194話 領主
『少し隠れて。』
新しい土地で、新しく出会ったリャノさん。その彼に、僕達は何の事情説明も無しに突然クローゼットに押し込められた。必然的に、四包と密着することになるが、それよりも外の会話だ。
『今日の納税、分かっているだろうな。』
『はい。納屋に置いてありますから、どうぞ持っていってください。』
『よろしい。』
どうやら、長話をしていた間に、木の上からから見たとき狩りに出かけていた、あの領主さんが帰ってきたらしい。
なぜ僕達は隠されたのだろう。おそらくリャノさんにとって不都合があるからだろうが。とりあえず、しばらくは様子見だ。彼に迷惑をかける訳にもいかない。
『変わったことは無かったか?』
『はい。特には何も。強いて言うなら、今年は少し収穫が少ないですかね。』
やはり、僕達のことは隠し通すつもりらしい。にしても、上手い返しだ。敢えて別の話を振ることで、完全に僕達から気を逸らすことが出来ている。
長年、学校で一人を貫いてきた僕にはなし得ない高等テクニックだ。そもそも、誰かに隠し事をすることが少ない。それに、どうせ四包には隠し事などすぐバレるのだ。
『そうか。ではな。この家の分はここに置いていく。』
『いつもありがとうございます。』
最後に何か、リャノさんに渡して帰っていったらしい。クローゼットをコンコンと叩かれた。もう出ても良いという合図だろう。
「今のは領主さんですか?」
『そうですよ。ここの領主様は至って善良な方でしてね。税を納める代わりに、少しだけ狩りの分け前をもらえるんです。』
彼の妄想の中にいた、僕達を迫害した領主とは似ても似つかない。だというのに、なぜそんな妄想が出てきたのだろう。
『風の噂では、酷い領主様もいるみたいで。ここに生まれて良かったと思いますよ。』
連絡手段がろくに発達していないような土地でも、やはり人伝に噂は広がるらしい。世の中には、そんな領主の土地から逃げ出す人もいるようだ。
「では、どうして僕達は隠れたんですか?」
『決して悪い領主様ではないんですが、厳しいことには変わりないんです。二人増えただけで納める税が...ああ、考えただけで頭が痛い。』
それとこれとは話が別らしい。誰とて、払いたくないものは払いたくないのだ。それも生活がかかっているとしたら尚更。
「でもそれじゃあ、私たちが見つかったときに酷いんじゃない?」
『素直に言ったところで、税は課されます。そうしたらとても三人は賄えませんから。かといって、酷い扱いを受けてきた人を見捨てるというのも心が痛いですし。』
この人は、四包と同じく根っからの善人らしい。人助けのために危険を顧みないところなんかがそっくりだ。まあ、彼の心には少しだけ下心があるようだが。
『決して領主様には見つからないよう、お願いしますね。普段であれば、馬の足音で気がつくと思いますから。』
「うん、わかった。ありがとう。」
リャノさんの視線は、常に四包の方を向いている。僕がいないように、と言えばさすがに大げさだが、少なからず四包の美貌に魅力されているのだろう。
たしかに僕だって、傷を受けた人より四包を目に映したいと思う。もしかすると彼は、僕の傷を痛ましく思いすぎているのかもしれない。
「何か手伝わせていただけますか。出来ることであれば何でもします。」
『そうですね。では、畑仕事に少し。男手が増えるのはありがたいです。』
「私は何をしたらいい?」
『夕飯の支度をお願いします。納屋にあるものを好きに使ってくださいね。』
『好きに』と言ったが、本当に好きにされては困るだろう。だが、これも彼なりの思いやりなのだ。
彼の妄想の中で、僕達は酷く貧しい生活を営んでいたらしい。だからこそ、新しい場所では自由な生活を送って欲しいと思ってくれているのだ。
「えっと、料理はお兄ちゃんのほうが...」
「いや、四包の方が上手いだろう。僕がいても邪魔になるだけだ。リャノさん、行きましょう。」
『はい。こちらです。』
「ちょっと、お兄ちゃん。」
嘘である。さすがに、手伝いを任せていたとはいえ、四包は僕より料理が上手いわけではない。が、これは少しだけの自立支援である。たとえ僕がいなくても、料理のひとつくらいはこなしてもらいたい。
『妹さん、呼んでいましたけど、いいんですか?』
「問題ありません。少し箱入りなところはありますが、これくらいは出来るはずです。」
『そうですか。シホさんを大事にしているんですね。』
眩しいものでも見るかのような目で僕を見るリャノさん。実際彼にとって、命をかけて妹を守ったという設定の僕は輝かしいものなのかもしれない。
「それで、畑仕事というのは。」
『兄に牛を任せていたので、私はそれを回収してきます。カイドウさんは、牛では耕せなかった場所を耕してください。』
「分かりました。」
リャノさんから鍬を預かり、作業に取り掛かる。すぐ横がぐずついた土地だとかで、牛を通らせるには少し不安定すぎるらしい。
「ふっ。」
木刀よりも少し重い鍬を振り上げる。先端だけが重い鉄で出来ているため、バランス感覚も必要だ。以前の僕なら、数回上げ下げしただけで息が切れていただろう。
鍬の形状だが、いわゆる江戸時代の備中ぐわというやつだ。だからといって、比較的先進的かと言えば、そうでもない。先が分かれた鍬というのは、随分と昔からあったらしいのだ。
「ふう。こんなものか。」
『ご苦労さま。それと、こんにちは。君、お名前は?』
「はい? 海胴と申しますが。」
呼びかけられたようで振り返ると、この地ではお馴染みらしい質素な衣服を纏った女性が立っていた。
年齢は、だいたい梓さんや橘さんくらいだろう。ちなみに、体つきは梓さんに似て豊かである。橘さんはどちらかというとスレンダーな体型だ。髪の色は四包と同じく白。
『そう、カイドウ君。よろしくね。』
「よろしくお願いします?」
なんというか、掴みどころの無い人だ。急に話しかけてきたかと思えば、言葉遣いは親しげというわけでもない。それどころか、少し儚げな印象すら抱く。
『カイドウさん、お疲れ様...ポリエ姉さん。どうしてここに。』
『リャノ君。久しぶりね。』
姉さんというと、この二人は姉弟なのだろうか。だが久しぶりというのは。いやしかし、リャノさんは兄であるセルバさんや他の家族とは別で暮らしている。ということは、久しぶりということも有り得るのか。
『どうして外に出ているんですか。』
『少しだけ、今日は気分が良かったの。珍しく新しい人が来たみたいだったから、その挨拶にもね。』
『また妹さんたちが心配しますよ。』
気分が良くなければ外出しない。あるいは、してはいけない。ということはつまり、彼女は何か病を患っているのだろうか。
次いで、妹さんたちというよそよそしい呼び方から判断すると、ポリエさんとリャノさんは、本当の家族ではないらしい。いわば、家族同然の付き合いというやつだろう。
「リャノさん、この方は?」
『あら、失礼。名乗っていなかったわね。私はポリエ。リャノ君のご近所さんよ。』
『ポリエ姉さんとは昔からの知り合いでしてね。昔はよく遊んでもらったものです。』
彼にとって、その過去の記憶は美しい、大切なものなのだろう。懐かしむような表情で、少しの間だけ虚空を見つめていた。
『ポリエ姉ー!』
『あら、見つかってしまったわ。』
リャノさんが思いを馳せている時間を壊さないよう黙っていると、その沈黙を壊す甲高い声が響いてきた。
早那ちゃんと同じくらいの歳だろうか。短く切った、同じ色の髪をポリエさんのお腹の辺りに擦り付けている。どうやら、妹さんらしい。
『ポリエ姉! 捕まえた!』
『捕まったわ。』
『ドリーネっ。待ってっ。はあっ、はあっ。』
リャノさんの『妹さんたち』という言葉に違わず、妹は二人いたらしい。もう一人が後から息せき切って走って来た。亜那ちゃんよりも少し背が高いだろうか。
三姉妹で同じ髪色であるが、ポリエさんは長いのに対し、妹二人は短く切っている。いわゆる、おかっぱ頭だ。銀髪のおかっぱというのは、創作物でも現実でも初めて見た。
『ポリエ姉さん。勝手に出歩かないで。心配したんだから。』
『ごめんなさいウバーレ。今度から気をつけるわ。』
『まったくもう。その今度っていうのはいつからなのかな。』
後から来た妹さんの名前はウバーレさんというらしい。さしずめ、自由な姉に振り回される生真面目で苦労性な妹といったところか。実に調和の取れた三姉妹である。
『捕まってしまったからには戻らないと。またね、リャノ君。カイドウ君。』
『はい。また。』
最初の会話以来、蚊帳の外だった僕は、とりあえず会釈だけ返した。妹たちに両手を引かれて歩く後ろ姿と靡く白髪は、手を伸ばせば届きそうであるのに、ふっと消えてしまいそうな儚さを持っていた。
『作業は終わってしまったみたいですね。』
「あ、はい。」
『帰りましょうか。』
元来た道を引き返していく。その間に、会話は無かった。その空気だけで、僕は察してしまったのだ。
ポリエさんは深刻な病を患っているのだと。
「おかえりなさい。ご飯出来てるよ。」
「ああ、ただいま。」
『ただいま。ありがとうございます、シホさん。テーブルに並べておいて貰えますか。着替えてきますから。カイドウさんの分も、着替えを持ってきますね。』
畑仕事をしていただけあって、僕の足元は少し泥で汚れていた。あまり長い作業ではなかったので、気になるほどではないのだが、言葉に甘えておこう。
「ねえねえお兄ちゃん。」
「ん? どうしたんだ?」
「リャノさん、どうかしたの?」
四包の勘の良さには驚かされる。出会って間もない人の表情から感情の機微を読み取るなど、並大抵のことではないはずだというのに。
「ああ、実はな。」
僕は四包に、あの三姉妹についてと、長女ポリエさんが患っているであろうものについて話した。四包はそれを聞いて、同情するかのような表情を浮かべたが、こればかりはどうしようもない。
「病気、だもんね。」
「ああ。」
飢餓というのであれば、いくらでも対策の取りようはある。だが、病気となれば、薬を作り出す必要があるわけだ。しかし残念ながら、僕達にそのノウハウは無い。
「僕達にはどうしようもないことだ。」
「うん...」
この言葉だけで諦めがつくというわけではない。もしかしたら、何か助けになれるかもしれない。
だがそれもこれも、この場ではどうしようもないことだ。今はただ、暗くなりすぎないように振舞おう。
『お待たせしました。』
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