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ポルックス  作者: リア
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188話 距離

「海斗。」



 夢の中で、母さんはそう呟きながら自身のお腹を撫でさする。それに対して父親は首を捻っていた。



「いまいちしっくりこない。」

「そう? 呼んでたら案外良いって思うものだよ。」



 海斗というありふれた名前では満足できないらしい。付けるならもう少し個性を出したいと。その気持ちが若さ故の過ちを生まないことを祈る。というより、それは僕の名前のはずだ。なら気にかける程ではないか。



「また漢字だけ考える?」

「考えてみる。」



 僕の名前、海胴にはどんな意味が込められているのだったか。

 この間、夢で四包の名前の由来を聞いたので、それを当人に伝えてみた。すると、知っているという回答が帰ってきたわけだ。何故か尋ねてみると、小学校の頃にそんな課題があったらしい。

 当然同じ小学校であったので、僕も聞いているはずなのだが、いまいち思い出せない。



「紬、少しだけ名前を変えてもいいか?」

「いいけど、それ相応に良い名前にしてよね。」

「もちろんだ。」



 父親の思考が加速する。どうしてこんな苗字のような名前になったのかを知るには、もう少しかかりそうだ。




 いつもより短い夢が終わり、目が覚めた。冬が終わったとはいえ、この時間はほぼ真っ暗な部屋。だが布団から露出した顔に触れる空気が、季節が変わったことを告げている。

 幾分か起きやすくなった気温のもと、体を起こそうとしたのだが、上手くいかない。上体はおろか、四肢も動かないのだ。かろうじて手先は動くのだが。これが世に言う金縛りというやつか。



「んんぅ...」



 そんなわけもなく、隣にはくぐもった声を漏らす四包の顔。全身で僕の上に覆いかぶさっている。それも、全く同じ体の置き場所で。一回り小さい四包は、完全に僕の体の上で収まっている。体が動かないわけだ。

 この状態になっても起きない僕も僕なのだが、あまりに四包の寝相が特殊すぎる。もしこのプレスをソルプさんにもやっていたとしたら、潰れてしまうのではなかろうか。



「しかし、体温が高いな。」



 僕は少々体温が低いタイプなのだが、四包は逆らしい。目が覚めて上がりつつある僕の体温と合わさり、密着している部分がだんだん暑くなってきた。

 そして、四包が起きるより前に、生理現象を鎮めるか、四包を退かさねばならない。ずっと四包のお腹辺りにあれが当たって、非常に居心地が悪いのだ。



「よい、しょっと。」



 僕は四包を退かす選択をした。甘えるのも程々にしておけという戒めを込めて、うつ伏せに。

 幸せそうだった吐息が、だんだん苦しそうなものに変わっていく。うつ伏せという姿勢は、かなり良い姿勢を見つけない限りは寝にくいのだ。



「うぅっ...う?」

「おはよう、四包。」

「おはよぉ...ソルプひゃんは?」

「よーく思い出していけ。」



 ゴロンと仰向けになった四包に、記憶の回復を促す。目をつぶって考えさせては寝てしまいそうなので、頬をつんつんとつつきながら。四包はそれをくすぐったそうにしながら受け入れ、そして記憶を掘り出した。



「祐介さんに取られちゃったんだ...」

「間違ってはいない。」



 ソルプさんは、四包と眠ったときにその話をしていたらしく、ダメージは少ないものかと思っていたのだが、案外四包の気分は落ち込んでいる。

 ここでフォローするのも、兄の役目だろう。



「四包、一緒に暮らさないだけだ。好きな時に会いに行けば良い。」

「ん...ほんとだ。そうだね。でもなぁ。寝る時のあの感触がね。」

「僕では不満か。」

「最近お兄ちゃん、ゴツゴツしてきたんだもん。前まではプニプニだったのに。」



 この世界に来てから、本気で体を鍛えているからな。それを四包からも認めてもらっているようで誇らしく思う気持ちもあり、甘えて貰えないのではと不安も少しだけ生まれた。



「その方が男らしくって良いと思うけどね。」

「どっちなんだよ。」

「抱き枕としてはいまいち、かな。」

「そっちの感触優先かよ。」



 若干文句を垂れながらも、目は覚めた。トレーニングへ向かうとしよう。今日は四包も一緒だ。といっても、四包はいつも自主練だが。



「「よろしくお願いします!」」

『おう。』



 日課となっているこのトレーニングだが、そういえば始めた理由はぱっとしないものだった。未知の世界で、いつ危険が迫っても対処出来るようにと。

 もしかすると、四包の圧倒的な魔法の才能を見て、僕も何かしら取り柄を見つけければならないと焦っていたのかもしれない。



「はっ! ふっ!」

『足が止まってるぞ!』



 今は違う。いや、根底は変わらない。漠然とした不安によるものだが、それだけではなくなったのだ。

 初めの頃は、ただただ辛かった。筋肉をつけ、体力をつけ。半分惰性が出ていたかもしれない。しかし、辛いと同時に、実感があった。驚くような速度で強くなっていく実感が。



「やあっ!」

『よし、良い振りだ!』



 今。この鍛錬は楽しい。自分が強くなるのも、師匠が強くなるのも目に見えてわかる。最近、僕の実力が稔に近づいてきたのだ。

 稔にもアゴンさんにも筋が良いと言われ、それでも一番下の僕は慢心することなく体を鍛えた。だからこその結果だとは思う。だが、やはり稔にはまだ遠い。俗に言う、近くて遠いというやつだ。

 僕と稔の実力の距離は近づいた。しかしそれは、伸び幅が減ったということなのだ。以前に比べて距離が近くなったものの、そこからの進みは極端に遅くなる。僕も稔も。だから遠い。



『二人まとめてかかってこい。』

「はい!」



 アゴンさんには近づくことすら出来ていない。二百年余りの時を生きてきた彼は、僕達の何倍も何十倍も研鑽を重ね、遥かな高みへ上り詰めているのだ。



『やるようになったな!』



 しかし、遥かな高みにいるアゴンさんにも、僕達二人が協力すればようやく手が届く。だからアゴンさんにも、僕達二人にも慢心は無い。少なくとも当人はそう思っている。



『今日はこれで終わりだ。』

「ありがとうございました!」

「ありがとうございましたでござる!」



 己の成長を自覚することが、仲間との切磋琢磨が、こんなにも喜ばしいものとは思わなかった。僕はすっかり、スポーツマン精神を身につけたらしい。



「お疲れ様、お兄ちゃん。」

「ああ、お疲れ。」

「お疲れ様でござる。」



 汗を流した後は仕事だ。出国の準備を進めなければならない。それだけでなく、国民からの要望も迅速に対応せねばならないのだ。



「ふぃー。つっかれたー。」



 帰ってきてすぐ食堂へ直行。椅子に倒れ込むように座った。仕事上がりのお決まりのパターンである。そして次の一言は。



「「お兄ちゃん、ごはーん。」」



 タイミングまでばっちり被せてやった。間抜けな顔を晒したかと思えば、すぐにその顔は笑顔になった。



「四包も手伝ってくれよ。」

「あはは。分かってるよ。」

「今日の献立はどうするか...」



 肉は残念ながらもう無い。だから野菜と、伝家の宝刀冷凍豆腐でやり過ごすしかないのだが、どうしようか。

 四包に意見を聞こうと口を開きかけたとき、その四包が急に立ち上がった。



「お兄ちゃん、お客さんみたい。誰かが扉を叩いてるよ。」

「よく聞こえるな、そんな音。」



 異常な聴覚の四包はさておき、こんな時間に誰だろう。日が長くなったとはいえ、もう夕暮れ。良い子どころか、大人まで帰宅する時間だ。



「はーい、どちら様...?」

「こ、こんにちは。お久しぶりですっ。」



 四包が扉を開けたまま首を傾げているので、その上に首を出すと、そこには懐かしの気弱女子、美春さんがいた。僕が約束をすっぽかしたせいで怒らせたあのとき以来である。



「どうしたんですか、美春さん。こんな時間に。」

「よ、良かったです。覚えてもらってて。」

「あ、美春さんだ。やっと名前を思い出した。」



 忘れてしまうのも無理はない。前に会ったのは何ヶ月前だったか。彼女には仕事先でもなかなか会わなかった。



「お、お願いがあるん、です。」

「はあ...とりあえず、中へどうぞ。」

「いらっしゃい、美春さん。」



 ひとまず応接室へ。とりあえず話を聞こう。お茶っ葉なんてものは無いが、四包に淹れてもらった白湯でおもてなし。



「それで、どうしたんですか?」

「あの、その...彼氏が、ですね。結婚を、考えているみたいで。」



 あのチャラ男彼氏か。実際に会った訳では無いのだが、ガールフレンドである美春さんの証言からして、ろくな男とは思えない。

 しかし、関係が何ヶ月も続いているというのであれば、案外良い人なのかもしれない。印象を上方修正。



「その、彼は、料理が出来ないらしくって。私には、是非出来て欲しいって。それで私、満足させるって、言っちゃって。」

「あー、自分から難易度を上げちゃったんだ。」

「それで、料理を学びに来たわけですね。」

「はいっ。必勝の献立を教わりたきゅっ!」



 噛んだことについては触れないでおく。チャラ男、ではなく、その少し自己中心的な青年なら、繊細な味の違いなど分からない気がする。あくまでイメージだが。

 とはいえ、僕の教えるレシピで失敗してしまえば、僕の経歴に傷がつく。いや、本当につくわけではないが、気分の問題として。これでも、数年に渡って四包の舌を唸らせ続けてきたのだ。



「わかりました。良いでしょう。とっておきの献立をご紹介致します。」

「あ、ありがとうございましゅ!」

「少し難しいですよ?」

「構いませんっ。」



 女の子にそれを作って貰って落ちない男子はいないだろう。シンプルでオーソドックス、かつ最高に美味しい料理だ。



「お兄ちゃん、その献立って...」

「そう、オムライスだ。」

「おむらいす、ですか。」



 昔母さんが作ってくれたのを思い出す。思えば、僕の料理人人生はあそこから始まった。

 綺麗なラグビーボールの形をした、皺一つない黄色の舞台。そこで舞うのは、幼き頃の我が妹による前衛的な美術。

 絶妙な火加減によって形作られたとろとろの半熟卵とケチャップとライスの二重奏が織り成すハーモニーには、どんな楽団も敵わない。



「ねえお兄ちゃん、私も作ってみていい?」

「ん、ああ。構わないぞ。どうせなら、三人で一つづつ作るか。」



 僕が見本を見せ、その後で二人に挑戦してもらう。あの卵の火加減、それから整形は、長年家事に手を尽くしてきた専業主婦の方でも失敗することがあるという。



「さあ、調理開始だ。」

お読みいただきありがとうごさいます。

アドバイスなどいただけると幸いです。

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