195話 平屋
『お待たせしました。』
片手に新しいズボンを持って、隣の部屋から戻ってきたリャノさん。次は僕が着替える番だ。
ちなみにこの家は、木造平屋の二室仕立てである。ここで用語として何LDKなどと使えれば良いのだが、生憎とその手の本は読んだことがない。
「お借りします。」
『はい。どうぞ。脱いだものは持ってきてください。明日にでも洗いましょう。』
扉で区分けされた部屋に入る。そこはリャノさんの部屋らしく、僕達の国と大差ない、固そうなベッドがあった。特にリャノさんのものだと断定できるようなものは無いが、先程の部屋がおそらくダイニングとキッチンを兼ねていたのだろう。
「お待たせしました。」
『ではいただきましょう。女性にご飯を作ってもらうのは、母親以来ですね。』
テーブルに座るよう促される。一人暮らしであるはずのリャノさん宅には、何故か形の違う椅子が四脚あった。リャノさんと向かい合い、四包と隣合う席に腰を下ろす。
『引っ越すときに、ご近所さんたちから頂いてましてね。何故か皆、椅子ばかり譲ってくれたんです。面白いから良いんですけど。』
リャノさんは、僕が彼の隣にある空席に視線を向けていたことに気づいたらしい。気になっていたことの答えを教えてくれた。通りでそれぞれ形やデザインが違うわけだ。
「「いただきます。」」
『何をしているんです?』
「何を...?」
あまりに身についていた習慣で、うっかりその由来を忘れてしまいそうになる合掌のポーズ。しかしリャノさん及び、おそらくこちらの文化圏では、それは謎の儀式である。
たしか、ソルプさんも少しだけ首を傾げていたのだったか。ただ、彼女の文化の場合は、この合掌に相当するものがあったようで、説明せずとも理解は容易かったようだが。
「食事に感謝を捧げているんだよ。」
「自分の糧となる生物や、これを作ってくれた人に向けてです。」
『なるほど。良い習慣ですね。』
リャノさんは僕達に倣い、手を合わせてくれた。優しい上に、親しみやすい人である。敬語は敬語でもフランクな敬語であるし。
日本語訳ではそう感じるだけで、実際にはよそよそしい言い方だったりするのかもしれないが。
「いただきます。」
手を合わせて、会釈でもするかのように、少しだけ頭を下げたリャノさん。しかし僕の注意は、その発音に向いていた。
今、彼はたしかに日本語を口にした。口の動きが僕達のそれとまったく同じだったのだ。
つまり、僕達の翻訳は、相手の言語で存在しない言葉について、無理やり訳すのではなく、そのまま伝える仕組みらしい。
「どうかな?」
新たな発見に少し思考を巡らせていると、隣から声がかけられた。その発生源である四包の視線は、持ち上げたまま止まっている僕のスプーンへ向いているらしい。
四包が作ってくれた料理は、いつぞやに僕が教会で作ったシチュー。スプーンに乗ったそれは、少し水分が多い。止まっていたスプーンを、口へ運んだ。
「...やるじゃないか。」
「やったねっ。」
テーブルの下で、小さくガッツポーズを作る四包。見るからに上機嫌になって、自分の皿に手をつけ始めた。
『シェフ、これは牛乳ですか?』
「うん、そうだよ。」
『スープに牛乳とは奇抜だと思いましたが、まさかこんなに美味しいとは。』
リャノさんも喜んでくれている。さらに、パンに付けて食べる方法も教えて差し上げると、より嬉々として口に含んでいた。
ただこのシチュー、少しだけ味が薄い。もしかすると、塩コショウでも入れ忘れたのだろうか。
「なあ四包。」
「ん? なあに?」
注意してやろうかと思ったが、あまりにも嬉しそうにシチューを口に運ぶ四包を見ると、その気が失せた。わざわざ今、水を差す必要もあるまい。
「美味しいよ。」
「えへへっ。」
代わりに贈った言葉は、この質素なテーブルにひとつ、美しい花を添えるに至った。
「あっ。」
『どうかしましたか?』
シチューに入っている肉を見て思い出した。この旅の目的だ。こんなのほほんとした夕飯を迎えるために、あるいは、四包の成長を見るためだけに、山を越えたわけではない。
「いえ、夕飯が済んでから話します。」
『そうですね。冷めてしまっては勿体ないですし。』
落ち着いてから、改めて事情を話そうと思っていたのを、すっかり忘れていた。先入観のおかげで優しく接してくれたであろうリャノさんには悪いが、本当のことをきちんと理解してもらおう。
『それで、話というのは?』
四包の手料理を心ゆくまで食べ、就寝の準備をしようという時間。その落ち着いた時間に、僕とリャノさんは、彼の部屋で対峙していた。ちなみに四包は、洗い物である。
「その前に。これから僕が言うことを、できるだけ信じて貰えますか?」
『内容によります。』
内容が内容であるため、このような確認を取ったのであるが。もしかすると、信じてもらえず、また心配されてしまうかもしれない。
『ですが、こんな雰囲気で冗談を言うとは思っていませんよ。』
「では、一から話します。」
ここでようやく、僕達の目的について、ゆっくりじっくり、それはもうリアリティを込めて話した。異世界云々の話は抜きにして。
ふと思ったが、我ながらファンタジーな人生である。最初は写真にも映らない影の薄さで、それから異世界へ転移。そして僅か1ヶ月かそこらで国王にまでなってしまったのだから。
「と、いうわけで。僕達は山向こうの国の国王で、こちらと貿易をするためにやって来たんです。」
『...』
リャノさんの表情は険しい。いや、険しいというよりは、今日でたっぷり味わったあの、憐れみの視線である。半信半疑というよりは、思いっきり疑に片寄っている状態だ。
「信じてはもらえませんか。」
『いやぁ、さすがに、限度があると言いますか。』
それはそうだろう。こんな状況、誰だって疑いもする。旅立つ前の僕達はどうして気が付かなかったのだろう。
『山向こうから竜に乗ってきたというのは些か...』
僕達とて、前の世界にいたならば、そう思っただろう。いくら信じてくれと言われても、限度があるのである。
「信じてはいただけなくとも、話だけは覚えていて欲しいです。」
『...分かりました。そこまで言うのであれば。』
説得にはまだまだ時間がかかりそうだ。せめて本物の竜を見せるか、国王らしい姿でも見せられれば良いのだが。
竜を寄越してもらうのは、些か目立ちすぎる。あんなものを呼んだところで、人々の恐怖を煽るだけだ。僕達が求めているのは対等な交渉であって、脅しが入る余地があってはならない。
「話は以上です。ご清聴ありがとうございました。」
『はい。では、そろそろ眠りましょう。...とは言いましたが、寝床がありません。どうしましょうか。』
本当に今更な話であった。一応、簡易で敷物は持ってきているので、それを使えば良いだけだが。外出用セットは所持しているのである。
『それにしても一つ足りませんね。』
「心配しないでください。僕達兄妹は一緒に眠りますから。」
そう言うと、リャノさんは露骨に驚いた顔をした。もしかして、この国は兄妹で同じ布団に入ってはいけない文化だったりするのだろうか。
「どうかしましたか?」
『あ、いえ。想像で話していたことだったんですが、まさかそこまで仲が良いとは思っていませんでしたよ。』
領主からの虐待云々は、リャノさんの中でも妄想のひとつという認識でいたようだった。この歳になってまで、兄妹共に眠るというのはこの国でも珍しい、というか、ほとんどないことらしい。というよりは、だいたいの国がそうだろう。
「とりあえず、心配は要りません。隣の部屋で敷いて寝ますから。」
『そうですか、分かりました。では、おやすみなさい。』
「はい。おやすみなさい。」
掛け布団に手をかけたリャノさんを尻目に退室。その先では、既に四包が持ち歩き用の敷き布団を敷いて待っていた。
「お兄ちゃん、手紙送っておいたよ。」
「ああ。ありがとう。」
毎日、一日の終わりにプリムさん宛の手紙を送る手はずになっているのだ。僕達の安否確認と、それから向こうの現状を知るためのものである。
「そうだお兄ちゃん。お風呂どうする?」
「そうだな。どうしたものか。」
この国では、水浴びの文化はあれど、風呂の文化は無いらしいのだ。正確に言えば、富裕層の文化だろう。しかし、その心地良さを知った僕達には手放せないものだ。
「体を拭くくらいしか出来ないか。」
「えぇー。」
「仕方ないだろう。湯船が無いんだ。」
「うん...」
しぶしぶといった様子で、四包は頷いた。一応は納得してもらえたようなので、服を脱ぐ。布と、お湯を入れる容器は準備してある。
「ちょっ、ここで?!」
「ここ以外にどこがあるんだ。まさか外で脱ぐ訳にもいかないだろう。」
いくら兄妹とはいえ、僕も下着を下ろすことはしないが。家族という一番近しい人への、最低限のエチケットである。
「脱ぐなら脱ぐって先に言ってよ! はいお湯!」
「ありがとう。」
顔を真っ赤にして顔を背ける四包。水着と大差ない格好で、それも兄妹であるのに、何を恥ずかしがっているのか。
手渡されたお湯を使い、素早く体を拭いていく。お湯が冷めてしまっては興も醒めるというものだ。
「も、もうちょっと静かにできない?」
「すぐ終わるから我慢してくれ。」
布と肌が擦れる音くらいで何を大袈裟な。うるさいも何もないだろうに。
それでも言われてしまったものは仕方がないので、より素早く終わらせることにする。そのままの流れで着替えもスピーディーに。
「よし、交代だ。」
お読みいただきありがとうごさいます。
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