182話 診察
「今日はステーキだ。」
一口サイズにカットした鯨肉に塩コショウを馴染ませ、フライパンで焼き、一度取り出す。その後玉ねぎを炒め、火が通ったところで肉を再投入。バターと醤油を入れて絡めたら出来上がりだ。
「「「いただきます。」」」
サイコロステーキとも呼べるそれを箸で掴み、タレをしっかりつけてパクリ。噛めば噛むほど肉汁がしみ出し、旨みが舌の上に広がっていく。
「美味い。」
「んー! 良い歯ごたえ! 美味しいよ!」
四包からも上々の反応。さてさて、肝心のソルプさんはというと。物凄い速度で咀嚼しながらも目はうっとりと感動している。
「どうですか、ソルプさん。」
『美味しいですぅ。』
つい母国語が出てしまうほどらしい。一口食べる度に目を閉じて噛み締めている姿は外見に不相応だが、料理人冥利に尽きる。といっても、これはほとんど素材のうまさだが。
「しかしこうも美味しいと、パンよりご飯が欲しくなるね。」
「そうだな。どうしてこう、文化は主に日本的なのに米が無かったり、西洋っぽさがあったりと中途半端なんだろうか。」
西洋っぽさの具体例を挙げるならば、衣服が主にそうだ。和服ではなく、洋服が主に出回っている。建築なんかも、ほとんど木組みではあるが、日本的でない建物もある。この屋敷や万穂さんの教会なんかがそうだ。
逆に日本的な部分で言えば、言語が最初に挙げられて然るべきだろう。何しろ、ここの言語はまんま日本語なのだ。ところどころでアクセントが違ったり、少し古めかしい言葉があったりするくらいなもので、僕達が生きていた日本と大差ない。
しかし、ここへ来てから苗字というものを聞いたことがない。言葉を例に挙げるならば、ここは大きな差と捉えてよいだろう。
「なんでだろうね。単純にお米は気候の問題だろうけど。」
「そうだな。このあたりはなぜか雨が少ない。米の生育環境としてはいまいちだろうな。」
山向こうから風が吹いているのだろうか。しかし、このあたりの海流は内向きらしい。ますますもって謎だ。
地理に必ずは無いとは、前の世界で出会った先生の口癖だったものだが、ここでそれを実感することになろうとは。自然というものは往々にして人類の予想を上回る。
『もぐもぐ。』
そんな思考を巡らせている間にも、ソルプさんの手や口は止まらず動いている。僕も、早く食べなければ冷めてしまう。ここらで思考は打ち止めとしよう。
「「「ごちそうさまでした。」」」
以降黙々と食べ続け、されど深く味わっていると、いつの間にか皿は空に。あまり食べ過ぎるのも良くないということで、おかわりは無しだ。
「お兄ちゃん、草履出来た?」
「ほとんどはな。あとは紐を通すだけだ。」
慣れない草履製作とはいえ、たかだか一足。木材を切って穴を開けるだけの作業に、それほど拘りを持たないので、案外すぐに終わった。
「これでよし。履いてみろ。」
「はーい...おお。」
靴底はコルク。これにより、安定感を高める仕様となっている。前々から思っていたのだが、下駄のように歯があるものは、竹馬のようで歩きにくそうなのだ。
そして、足と接する部分。裸足で履く場合最も重要となるその場所は、ただの木である。しかし、ヤスリで削ってあるので肌触りは抜群だ。
「おおー。すごーい。普通の靴だ。」
「痛くならない履き方だが、あまり深く履き過ぎないことだ。緒を親指と人差し指で挟むようにな。」
「はーい。」
うむ。これで和装美人の完成である。もしこれで痛いようなら、足袋でも作ろう。しかし安定性のためにコルクを使うとは、昔の人もよく考えたものだ。
「それから、履く時は短時間ずつで慣らそう。初めから長時間履いてしまうと、やはり痛くなるらしい。」
「わかった。ほんと何でも知ってるね。」
褒められて悪い気はしない。こういうときに、読書をしていてよかったと思える。先人の知恵は偉大だ。
「先生、どうなっているんですか。」
潜り込んだ夢の世界で目に映ったのは、真っ白で少し薄暗い診察室。デスクにあるパソコンを横目にする女性の医師に対し、父親が問いかけている場面だ。
「落ち着いてください。すぐにどうこうなるような問題ではありませんから。」
「そうだよクライス君。ちゃんと腰を落ち着けて。」
「あ、ああ。」
気持ちはわかる。大切な人の安全、もしかすると生死がかかっているかもしれないのだ。詰め寄りたくもなる。しかし、客観的に見ればみっともないので止めてほしい。
「私もこんなことは初めてなんですが、極めて特殊な状態です。」
どのように特殊かというと、まず成長が遅いということ。平均の大きさの八割程度しかないらしい。まあそこまではおおよそ問題ない。
「このエコー写真を見てください。」
見せられたものは、白黒の写真。中央には、黒い楕円があり、その中に胎児のような白い人型が存在する。普通なら。
母さんの状況は違う。いや、半分は正しい。黒い楕円に、女の子と診断されたであろう白い人型がたしかにある。だが、母さんのものには、もう一つ楕円があった。
通常であれば、それは双子の証だ。もう一つの中にも白い人型が存在する。はずだった。
「どういうことですか?」
「それがわからないから未知なんです。」
もう一つの楕円には、人型など何処にも写っていない。ただの空間なのである。
「おそらく、出産に影響は出ないと思います。難産の可能性ありと書きましたが、これは念の為、用心してもらいたいからですので。」
「そう...なんですか?」
「はい。ですからお父さん、落ち着いてください。」
気づけば、また椅子から腰が持ち上がっていた。母さんに服の裾を引っ張られて、恥ずかしがりながら席につく。
「異常とされる部分は以上です。経過を見ましょう。機械の不具合かもしれませんから。」
「はーい。ありがとうございました。ほらクライス君、大丈夫だって。帰るよ。」
「ああ。ありがとうございました。」
それが不具合であれば良いのだが、何度検査しても同じ結果が出ているのだから、そう楽観視できないというのが父親の心境だ。対して、母さんはそうでもないようで。
「ねーねークライス君、子どもの名前、どうする? もしかしたら双子かもしれないんだよね。」
まったく呑気な奴だと思いながらも、こうして不安を紛らわそうとしているのだと知っている父親は特に何も言わない。
「今わかってる女の子の方は、志帆って名前にしようかと思ってるんだけど、どうかな。」
「ありきたりだな。」
「えーっ。でも、変な名前よりは良いでしょ。もし名前でいじめられちゃったら後悔するよ?」
「それもそうだな。なら、漢字は考えさせてくれ。」
「うん、わかった。変な漢字にしたら即却下だからね。」
父親の思考の中には、今まで知った「し」や「ほ」の漢字が既にグルグルと回っていて、母さんの忠告などこれっぽっちも聞いていなかった。
日本語が母国語でない父親に漢字を任せるとは、母さんも無謀だ。まともな漢字が出てくるとは思えない。
「その子は良いんだけど、問題はもう一人だよね。」
「性別はおろか、生まれてくるかもわからないからな。」
父親の頭の中では、せめて性別が分かってから決めようという思いがあった。一人の名前でもこんなに悩んでいるのに、もう一人とあっては日常生活にすら支障が出るのではないかと。大げさすぎる。
「きっと生まれてくるよ。そんな気がする。」
既に親ばかな思考をしていた父親だが、母さんの確信に満ちた顔を見てしまっては、諦めるしかない。キラキラと輝いた目は、名前を決めることを求めている。
「その子の名前は考えてあるのか?」
「うん。しほちゃんほどこれっていうのはないけどね。」
「なんて名前だ?」
もしかして。これは本当に機械の故障なのかもしれない。だとすれば、診断がされていなくとも、僕が双子として生まれていた可能性がある。いや、きっとそうに違いない。
そうすれば、ここで母さんの口から出る名前は。
「海斗って、どうかな。」
「なんでやねん。」
つい柄にもなくつっこんでしまった。夢の切り方もまた憎らしいもので、期待を与えておいてから突き放すとは。
いや、まだ可能性を捨ててはいけない。もしかすると、ここから母さんが意思を曲げ、海胴という名前に変わるかもしれないのだ。諦めるにはまだ早い。
「気長に待とう。」
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