181話 鯨鍋
「よし、出来た。」
今日の晩御飯、鯨鍋である。正しくははりはり鍋と言うのだったか。出来たといっても、今はまだ、だしの調整だけだ。
「まずは四包の分だな。好きに食べてくれ。」
「はーい。」
「ついでにこっちも火にかけてもらえるか。」
「おっけー。」
安全性の確認が取れていない鯨肉は、四包には出さない。それを投入する前の鍋をつついてもらう。調味料の関係で、若干薄口になってしまったが。
そして僕はというと、もう一つの鍋で、片栗粉をまぶした鯨肉をサッとひと茹で。すぐに取り出し、冷水で冷やしたあと、ザルに取り上げる。この工程を追加することで、鍋にアクが出なくなるらしい。
「ごちそうさま。はい、あとはお兄ちゃんが好きにしていいよ。」
「ああ。じゃあ早速。」
野菜と一緒に鯨肉を投入。元祖となるはりはり鍋では、水菜と鯨肉しか入れない簡素なものだったらしいが、今回は様々な野菜と一緒に煮込んでいる。
「いただきます。」
グツグツ煮ること一分弱。葉野菜がしんなりしきったところで箸を入れた。これだけ煮込めば安全だろう。
まずは、クジラのエキスがしみ出した煮汁から。
「うまっ! なんだこれっ!」
海からの風で冷えきった体に、クジラの旨みがたっぷり入ったスープが染み渡る。これが、動物の肉。それを再認識させられる味であった。
「む、少し硬いが、これはこれで美味いな。」
やはり切った時の感触と同じように、少し歯ごたえはあるものの、これはこれで肉っぽさがあって良い。何より、噛めば噛むほど広がる旨み。数ヶ月ぶりの動物性タンパク質に胃が踊るようだ。
「お、お兄ちゃん。私も食べたい。」
「食べた感じ毒は無さそうだし、良いだろう。ほら。」
「あーんっ...んー!」
四包の目がみるみるうちに輝いていく。わなわなと震える手はもっともっとと促すようだったので、次も箸で差し出してやる。すると、まるでパン食い競走、あるいは餌に食いつく魚のような勢いで口を差し出した。
「どうだ?」
「超美味しい! クジラって美味しいんだね!」
僕も全くもって同意見である。近所のお年寄りからは、昔は給食で出たものだと聞いていた鯨肉。最近では鯨が保護対象となり、食べられなくなったと嘆いている人もいたが、その気持ちが今はわかる。これは美味しい。
「お兄ちゃん、スープスープ。」
「ん、ああ。」
僕の取り皿を差し出した。既に四包の食器は洗ってしまったのだ。熱いのにもかかわらず、四包はそれを清涼飲料かのようにごくごくと飲む。
「いとおいしっ!」
「鯨の規制はそこまで昔じゃないぞ。」
少なくとも、古文単語が必要なほどではない。
久しぶりの動物性タンパク質に舌鼓を打ち、幸せな気分で床についた。今日ばかりはこの固い床も気にならない。
そして翌日。耕司さんに報告し、無事木材調達の任からも解放、無罪放免となった。船を失ったお詫びとしては、あのクジラ肉をこの国全土へ振る舞うことで償いとした。もちろん、加熱調理をするよう忠告することも忘れずに。
「明日から仕事も再開だな。」
「うん。結構長いお休みを貰ったし、頑張らなきゃね。」
クジラ肉の納入と同時に、僕は今まで独占していたあの書物、過去の技術が残っていることを公開した。有識者を募り、勉強会というような形で、これを広める予定だ。
「ふと思ったが、着物に靴というのは違和感があるな。」
「すっごく今更だね。」
「そうでござるか? これはこれで良いものがあると思うでござるが。」
休みの最終日。今日も予定と呼ぶようなものは無く、行き当たりばったりの暮らし方をすることになりそうだ。
「作ってみるか。」
「最近なんでも作ってるよね。」
「海胴殿は博識でござるな。」
「これが読書の利点だ。」
さて、作るのは良いのだが、着物に合うものといば下駄や草履である。が、鼻緒が切れたり、くい込んで痛いだろうというのは想像がつく。
「どんな形にする? 鼻緒が気にならなければ普通の草履にしても良いが。」
「んー...どうしよ? どうにかなる?」
「案は無い。サンダルのようにはできるかもしれないが。」
「それじゃ意味無いよ。」
そういえば、草履の作り方とセットで、痛くならない履き方というのがあった気がする。それを試してもらおうか。
「四包、まずは採寸からだ。足を出してくれ。」
「はーい。」
玄関ホールではお客さんが来た時に気まずいので、部屋へ戻る。途中で窓拭きをするソルプさんと出会うと、軽く会釈を交わした。すっかり我が家の家政婦さんである。
「んんっ...くすぐったい。」
「我慢してくれ。」
その採寸方法だが、この世界にはメジャーが無い。そのため正確な測定が出来ないのだが、せっかく作る以上は、ジャストフィットを目指したいところだ。
というわけで思いついた測定方法がこれ。紙の上に足を置き、周りを鉛筆でなぞるだけのシンプルな方法だ。
「んひっ! うぅ、土踏まずぅ。変な声出たぁ。」
「もう少しで終わるからな。」
見た目通りの小さな足なので、これなら材料も足りそうだ。そして最後は、指の隙間を線引いて測定は終わりだ。
「ひゃぁんっ!」
「よし、終わりだ。」
「そこも通るなら通るって言ってよ! びっくりするでしょ!」
「すまない。」
ただ、四包の可愛い悲鳴はきっちりと兄の脳内フォルダに保存しておいた。それにしても、こう低い姿勢で怒鳴られると、ゾクリとするものがある。あまり慣れたくはない感覚だが。
「よし、あとは作るだけだ。好きに待っていてくれ。」
「うん、わかった。」
作るだけとは言ったものの、材料も仕入れなければ。明日香さんのところへ行って、そのあとで建築現場に寄って行こう。
「いってらっしゃーい。」
「いってきま、うおっと!」
扉に手をかけ、いってきますと言いかけたところで、その扉が急に開かれた。思わずバランスを崩してつんのめりそうになったが、そこは日頃のトレーニングの成果としてなんとか踏ん張った。
「東さん。いらっしゃいませ。」
「依頼の件、原因がわかった。」
「本当ですか! こんなところでは何ですから、中へどうぞ。」
「失礼する。」
相変わらずのクールガイ、射的屋の店員兼店長で、過去の遺産の研究もしている東さんを応接室にお通しする。
「その原因というのは?」
「単純な塗料切れだ。」
「それだけですか?」
「ああ。その補填方法もわかったから伝えに来た。」
東さんは、印刷機の説明書を開くと、パラパラとページをめくり、ある場所で手を止めた。どのページにも文字がびっしりと書かれた読みにくい説明書である。
「ここだ。」
「と、言われましても。」
「これが俺の書いた図解だ。」
「なるほど。よく分かります。」
さすが、耕司さんが認める遺物研究の第一人者だ。こんな分かりにくい文字や専門用語の羅列を図にまとめることができるとは。これによって、格段にわかりやすくなっている。
「ここを開けて、塗料を流し込むわけですね。」
「ああ。そして、ここが点灯していれば塗料切れの合図でもある。」
本職というだけあって好きなのだろう。解説をする東さんは目が輝いていた。しかし僕も、こう熱心に説明されると興味が湧いてくる。
先日のレールガン然り、この世界の書物で技術の勉強をしてからというもの、どうも僕には理系の気があるらしいことに気がついた。それまでは読書が好きな文系人だったのだが。
「よく分かりました。ありがとうございます。」
「構わない。また呼んでくれ。」
「あ、ちょっと待ってください。」
席を立とうとした東さんを呼び止める。東さんは腰を浮かせかけたのを再び下ろし、手を組んで僕の方を向いた。これでサングラスでもかけていれば、マフィアのボスのように見えていたことだろう。
「印刷したい書物があるんです。今から向かっても良いですか?」
「構わない。どんな本だ?」
「過去の技術書です。」
東さんの目付きが変わった。興味津々といった様子で、目が子どものように煌めいている。見た目とのギャップを可笑しく思いつつも、表情は変えず、というか変わらず話す。
「以前発表したんですが、その本を使って講習会を開く予定なんです。そこでなるべく多く複製があれば良いと思いまして。」
「なるほどな。ならその仕事、俺に任せろ。印刷だけにそう何人もいらない。」
「ですが」
「誰より先に、それを見てみたい。」
目を輝かせるどころか、度を超え、目をギラつかせて言う東さん。この状況で、僕が先に見てしまいましたという事実を伝える気にはならず、首肯するしかなかった。
かくして、きちんと材料調達及び、草履作りの時間は確保できたのである。
「ふぅ...」
服屋和泉で、鼻緒の部分となる布を調達。廃材となる木材の切れ端を工事現場から調達して屋敷へ戻り、着々と作業を進めて気がつくと、日が暮れていた。
「今日のところはここまでだな。」
「お兄ちゃーん、お腹空いたー。」
「すぐ作るから待っていてくれ。」
集中しすぎて気づいていなかったが、隣で四包がお腹を押さえて駄々っ子のように暴れていた。自分の集中力が恐ろしく思える。
「お肉っ。お肉っ。」
「天使様、上機嫌、です。」
肉を食することが出来るようになって二日目。数ヶ月の反動で、まだテンションが上がっていたとしても致し方ないだろう。
「今日はステーキだ。」
お読みいただきありがとうごさいます。
アドバイスなどいただけると幸いです。




