあったんだね。」
『ああ。俺のおかげで、客人をもてなせる程の貸与地が残ってるってわけよ。』
「そのときのカンポさんに感謝だね。」
『はっはっは。』
まるでオオカミ少年みたいな話だったけど、あれの結末を少しハッピーエンドにしたみたいだった。それにしても、どうしてああいう童話はバッドエンドばかりなのかな。
『だからよ、安心して泊まってくれ。こんな体勢で言うと説得力が無いんだがな。』
「ありがとう。」
一番にリャノさんが声をかけてくれたのには、こういう理由があったんだ。ただ優しいだけじゃなかった。他の人たちもそれが当然みたいにしてたし。
『そうだ、俺のこの病について話をしようか。』
「うん。大丈夫なの?」
『ああ。見ての通り、動けはしないが体調は悪くない。』
たしかに、さっきから少しも止まることなく喋り続けてるし。体内に異常があるようにはまったく見えない。
『これはな、魔女の呪いなんだ。』
「へ? なにそれ?」
『これは病の通称でな。症状としては、こんなふうに、自分の意思ではまともに動かせなくなるほど全身が重く感じるようになる。』
「実際に重くなってるわけじゃないんだ。」
『まあな。セルバは軽く持ち上げやがる。』
よく分からない症状だ。お兄ちゃんなら、何かしら知っているかもしれないけど、全身が怠くなるだけだなんてことあるのかな。
『それで原因だが。』
「え、わかってるの?」
『ああ。歴史上にそんな話が転がってる。その原因は、魔法の使いすぎだ。』
「魔法の使いすぎ?」
魔法を使いすぎると、誰でもある一定地点で体が怠くなってくるらしい。なぜか私はまだ感じたことがないけど。でもそれは休めば良くなるはず。
『野暮用でな。体がだるいと感じ始めてからも、ずっと魔法を使い続けた結果がこれだ。まったく、恐ろしいもんだぜ。』
「魔法が理由だから、魔女の呪い?」
『そういうこった。安直だわな。』
安直だけど、怖い。私たちの国では、まだ発生事例が無いけど、誰でもなる可能性がある病気なんだから。帰ったら周知徹底しないと。
『ところでよお、シホ。』
「え、どうしたの?」
『御手洗に行きてえんだが、どうすりゃいいんだろうな。』
「あ...」
セルバさんもお兄ちゃんも、私一人を残してお仕事に行っちゃったじゃん。まさかカンポさんのお世話を任されたとはいえ、それをやるのは結構な抵抗が...
「助けてお兄ちゃぁん...」
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