187話 流暢
「あっ、桜介兄ちゃん!」
亜那ちゃんが一人、歓談の輪の中から飛び出した。彼女が向かう方向には、一人の影。白い髪の男の子、桜介君である。
「久しぶりだな、亜那。」
「うんっ! 久しぶりっ!」
元々元気な子ではあるのだが、今日この瞬間は殊更ハイテンションだ。そして久々に見た桜介君は、以前より大人びて見える。
「元気にしていたかい?」
「まあな。」
教会を出る前のような粗野な感じが少し残っているものの、泰然自若としているように見える。四包と目が合っても狼狽えていない。
「「「桜介兄ちゃーん!」」」
「元気だったか、おま...うおっ!」
これにて虹色七人組が揃った。赤色が他の色に突貫されているが。それを微笑ましく見つめる大人達に、桜介と来たもう一人がちゃっかり混ざっている。
「こんにちは、祐介さん。合流が遅かったですね。」
「やあ、海胴君。公演中に動き回るわけにもいかないしね。仕方なかったんだ。」
公演中に見つけられても、それはそれで困るわけだが。皆劇に集中しているし、僕の集中が途切れるとソルプさんとアゴンさんが困ってしまう。
「ところで、海胴君。そちらの魔族の方々はいったい?」
戦争のとき、十人程度の一部隊、それもリーダー的なポジションだったという祐介さんなら、そこへ食いつくか。この人のことだから、プリムさんに見蕩れたりしそうだと思っていたのだが。
「こちらはですね」
「祐介様!」
説明のために口を開いた僕を遮って、僕の腰ほどの背丈、ソルプさんが動いた。そういえばソルプさんは、四包に助けられてから、祐介さんに面倒を見て貰っていたのだったか。
「えっと...?」
「戦争のとき、お世話になりました。」
「...ああ!」
和服を着ているせいか分かりにくかったようだが、戦争というワードで思い出したらしい。ソルプさんの口から湧き出す感謝の言葉を戸惑いながら聞いている。
それもそのはず、彼には、ソルプさんがどうしてここにいて、何故言葉を喋ることができるのかさえも分かっていないのだ。
「命を救っていただき本当にありがとうございました。」
「どういたしまして?」
親子揃って、小さな子どもに困らせられている。それにしても、ソルプさんの言葉も達者になったものだ。初めの頃とは見違えるほど流暢である。
「この御恩は一生をもって返させていただきます。」
「その前にソルプちゃん、自己紹介しなきゃ。祐介さん戸惑ってるよ。」
「はっ! すみません。」
四包と出会ったとき以上の取り乱しようである。神と崇めたりしない分マシではあるが、随分と重い対価を提示したものだ。命を救ってもらったのだから当然だと彼女は言うのかもしれないが。
「ソルプと申します。よろしくお願いします。」
「これはどうもご丁寧に。祐介です。」
「こちらがプリムさんとアゴンさんで、どちらも花水木区画の人です。」
深々とお辞儀をするソルプさんに便乗し、二人も会釈をする。立ち直ったプリムさんは何か言いたそうにしていたが、言語の壁を思い出し、控えめにカーテシーを披露するのみだった。
「で、海胴君。これはいったいどうなっているんだい?」
「話せば長くなるんですが...」
ソルプさんの留学の話やら何やらを掻い摘んで説明した。ここでようやく、祐介さんが話の土台を理解したのだが。
「結婚してください!」
「えぇ。」
そしてまた論理飛躍である。ソルプさんの怒涛の早口を聞き取るに、その気持ちは感謝だけではないらしい。
命の恩人に恋心を抱くというありがちな吊り橋効果だ。が、かかっている当人にそんな自覚はあるはずもなく。奉仕もできて一石二鳥と結婚を申し込んだわけだ。
「お、桜介!」
「あ? どうしたんだ親父。」
子どもたちに囲まれて根掘り葉掘り聞かれていた桜介君が、この混沌とした状況へ招かれた。家族会議開催である。
「桜介、お父さん結婚を申し込まれたんだが、どうしたらいいと思う?」
「は?」
今の桜介君の心境を代弁するならばこうだ。ちびっ子の戯言であろうそれに何を狼狽えているのか、と。
何も知らない人からすれば、いい年をしたおじさんが、幼稚園児に結婚を申し込まれ、実行に移すか迷っていると。有り体に言えば、事案発生である。
「この子、魔族なんだ。実年齢の程は知らないけど、多分お前より上だぞ。」
「えぇっ。本当か?」
父親の顔とソルプさんの顔を交互に見る桜介君。たしかに年齢に関しては初めのインパクトが大きい。不思議なことに、共に生活をしていれば慣れるものなのだが。
「にしたって結婚ってのは...」
「やっぱりそうだよな。ここまで来て結婚なんて、桜花に顔向けが出来ない。」
今、サラリと男らしいことを言ったのだが、本当にアッサリだった。それをもっと堂々と言えば、扱いが酷くならないものを。
「結婚はお断りさせて欲しい。」
「そう...ですか。」
しょんぼりするソルプさんだが、今回はいきなり過ぎた。祐介さんは会うことすらできなかったため置いておくとして、僕にも一切の前置きが無かったのだから。
だが、ソルプさんの思いは汲み取ろう。結婚は難しいにしても、せめてお礼くらいはさせてあげたい。
「祐介さん、結婚は無しにしても、せめて一緒に住んであげてくれませんか?」
「え?」
「ソルプさんのお礼の意思を尊重するということで、住み込みで働くという形にしてみては。」
僕達は近々、外交を求めて旅をすることになっている。そのときのソルプさんの立ち位置をどうするか決めあぐねていたのだ。
今までは遠出といっても数日だった上に、毎日稔が訪れていたので、食料云々も問題無かったものの、今度は長旅になるかもしれない。それでこの話は渡りに船だったわけだ。
「こう見えて家事は何でも出来ますし、魔法だって十全に扱えます。労働力としては申し分ないでしょう。」
「いや、そうは言っても...」
こういったことを言うのは、まるで人身売買でもしているようで嫌になるのだが、ソルプさんが目を輝かせて首を縦に振っているので、罪悪感は無視しておく。
しかしソルプさん、そこまで祐介さんに惹かれていたとは。戦争中、いったい何があったのだろう。聞いて嫌なことを思い出させても悪いので、聞かないことにするが。
「ソルプさん、だったかな。」
「はい。」
「本当にそれで良いのかい? 正直、海胴君より裕福に暮らしている自信はまるで無いけれど。」
「問題ありません。」
即答だった。そうまで祐介さんを愛されると、僕が振られてしまったようで悲しくなる。
桜介君の代わりに、亜那ちゃんたちに囲まれていた四包がいつの間にか僕の隣にいた。話の流れはわかっているようだ。
「なら、雇おう...いや、家族として一緒に暮らそう。良いよな、桜介。」
「俺に回ってくる家事が減るなら万々歳だ。」
「これで寂しさも紛らわされるな。」
「うっせえ。」
強がっていながら、その実教会の皆と離れたのが寂しかったらしい。そんな感情も父親にはお見通しだったようだ。
「これからよろしく頼むよ、ソルプさん。」
「ソルプです。」
「はい?」
「ソルプです。」
「よろしく頼むよ、ソルプ?」
「はい、旦那様。」
「ぶほっ。」
祐介さんが噎せた。何を飲んでいたわけでもないのに。それも当然といえば当然である。結婚を断った直後の旦那様コールは戸惑って然るべきだ。
いつものオーバーリアクションで、胸を押さえてしゃがみこんでいる。
「親父、そんな趣味に目覚めてくれるなよ。」
「分かってる!」
「私は構いませんよ。」
息子にさえ若干蔑んだ目で見られる祐介さんは、やはり祐介さんなのであった。
『さようなら。』
演劇も見終わり、波乱の結婚騒動も一段落ついた後。すっかり周りに取り残されていたプリムとアゴンさん、それから祐介さん一家に別れを告げ、僕達三人も屋敷へ戻る。
ソルプさんは既に、祐介さんに引っ付いて行ってしまった。
「また三人に戻っちゃったね。」
「そうでござるな。」
さぞや寂しがっているだろうと思っていたのだが、四包は案外そんな素振りを見せない。まるで最初から分かっていたかのような。
「四包、もしかして、ソルプさんの結婚願望について聞いていたのか?」
「え? うん、まあね。留学までしようと思った動機にしては、お礼を言うだけって薄いなと思ったんだ。それで聞いたの。」
通りで落ち着いているわけだ。普通四包なら、涙を流して寂しがるであろうタイミングだった。この表現は少し大げさだが。
「すごいよね、ソルプちゃん。愛のために留学までして、言葉まで完全に習得しちゃって。」
「想いの力でござるな。」
稔が言うと、ふざけてキザに言っているように聞こえるが、実際そうだ。人間の行動における原動力は、やはり心なのである。
「あーあ、寂しくなるなあ。」
稔も退社し、夜の帳も降りた。勉強も終えて、そろそろ寝ようかという時間に、四包は何故か僕の部屋で布団にくるまっていた。
「自分の部屋で寝ないのか?」
「最近ずっとソルプちゃんと一緒に寝てたからさ、人を抱きしめてないと寝られなくなっちゃって。」
「そうか、なら仕方ないな。」
四包が言うことは、半分正解である。本当は、ソルプさんがいなくて寂しいという気持ちもあるはずだ。
人との別れは必ず訪れる。その喪失感を乗り越えるためならば、多少甘えさせることは妥協しよう。友がいなくなるのはあまりに悲しいことだ。
「おやすみ、お兄ちゃん。消灯。」
「おやすみ、四包。」
出会いと別れを繰り返して、人は強くなるらしい。この世界に来るまでそれが極端に少なかった僕は、たしかに貧弱だったと思う。
「海斗。」
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